第四章 ある同人漫画家の日常



「ひあっ……あん……んっ…ふぁあ……」
『――今週の金曜日に決まった』
「金曜か。わかった。作戦を練ってまた連絡するよ」
「ひぃん…あ、あ……や、ダメ……あああんっ…」
『了解した。――ところで貴様、わかっているのだろうな?』
「……何がだ?」
「やっ、あっ…あっあ、また、またイく…あああっ」
『首尾よく障害を排除できたとしても、漫画を描かねば本はできぬぞ』
「…………。そりゃ、そうだ」
 俺は苦笑して、携帯を切った。
「てなわけで、時間がないからどんどんイっちゃっていいよ」
「―――あああッ! あっ、イく、イっちゃう…イっちゃいます! あぅああああ――――――ッ!!」
 突き上げを強めると、南さんは甘い悲鳴を上げて身を震わせた。絶頂に達したらしい。
 レースのカーテン越しの秋の朝陽は、部屋の住人の性格を表して柔らかいトーンに統一されたダイニングに穏やかな光を満たしている。明るい色調の木のテーブルに、同じ色合いのシンプルなデザインの椅子が2脚。だがその椅子は今片方だけしか使われていない。
 やや浅く椅子に腰掛けた俺の上に、眼鏡をかけた優しげな美人が大きく足を広げて座っていた。着ているのは前のボタンをすべて外したワイシャツ1枚きり。彼女はがっくりと首をのけぞらせて喉を曝し、俺の肩に後頭部を預けて忙しく喘ぐ。瑞々しい白い素肌が俺の顔のすぐ横にあった。白い喉には、真っ赤な首輪が嵌まっている。白と赤の対比が鮮やかだった。
「はぁーっ、はぁー…っ」
 深く息をついて潤んだ瞳で虚空を見上げる南さんの頬をそっと撫でる。
「喉渇いたでしょ、南さん」
 俺はテーブルからカップを取り、冷めかけたホットミルクを一口含んで唇を重ねた。口移しに流し込むと、彼女の喉がこくりと鳴る。そのまま舌を滑り込ませた。触れ合った舌はびくりと縮こまったが、俺の舌が絡みついていくとおずおずと応え、ちゅくちゅくと淫らな音色を立てる。
「ああ……」
 ひとしきり愛戯を施して唇を解放すると、彼女は吐息を一つ洩らして呼吸を穏やかにし、瞳をそっと閉じる。落ち着いてきたようだが――。
「ひぁあう!」
 再びびくんとその背が跳ねた。
「ほらほら、いつまでも休んでちゃダメだよ。俺はまだなんだから」
「ひぁ…やぁあ、ダメぇえ…また、またイっちゃうからぁあ…!」
 下から突き上げる俺の屹立は、彼女の膣穴ではなく菊穴を貫いていた。

 俺は昨夜から何度となく南さんを抱いていた。もちろんノーマルな行為も重ねていたが、疲れてくると俺はもっぱら、本来性交に用いるのではない方の肉洞を抉るのに終始した。
 その方が楽だったからだ。
 だって南さん、こっちでしてあげると普通の三分の一くらいの時間でイってくれるから。俺の感じる気持ちよさから言えば、前も後ろも別の味わいがあって甲乙つけがたいところだったが、どちらがより南さんが乱れるかって言うと、それは断然後ろの窄まりにねじ込んだときだった。アブノーマルな行為と言うことで背徳感が性感を後押ししている部分もあるのかもしれないが、やはり単純に彼女にコッチの素質があったんだろう。
 ヤり較べると、膣孔は吸い込む動き、菊孔は、まあ当然ながら吐き出そうとする動きをしているのがわかってきた。その動きに逆らって突き込み、動きを超えて引き出して、俺は南さんの粘膜と括約筋に――その周囲で無理やり覚醒させられた性感神経に、過剰な刺激を送り込み続ける。
 おとなしやかな美貌を歪めて半狂乱で喘ぐ彼女は、首に嵌めた首輪でかろうじて現実に繋ぎ止められているかのように見えた。俺が余裕を持って腰を上下に揺らす間にも、南さんは甲高く鳴いてまた絶頂に至る。俺の怠惰な省エネ責めが引き起こす効果は絶大だった。
 いやあ、こりゃ楽だわ。何より、俺の簡単な行為で年上の美人を意のままに感じさせ、よがり鳴かせていると言う充実感と優越感は、ちょっと他に比べるものがない。
「ああ……ああ……はあぁ……」
