(5)
「んっ……んんっ……」
アリシエルは混乱していた。意識を取り戻すと、薄ぼんやりした魔力光に照らされた窓のない石壁の部屋に囚われていたのだ。
手首と足首には鉄の枷ががっちりと嵌まり、鎖で繋がれている。さらに、頑丈な口枷が王女の口を固定し閉じられないようにしていた。
肌も髪も本来の艶を取り戻し、乏しい灯りの中でもそれ自体が輝いているかのように仄光っている。拘束されていても、月の女神の化身のような類稀な美しさは損なわれていない。
何者かが綺麗にしてくれたのだろうが……周囲に人の気配は無かった。
身を揺すってみても鎖が耳障りに鳴るだけで拘束は解けない。アリシエルは石床にぺたりと座り込んで両手を頭上に差し上げた姿勢で――それが一番楽な格好だった――得体の知れない状況に脅えることしかできなかった。
現況から意識を逸らしたいがためか、王女の思考は内面に向かう。
(どうして――どうして、こんなことになったのでしょう……)
何処に間違いがあったのか。細い眉を困惑に歪め、麗しき姫君は記憶を遡っていった。
「それでは、姫様方。名残惜しいですが、僕は父の政務の補佐にゆかねばなりません。今日のところは失礼致します」
優しい笑みを残し、金髪の美男子が立ち去るのを、二人の少女が切なげに見送った。その一人、緩やかに波打つ赤毛の意志の強そうな美少女が、もう一人の癖のない黒髪の可憐な美少女に話し掛ける。
「この後時間はあるかしら、アリス。殿下はお仕事に行ってしまわれたし、わたくしとお茶でも飲みませんこと?」
誘われたアリシエルは笑顔で応える。
「あら、素敵です。是非ご一緒させていただきますわ、ティア様」
いずれ劣らぬ絶世の美少女が並んで談笑している姿は目に眩しいほどだ。二人の周囲に控える侍女達の目は、一様に陶酔の色を帯びている。アリシエル姫とティアリス姫。近隣諸国で一、二を争うと言われる美姫二人である。
共に小国の王女ではあるのだが、近隣の宗主国である王国の王子の婚約者候補であり、つまりは宗主国の将来の王妃候補であって、卓絶した美貌以上に重要な価値を有する立場にいる。
先ほどまで会話していた青年がその王子で、二人とは特に親しく付き合っており、どちらかが彼と婚約するのはほぼ確実視されていた。
ライバル関係にはあったが、アリシエルは1歳年上の気の強い赤毛の王女が嫌いではない。
お茶に招かれ、親しく談笑して楽しい時間を過ごした。その辺りまでははっきり覚えている。
宗主国の王宮に伺候している現在、アリシエルが果たすべき役割はそう多くはない。その大部分は人と会って話すことである。ティアリス姫の元を辞した後、何人かの訪問客と話し、それから記憶がぼやけていた。
何故だか城の外に出掛けたくてたまらなくなり、侍女達の目を盗んで部屋を抜け出し、いくつもの抜け道を伝って――思い返して、知らなかったはずの道を辿っていた自分に驚き――巧みに衛兵をやり過ごして城を出て、どんどん城下町の外れの方に移動し――気が付けばほとんど真っ直ぐに、いかがわしい裏街にたどり着き、寂れた裏路地で薄汚い男達に囲まれていたのだった。
――それ以上は思い出したくなかった。
(わたくしは……どうして……?)
回想して、一層混乱に拍車がかかるアリシエル。
その時。
ぐちゅっ……。
濡れた粘着音が響き、王女ははっと顔を上げた。
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