第二章 それは煉獄の扉-1

 「『マンスリーメガトキオ』の記者さんですか。随分お若いんですのね」
 ソファに座って、恵麻里の差し出したデジタル身分証を見ながら、クリス・宮崎と名乗ったその女性はニッコリと微笑んで見せた。


 25、6才だろうか。目尻の吊ったややきつめの顔立ちを、ルーズなスパイラルのかかったセミロングの髪が、上手く柔和な印象に見せている。
 その髪は輝くようなプラチナブロンド。瞳は薄いブルー。肌の色は抜けるような白・・・。
 名前は日系ハーフの様だが、その外見には、東洋人らしさは少しも感じられない。
 恵麻里は向き合った相手の成熟した美しさに圧倒されながら、清潔に整えられた応接スペース内の様子を見回した。


 彼女が今いるのは、さらわれた深雪という少女が最後に向かったという場所・・・「新世界準備会」なる団体の施設で、それは意外にも、メガトキオ内でも治安の良い、まともなビジネス街の一角にあった。
 「サンクチュアリ」と呼ばれるその施設は、瀟洒な小豆色の建物で、三つあるフロアの全てが「新世界準備会」によって使われているらしい。恵麻里の通された応接スペースは、その1Fホール内にあった。


 「さっそくお話しを伺いたいのですが・・・」
 襟のないダブルのジャケットとミニのボックスプリーツに身を固めた恵麻里は、周囲の観察を中止すると、精一杯大人めいた素振りで応接テーブルの上に身を乗り出して言った。
 光沢のある明るい緑色の上下に、胸元に結んだ大きな黄色のリボンがよく映えている。
 少女がこの施設に囚われているのか、いやそもそもこの団体の実態が犯罪組織なのかどうか確信がなかったため、恵麻里は雑誌の取材と偽り、その記者を装って、単身調査に乗り込んで来たのである。
 クリスに指摘された通り、総合情報誌の記者としてはやや若すぎるかもしれないが、最近は若者向け雑誌が女子高生記者を雇ったりもするので、とりたてて不自然とは映らないはずだった。


 「・・・一部のマスコミで報道されたように、こちらの団体に所属していた会員が、去年一年間だけで14人も行方不明になっています。どう考えても異常な数字ですが、こちらでは何かお心当たりはないのですか?」
 恵麻里のした質問は、もちろん「取材」の口実ではあったが、その内容はウソやでっち上げではない。静音の検索したデータによれば、過去この団体の所属会員が、延べにして40人近くも謎の失踪を遂げているのだ。
 これにマスコミが気付いてちょっとした騒ぎになったため、この風変わりな団体名を、恵麻里もかすかに記憶していた訳だ。


 「・・・私ども『新世界準備会』では、会員の失踪について、何の心当たりもありません」
 テーブルの向こうから恵麻里を真っ直ぐに見据えたまま、この団体の広報担当だというクリス・宮崎は静かに言った。
 「一連の報道については本当に困惑しています。内容もデタラメだらけですし・・・」
 「というのは?」
 「まず失踪した人々は皆、当時すでに、当団体の会員ではありませんでした。つまり姿を消されたのは、いずれも退会なさった後のことなのです・・・」
 (退会の時期なんて、データを操作すればいくらでもごまかせるわ)
 と恵麻里は内心苦笑したが、クリスの凛とした物言いには、誠実に事情を説明しようとする熱意が感じられる気もする・・・。


 「それから、当団体の活動目的を完全に誤解なさっている報道が目立ちます」
 「確かこちらは、健康増進のための会員制クラブだと公称なさっていましたね」
 「そうですよ。内実もその通りなのです」
 クリスは大きく頷いてみせ、テーブルの上の統合リモコンパッドを持ち上げると、ホールの奥の壁に向けてスイッチを入れた。
 「ご覧下さい」
 「あッ・・・」
 特殊なマテリアルで出来ていたらしい壁は、リモコンの信号に応えてみるみる透き通り、マジックミラーのようにその向こうの情景をあからさまにした。
 そこは緩く湾曲した天井を持つ中規模の屋内プールで、会員らしい人々が数人、水着姿で動き回っているのが見える。
 彼らは皆、壁の蛇口から注がれる水を小鉢に受けて飲み、短時間プールに浸かり、また上がっては水を飲むという不可解な動作を繰り返していた。