 俺の腰の上で息も絶え絶えに喘いでいる南さんの体に、俺はゆっくりと手を回していった。そろそろ俺も高まってきたので、フィニッシュに取りかかることにする。
「――ひぁ!」
 びくっと跳ねて、きゅうっと肉孔が収縮した。俺が二本揃えた指を、絶えず蜜を溢れさせる肉襞の狭間に挿入したのだ。熟した肉果は俺の指を苦もなく根元まで飲み込んだ。指の腹で膣道の腹側を探ると、襞が寄り集まったような部分を感じる。
「ここかな」
 その部分を二本の指で交互にくすぐるようにすると、南さんは引き絞った弓のように反り返り、目を見開いて口をぱくぱく動かした。緩急をつけながら続けると、ようやく切れ切れに声を洩らす。呼吸も忘れていたらしい。
「かっ……はっ……だ、め……ぁ……」
 イってるようだ。アナルはきつく締め付けたまま弛まない。俺は余った片手を彼女の柔らかい乳房に伸ばし、きゅっと握り込んで円を描くように揉み込んだ。掌で尖り立った乳首をくじるのも忘れない。同時に膣孔を抉る手の親指をそおっと動かし、よく発達して膨れ上がった肉豆を指の腹で優しく転がしてやる。
「ひ! イ! は! あ、あああ!」
「どう? 南さん」
「や、やっ…イっ、てる、のに、また、イくぅ……やぁあ! た、たす、け、て…! ひぃい…! イ、く…の、と、とまら、な…きゃひぃいいいいっ!!」
 優しい愛撫から一転、クリトリスを内外から挟み潰し、乳房を強く掴みながら、食い締める窄まりを無理やり動かして貫き始めると、絶息寸前の哀願は快楽の絶叫に断ち切られた。
 ――うわっ!? 何だか奥も締まってきたような……。先っぽに絡みついて……こりゃたまらん!
「くぅうっ……!」
 極限状態で新たな変化を見せた南さんの肉穴の刺激に耐えられず、俺も絶頂に達した。精道が強烈に圧搾されているためか、射精の勢いがいつもよりずっと凄い気がする。びゅーっ、びゅーって。脳味噌が漂白されるような快感だ。
 昨夜からヤりまくっていたとは思えないほど大量の精液を、俺は南さんの腸内に注ぎ込んだ。……ような気がした。
「……ふぅうー……」
 うはぁ。エネルギー全部注ぎ込んだみたいな感じ。でも最高に良かった。めちゃめちゃ堪能したよ。満足満足。
「よかったよ、南さん……あれ、南さん?」
 ……おっと、あんまり気持ち良かったもんだから、両手思いっきり握り締めてた。手を離すと、彼女の白い乳房に俺の手の形が赤く浮き上がっていた。
 見ると、連続絶頂に耐え切れなかったのか、南さんは後頭部を俺の肩に預けて失神している。
「ふう。さすがに消耗したような……」
 俺は南さんの体重を乗せたまま、テーブルに手を伸ばし、皿からバタートーストを取って一口かじった。ホットミルクと一緒に南さんに用意してもらった朝食だ。南さんを俺の上に座らせたせいで、食べるのが遅れた。
 心地よい脱力感に身を委ねつつ、俺はばくばくとパン生地をかじり取っていった。あんまり自覚してなかったが、けっこう飢えていたらしい。
「やっぱり消耗してたか、俺」
 昨夜南さんの部屋に来てから夜半過ぎまで可愛がり、数時間仮眠して、シャワーを浴びた後こうして朝食にしたわけだが。
「ふう…ごちそうさま」
 もう一回シャワー浴びなきゃだめかな。
「さて――それじゃ、起きようね、南さん」
 俺は彼女を叩き起こすべく、無防備に曝された秘所へと、ゆっくり指先を伸ばしていった。


 出勤する南さんと連れ立って彼女の部屋を出た。
 肩を抱く俺の手から逃れようとはしないものの、強張った顔は伏せられ、俺と目を合わせようとはしない。アパートの入り口を出たところで手を放すと、南さんはほっと安堵の吐息を洩らした。
 でもそれで許してあげたりはしない。彼女の肩を捕まえて俺と向き合わせる。驚いた表情の南さんの顎を指先で持ち上げた。
「あっ……」
 脅えたような、恥じらうようなレンズ越しの瞳。俺はそのまま唇を奪った。
「……んっ! んん〜〜っ!」
 朝、路上で交わされるキスの恥ずかしさもあってか、南さんの抵抗は激しかった。だが、ちろっちろっと下唇を舐めてやると、凍りついたように動きが止まる。俺の舌は彼女の口腔に侵入し、数秒間だけディープな蹂躙を加える。
「――はぁ…っ」
 唇を離すと、南さんはくたりと脱力して俺にもたれかかった。桜色に染まった頬と欲情に潤んだ瞳が大変艶っぽい。俺は彼女が呼吸を整える間、優しく抱きしめていた。
 ややあって、陶酔から醒めた南さんははっとして身を離した。表情には警戒色が戻っている。
 うーん、一旦火が点くと従順なのに、普通にしている時は慌てて取り繕って気を張っているみたいだ。でも、完全には気を許していないその様子が、なんか可愛かった。
 俺は南さんの張り詰めた表情を見つめながら、にっこり微笑んだ。
「それじゃ、いってらっしゃい。南さん」
 一瞬毒気を抜かれたようにじっと俺を見つめ、突然ぶるぶると首を振って、南さんは返事もしないで小走りに去った。逃げるみたい――て言うか、逃げたなあれは。
 ふふっ。脅えた小動物のようで、何だか微笑ましい。まあ、今はそれでもいいや。もう彼女は俺から逃げられないんだから。これからゆっくり、忠実な牝奴隷に調教していってあげるからね、南さん。



 南さんを見送った後、俺は一度部屋に戻って準備を整え、駅前に出て来ていた。主に画材の補充のためだ。だが――。
「……ありゃ」
 棚卸しのため、本日休業――。
 行きつけの画材屋の、閉じたシャッターの貼り紙を読んで、俺は頭を掻いた。何とも間が悪い。
「しょうがない。……確か、あっちにもう一軒あったよな…」
 朧げな記憶をたどって、俺は駅前アーケードに沿って歩き始めた。


「え…と、いつも使ってる紙は……」
 落ち着いた外装のその店は、何だかやたらと漫画関係の画材が豊富だった。買いに来たのは主にペン先と原稿用紙。ペン先はいつも使ってるのがあっさり見つかったからいいとして、問題は紙だった。
 俺が常用しているのは、無地の原稿用紙が束になったその名もシンプルな『漫画用原稿用紙』ってやつだが、これがこの店には見当たらなかった。その代わり各サイズの上質紙がキログラム単位で細かく分けられて、床から天井までそびえる引き出し棚に収められている。詳しい人間には有り難い品揃えなのだろうが……多すぎて困るっつうの。5キログラム変わったからって、何がどう違うんだ……? そもそも何グラムもないペラ紙で「キロ」って一体?
 引き出しをあっちこっち開けてそれほど違うようには見えない紙を見比べて唸った後、俺は途方に暮れて棚の前で立ち尽くした。
 と、その時――。
 くいっ、とソデを引かれる感触。
「ん?」
 振り返ると、彼女はそこに立っていた。
「お……」
 俺は一瞬、言葉を失った。
 一言で言えば、静謐。
 それがその少女の印象だった。
 艶やかでまっすぐな黒髪はひとまとめにして肩の前に垂らされている。吸い込まれそうな黒。烏の濡れ羽色ってのは、こういうのを言うんだろうか。人形のように整った容貌と、そしてその瞳――。
 どこまでも深く静かで、茫洋としていると言うか、波のない湖水のようと言うか。一言では言い表せない、だが極めて印象的な双眸がじっと俺を見つめていた。
 シックな色合いの薄手のセーターと、膝下まで覆うロングスカート。一見して活動的という言葉の正反対の装い。慎み深いというか、どこか古風な感じが彼女のまとう雰囲気と絶妙にマッチしていた。小柄でほっそりした肢体の前面はカンバス地のエプロンが覆い、そこには店のロゴがプリントされている。
 ――ここの店員さんかな? て言うかそうとしか見えんが。
 俺はしばし無言で少女と見つめ合っていた。多分遠目に見たら地味目の印象から見過ごしていただろうが、至近で見ると、彼女は充分見惚れるに足るレベルの美少女だったからだ。
 俺の顔をじいっと見上げ続けた後、彼女はようやく口を開いた。
「……誰……ですか?」
「は?」
 いきなり意味不明の発言だった。最初の一言がそれか、おい。
 だが、彼女の二言目で俺は目を瞠った。
「和樹さんじゃ……ないですね」
「――!!」
 それが、わかるのか!?
 初見で!?
 おお……この心のざわめきは何だ? あふれ出る歓喜。そう。これは感動?
 察するに千堂和樹の知り合いのようだが……。まさか、一発で俺と千堂を見分けてくれる娘がいたとはっ。千堂の周りにいる女どもは、思い込みが激しくて物分かりの悪いヤツらばっかりだと思っていたが――そうじゃなかった。いるじゃないか、こんないい子が!
 彼女はまた、じいっと俺を見つめてから、ぽつりと言った。
「……ニセモノ?」
「ニセモンじゃねぇえーっ!!」
 脊髄反射でツッコむ。可愛く小首を傾げる姿はそのままポートレートにしたい可憐さだが、だからと言って容赦のカケラもない暴言が許容できるはずもなかった。
 ええい、前言は撤回だ、チキショー!
 やっぱ、千堂の周りにはろくな女がいねえ。
 と、俺の耳に左右からざわめきが届いた。慌てて見回すと、何人かの客が遠巻きにこっちを見て囁き交わしている。ああ、俺が大声出したから……って、冷静に分析してる場合か!
「き、君、ちょっとこっちに」
「…あ」
 俺は店員の少女を連れて、店の奥の目立たない一角へ移動した。
「と、とりあえずこの辺なら落ち着いて話ができそうだな」
 ふう…いらん恥をかいた。
「………」
 向き直ると、少女は俺から目を逸らした。頬がほんのり朱を帯びている。
「――?」
「あの……」
 くいっ、と手が引かれる。見ると、俺の手は彼女の手をしっかり握っていた。――ああ、連れて来るときとっさに手を掴んでたみたいだな。手を握られて恥ずかしがるとは、今どき純情な娘もいたもんだ。どうやら普段あまり表情が動かない子らしいけど、そんな彼女が恥じらう様子はめちゃめちゃ可愛い。
 ――だから冷静に分析してる場合じゃなくて!
 我に返ってぱっと手を放した。
「ごご、ごめん」
 謝ると少女はふるふる、と首を振った。
 ふう、とお互い一息つく。
「さてと。――どうやらキミ、千堂和樹の知り合いみたいだけど、俺は似てるだけの別人。ニセモノじゃないんで、ひとつよろしく」
 取り急ぎ言うべきことだけ簡潔に告げた。まず、これを正しく伝達しておかなきゃ話が進まない。
 じいっと俺の顔を見上げ、考え込んでいる。
 ――何だか不穏な発言をしてくれやがりそうな気配を察した俺は、口を開きかけた少女の機先を制して言葉をかぶせた。
「ちなみに双子でも従兄弟でも整形でもないから。念のため付け加えると、クローンでもサイボーグでもアンドロイドでもターミネーターでも変身能力でもドッペルゲンガーでも生霊でもないからね」
 思いつくまま並べ立てると、少女はしばしぱくぱくと唇を動かした後、ちょっと恨めしそうに俺を見上げた。……どれか言おうとしてやがったな。
「ずるい……です……」
 ずるくねえ。
「では……貴方は、何ですか……?」
 ――誰ですか、と言えよ。
「だから、無関係の別人。他人の空似だって」
 またしばし考え込む少女。
「でも…似過ぎてます」
「そこまで知らん。――ほら、免許証。名前、違うだろ」
「四堂…和巳……?」
 彼女は免許証と俺の顔を何度か見比べ、不思議そうに首を傾げた。
「……影武者?」
「なんでだ!?」
 ほぼ反射的に突っ込む。さきほどのこともあるので、やや小声で。
「名前…似てるから…」
「偶然だっ!」
「……ホントに?」
「本当だ」
 何を思ったか、少女はすっと手を伸ばし、俺の頬をつまんで引っ張った。
 ちょっと痛い。
「…言っふぉくけろ。変装れもないから」
 半眼で告げると、彼女はびっくりしたように手を放し、よろめいた。
 ――そんなにショックか? 何だかこの娘の相手するの疲れてきたな…。
「まあそういうことで納得してくれ。頼むから」
 いい加減付き合ってられんし。
「わかりました……納得、します……」
 だから、何で残念そうな顔をする?
 何だかえらく精神的に疲労した気がするよ。原稿用紙買って帰ろう。
 俺は店員の少女を捨て置いて、また紙の棚の前に戻った。えーと……どの紙を買えばいいんだっけ?
 しまった。紙選びの問題が解決してなかった……。
「うーむ」
 頭を抱えていると、くいっとソデが引かれた。
 振り向くと、今の少女店員が後ろに立っている。あのままついて来たのだろうか。
「何か…お探しですか?」
 俺は改めて彼女を見直した。年の頃は17、8ってとこかな。たぶんバイト店員だろう。こんな子に相談してまともな答えが返ってくるのか一瞬疑問に思ったが、まあわからなければもっと詳しい古株の店員を呼んできてくれるだろうと思い直す。
「原稿用紙を探してるんだけど、どの紙がいいのかわからなくてさ。この、キログラムってどういう意味なの?」
「キロ連量ですか。それは、紙の厚さの違いを表します」
 何でもないことのように答えが返ってきた。
「キロ…え、何だって?」
「キロ連量。単に連量とも…キロ連とも言います。…全判1連の重さで…紙の厚みを、表現しています…」
 ……全く意味不明だった。途方に暮れる俺の表情に気付いたのか、彼女はもっと噛み砕いた説明を始めた。
「紙のサイズに……A判とB判があるのは、ご存知ですね」
「ああ、A4、A5、B4、B5とか言うアレ」
「ソレです……でも、紙を作るときには、大きい巻紙か……大きい1枚で作ります。この大きい1枚のサイズが…全判です。A全、B全と言って、A4などの数で言うなら…A1、B1と言ったサイズのことです」
 なるほど。まあ、確かにいちいち小さい紙を製紙していたら大変だろうな。でかい紙を作ってから裁断した方が楽に違いない。
「紙というのは、洋紙平判の場合……千枚一組で…出荷されます。全判を千枚束ねたものを『連』と言います」
 そうなのか。ようやく『レン』って言葉がわかった。
「そして…連の重さを量ったものが、ここに書いてあるキロ連量…です」
「えーと、つまり、この紙を千枚束ねた重さ……ってコト?」
 手近な引き出しを開けて聞いてみると、彼女はふるふる、と首を振った。…違うらしい。
「それは、裁断済みの…紙ですから。裁断前の、全判の紙を…千枚束ねた重さが……連量です」
 ふむふむ。ようやくこの「キログラム」の意味がわかって来た気がするぞ。
「当然…同じ厚みでも、サイズが違えば、連量が変わるので……注意が必要です」
「え? そ、そうなの?」
 こくり。
 ――同じ厚みなら同じ数値じゃないのか? な、何かまた混乱してきたな。厚くなれば重くなるって理屈はわかるのだが……。
「例えば…A判とB判では…B判の方が大きいですから……」
 そうだな。A4とB4だとB4の方が大きいもんな。
「同じ厚さの紙を…連にしたとき…B判の方が、重くなります」
 ――ああ、そうか。千枚にしたときの重さが連量なわけだから、厚みが同じ紙なら、サイズがでかい方が重くなるわけだ。……って、ちょっと待て。それって同じ厚みでもサイズによって表記が変わるってコト? うわ、わかりにく〜。
 …ちなみに、厚さだけを知るには純粋に厚さを測った100分の1ミリの数値と、その紙を1平方メートルにしたときの重さをグラムで表した「メートル坪」と言う別の単位があることを俺が知るのは、もっとずっと後のことだった。
 俺が頭を抱える間に、少女店員はさらに複雑なことを言い出した。
「紙の判形は……おおむね4種類あります」
「え、AとBだけじゃないの?」
「あと…四六判と、キク判があります」
 …聞いたこともないような紙のサイズが出てきたぞ。
「何それ?」
 ストレートに聞いてみる。
「本を作ったとき……端っこがキレイに揃ってますよね。これは…製本後に、まとめて端を切り落としているからです。…化粧断ちと言います。化粧断ちの後にA判、B判に合わせるためには、印刷する紙の寸法が…A判・B判より…一回り大きくなくてはいけません」
「……ああ、そうか。マンガの断ち切りなんかもそれだ」
「それです」
 こくり。
「なるほど。つまりは、A判とB判より一回りずつ大きいサイズの紙が……」
「…はい。キク判と、四六判になります」
 そうだったのか。一つ賢くなった。
 ――ん? で、俺はどのサイズのどの紙を買えばいいんだ……?
 根本的な問題がまったく解決してなかった。
「原稿用紙と…言いましたよね。…マンガ用、ですか…?」
「そうだけど。どの紙がいいと思う?」
 まあ、上質紙の棚の前で悩んでれば漫画用と思うだろう。
「投稿用サイズですと…断ち切りを考慮して…B4の少し上、四六版八つ切りが…一般的です」
「八つ切り?」
「…はい。全判を八枚に切ったときの…寸法です」
 えーと、B1を2枚に切ってB2、4枚に切ってB3、8枚に切ってB4、となるわけか。なるほど。
「…普段、どのような紙を使ってますか…?」
「え、と。M社の漫画用原稿用紙ってやつだけど」
「でしたらコレです」
 瞬時に一つの棚を特定する。
「…四六判の135kg。これで…いいはずです」
「あ…じゃあ、それを100枚」
「…はい」
 こくり、と頷く。少女はモードが切り替わったかのように口を閉じ、黙々と上質紙を数え始めた。
 それにしても…俺よりも年下にしか見えない娘が、こんなに画材に詳しいとは、ちょっと衝撃的だった。と言うより、明らかに俺の知識量が劣っていることに圧倒されたのだが。
「そ、それにしても……最初は無口なのかと思ったけど、意外に喋るんだね、キミ」
 ぴた、と紙を数える手が止まる。
「――――?」
 どうしたのかと思って見ると――少女の横顔は、真っ赤に染まっていた。ちらっと横目でこちらを見て、顔を伏せて縮こまる。…そのまま動かなくなった。
「あれ。えーと、もしもーし?」
 呼びかけてみると、小さくふるふる、と首を振った。聞こえてはいるらしい。
 ややあって、少女はやっと再起動した。まだ目元はうっすらと赤い。どうやら自分のさっきの饒舌さを恥ずかしがっていたようだ。
 俺はさきほどの認識を新たにした。
 ――やっぱこの娘、恥じらう姿がすごく可愛い。
 …胸の中で、どす黒い何かが蠢いた気がした。
 首を振って危険な衝動を追い払う。いかんいかん、この子には別に恨みはないんだ。落ち着け。――段々歯止めが利かなくなってないか、俺?
 俺はペン先と、少女が数え終えた上質紙の清算を済ませて店を出た。レジで品物を手渡してくれた彼女の「…ありがとうございました…」と呟くように小さな声が、耳に心地よく残っている。
 これからはこの店をひいきにしようかな。
 そんなことを考えながら、俺は商店街を後にした。


「退院おめでとう――立川さん」
 にっこり笑って花束を差し出すと、少女は受け取るでもなく凍りついたように固まっていた。
 金曜日の昼下がり、病院前。両親と兄に付き添われた少女の前に俺は立っていた。
 ぱっちりした瞳が印象的な、頭のよさそうな可愛らしい少女だった。頭の両側でリボンで縛ったツインテールの髪は、独特の淡い色合いを見せる。肌の色は透き通りそうに白い。先日会った画材屋の店員の少女も際立って白い肌の持ち主だったが、目の前の少女のそれは病的なほどだ。肌といい髪の色といい、色素の薄い様子が際立っていた。もしかしたらそれは、彼女の病歴を知っていることから来る先入観によるものかもしれなかったが…。
「う…うそ…どうして。――ま、まさか、お兄ちゃん!?」
 慌てて背後に立つ巨漢を振り仰ぐ少女。ガクランを羽織った筋骨隆々の大男は、少女の疑惑を否定するように首を左右に振った。
「じゃあ…どうして和樹さ……千堂さんがここに…?」
 いや、千堂はここにいないけどな。
「立川さんを心配してくれる、親切な人に聞いてね。はっきりとは教えてくれなかったけど」
 などと言っておく。言葉を濁しておけば勝手に想像してくれるだろう。
「一体誰が……あ、もしかして、風見さん……?」
 ――ほらね。
「コレだけ届けようと思っていたんだけど、ちょうど鉢合わせしちゃったね」
 実際は退院予定時刻を聞いて来たのだが。
 改めて花束を差し出すと、ようやく彼女はおずおずと受け取った。
「郁美、こちらの方は……」
 父親らしき年配の男性が少女に声をかける。自失状態から抜け出して、彼女は慌てて俺を紹介した。
「あ、ごめんなさい。こちらは千堂和樹さん。漫画を描いている方で……」
「初めまして。お嬢さん――『立川さん』にはひとかたならずお世話になっています。彼女は俺の恩人です」
 深々と一礼して、卑屈にならないよう注意してはっきりと告げる。実情からすればセリフの内容は相当に皮肉だったが……この段階で家族に嫌われたりしたら話にならない。
 恩人と言われて少女の頬が赤く染まっていた。
「そ、その…こちらが、私の両親と兄で……私が、立川郁美です。初めまして」
 ぺこりとお辞儀する。何だか挨拶の順番が前後しているようだが、混乱しているだけで、実際は大真面目なのは疑いない。
「なるほど、こちらが……」
「あらあら。なかなか好青年で……」
 そこそこ好印象は与えたようだ。俺はこの後ご一緒にと誘われたのを、「せっかくの家族水入らずを邪魔しちゃ悪いし、郁美さんを疲れさせてもいけないので」と謝辞し、立ち去った。
 病院の門を出るところで、巨漢が門柱にもたれているのを見つける。
 立川郁美の兄だ。
 ――って、あれ、いつの間に!? 別れるときまで彼女と一緒にいなかったか!?
「よくぞここまで来た、千堂和樹」
 よく通る低い声。かなりの迫力だ。
 俺はやや警戒して身構えた。俺とこの男との絶対的な『戦力差』が肌で感じ取れる。…て言うか、ケンカになったらまず勝ち目がなさそうなんですけど。早くも腰が引けかけているのが自分でわかる。焦りと不安が心の中で水位を増していた。
 ――俺をどうするつもりだ。まさか別人だと見抜いたのか!? いやでも、千堂って呼んでるし…。
「思ったより大したヤツだ。――見直したぞ」
 それだけ告げて、大男はくるりと背を向けて立ち去った。
 ……何だったんだ、今のは……。
 俺は口をぽかんと開けてその背を見送るしかなかった。


「――千堂さん!」
 大きなリボンとツインテールが特徴的な少女が、小走りに近付いてくる。
 少し大きな公園の、中央広場のちょっと洒落た時計台の下。
「来てくれたんだ、立川さん」
 笑顔で迎える。まだ指定時刻の20分前だった。
 少女ははにかんだ笑みで応えた。
「せっかくのお誘いですから。――でも、昨夜まで気が付かなくて、見つけたときには慌てちゃいました」
 大事そうに胸元に抱いたメッセージカード。先日の花束に一緒に入れておいたものだ。
 カードの表面には『K.S.より』、二つ折りにした内側には『日曜日10時、××公園時計台』と書かれている。半ば隠すように花の中に入れておいたために、発見が遅れたようだ。危なかったかな? まあ上手く見つけてくれたからいいか。
「今日はゆっくり話せそうだね、立川さん。君とはたくさん話したいことがあるんだ」
 そう――色々とね。
「はい! 私も……千堂さんと、いっぱい、お話したいと思っていました」
 白い頬を赤く染めて、恥じらうように微笑む少女。
「ですから、今日は一日予定を空けておいたんです。兄を撒いて来るのが少々大変でしたが」
「そう。それはよかった」
 いや全く好都合――と言いたくなるのを抑え、微笑みを向ける。ぱっとまた少女の頬が赤くなった。
「それじゃ、まずは場所を移そう。ここは寒いからね。立ち話していたら立川さんの体に悪そうだ」
「はい。――あの、千堂さん……」
「ん、何だい、立川さん?」
「その……できれば、私のことは、名前で呼んでいただけますか」
「そう? それじゃ……郁美ちゃん。――で、いいかな? いきなり『ちゃん』付けも馴れ馴れしいか……」
「い、いえ! それで、結構です。そう――呼んでください……」
「わかった。それじゃ、行こうか、郁美ちゃん」
「はい。千堂さん」
「……俺のことも名前で呼んでいいよ?」
 苦笑して返すと、彼女は恥じらう仕草の後、小さく返事をした。
「…………和樹、さん……」
 ……何か気恥ずかしいな。
 俺の名前じゃないんだけどな。
 俺と立川郁美は連れ立って歩き始めた。彼女の背は俺の肩くらいまでしかない。
 改めて見直すと、小柄な少女だった。背が低く肉付きが薄い。中学2年と言う事だが、小学生と言っても通るかもしれない。それでいて表情は時にひどく大人びたものを見せた。闘病生活が、少女の精神を子供の領域から脱却させてしまったのかもしれない。
 もっとも体は子供のものでしかなさそうだが。精神もどこまで大人なんだかは、これからじっくりと確かめてあげることにしよう。


 かららん、と軽いベルの音と共に扉が開いた。
「――あの、ここ……?」
 ちょっと不安そうな顔の立川郁美が、俺に続いて扉をくぐる。
「喫茶店。マスターが趣味でやってるの。穴場なんだ」
 公園から5分くらい歩いた住宅街の真ん中にこの店はあった。看板も何も出ていない。不安に思うのもまあ当然ではある。
「わあ…」
 彼女は店内を見ると、目を丸くして感嘆の声を上げた。
 丸テーブルが二つ。カウンター席がわずかに4席。たったそれだけのこじんまりした店である。内装は薄いクリーム色で統一され、明るいのに全体としてはシックな印象がある不思議な空間だった。光源の取り入れ方がそうした『いい雰囲気』を作っているのではないかと思うが、実際のところはわからない。
 カウンターの中で初老の男性がグラスを磨いていた。やや面長で丸眼鏡をかけた、どこか愛敬のある面立ちだ。
「いらっしゃい、『千堂』くん」
「こんにちは、マスター」
「可愛らしいお客さんを連れていますね。千堂くんのガールフレンドですか?」
「はは、まあそんなとこです」
「それではお嬢さんには自家製のママレードをたっぷり使ったロシアンティーを淹れて差し上げましょう。温まりますよ」
「俺には特製ブレンドをお願いします」
 俺と立川郁美は奥のテーブルに差し向かいで座った。程なくマスターがカップを二つ持って来てくれる。ついでにテーブルの中央にはガラス皿が置かれた。
「クッキーとスコーンです。お茶請けにどうぞ」
「えらくサービスがいいね、マスター。俺のときにこんなもの出してくれたことないじゃない」
「ええ。可愛いお客さんには特別サービスですよ」
「ふーん、そうか。じゃあ、これからはなるべく可愛い女の子を連れてくることにするよ」
「是非そうしてください。華やかなのは大歓迎ですよ。――あまりやかましい方を連れてこられても困りますがね」
「このマスター、静かなのが好きなんだってさ」
 マスターはカウンターの中に戻り、俺と立川郁美はとりあえず出てきた飲み物に口をつけた。
「――美味しい!」
 紅茶を一口含んで、少女は感嘆の声を上げた。
 人心地ついてから、俺達は軽い話題で会話を始めた。少女は今まで会えなかった時間を埋め尽くそうとするかのように饒舌だった。……あまり詳しく「共通の思い出話」とかされるとボロが出るので、俺はもっぱら現在と未来の話題を振る。今彼女がどうしているのか、これからどうしたいのか、とかいったことだ。
 30分ほど歓談し、カップの中身もすっかり空になった頃。
「ええ、ですから私……。――あ……れ……」
 会話の途中で、少女はふらりと体勢を崩した。
「おっと、大丈夫? 郁美ちゃん」
 さっと手を伸ばして支える。
「え、ええ、ありがとうございます……和樹さん。あれ、変だな……体が、動かなく……」
「まずいな……救急車呼ぶかい?」
「あ、いえ、それほどでは……多分、ちょっと休めば……」
「昨夜ちゃんと寝た? 郁美ちゃん」
「あの……どきどきして、あまり寝れなくて」
「なるほど。それで疲れやすくなってるのかな。……マスター、ちょっと部屋を貸してもらえるかな。彼女、体が弱いんだ。休ませてあげたいんだけど」
 マスターは頷いて、カウンターの奥の扉を開いた。
「こちらへどうぞ」
「済みません」
 俺は彼女を抱き上げ、部屋の中に運び込んだ。
 ――お膳立ては整った。もう立川郁美は、罠の中から逃れることはできない――。
 身の内から込み上げてくる黒い衝動に任せ、俺は唇を歪めた。ふと窓ガラスに映った俺の顔は、自分でも邪悪と思える嘲弄の笑みを浮かべていた。


→進む

→戻る

→同人作家K.S.氏の過激なる報復のトップへ