 「あの人たち・・・ここの会員さんなんでしょうけど、何をしてらっしゃるんですか?」
 当惑して尋ねる恵麻里に、クリスは軽く微笑んでみせ、
 「あれが当クラブ独自の健康増進法です。便宜上『アクア(水法)』と呼んでいます」
 「水を飲んで水浴をするのが健康法なんですか?あの皆さんの飲んでいるのは、只の水でしょう?」
 「確かに水ですが、『只』のという訳ではありません。各種ミネラルや薬用物質が添加されているんです。詳しい成分は企業秘密ですが、もちろん危険な薬物は使用していませんよ」
 クリスはツイと腕を上げて、プールサイドに立つ、ここのスタッフらしい人物を指差した。
 それは白衣を着た老人で、会員たちに何か事細かに指示を与えている。


 「あの人が、水の成分調整を担当しているアゲット博士です。博士は『水法』を今日的に組み立て直した功労者ですよ」
 「今日的というと、似たような健康法は古くからあるのですか?」
 「ええ、呼び方は様々ですが、各国に昔からありますよ。当『サンクチュアリ』では、十九世紀のイギリスで盛んだった『ハイドロ(水療院)』という施設をモデルにしています」
 「でも・・・失礼ですけど、水を飲むだけで、本当に健康増進の効果があるのかしら?」
 我知らず揶揄するような口調になった恵麻里に対して、クリスは広報担当者らしく大げさな表情を作ってみせ、
 「それはもう!『水法』は人体を、内側から清浄に作り替えるのですよ!それに同時に、ダイエットの効果もあるのです。だからほら、若い女性の会員が多いでしょう?」
 ・・・確かにプール室にいる会員の大半は女性で、若く美しいプロポーションの者が多い。
 (でも、ということは・・・)
 と恵麻里は、口元のほくろを押さえながら考え込む表情になり、
 (仮にこの団体の実態が犯罪組織なのだとしたら、拐かす女性には事欠かない訳だわ。深雪という娘も、美容目的でここに通っていて目を付けられたのかもしれない・・・)


 「この他、二階にはストレッチの設備がありますが、これはむしろ会員の皆さんにリラックスしていただくために置いてあるのです。したがって、この『水法』を指導実践することが、当団体の主要活動と言っていいでしょう・・・」
 クリスはリモコンを操って、壁を元通り不透明に戻しながら言った。
 「どうでしょう、『新世界準備会』が、健康のための会員制クラブにすぎないことがお分かり頂けたでしょうか?」
 「報道されたような、何らかのカルト教団だとか、誘拐犯罪に携わる組織ではないと?・・・」
 「そうです。当団体では、何らかの布教を行ったり、法外な寄付を集めたり等は、一切しておりません。・・・まあ会費は少々お高いですが・・・」
 クリスの口元に微苦笑が浮かんだ。
 「・・・もしかしたら『新世界準備会』という大仰な団体名が、カルト教団らしく聞こえるのかもしれませんね。うちとしては、次世代のために健康な肉体を作って欲しい、という意味あいを込めて命名したんですが・・・」
 「なるほど、こちら様の活動内容は良く分かりました。では改めて伺いますが・・・」
 恵麻里はあえて挑戦的な表情を作り、テーブル越しにじっとクリスを見つめた。


 「会員の失踪原因について、本当に何もお心当たりはありませんか?あなたの個人的な御意見でもいいんですが・・・」
 「私個人の・・・」
 クリスの青い瞳は、少しも動揺の色を浮かべることなく、恵麻里の視線を真っ直ぐに受け止めていた。
 「・・・いいえありませんね、何も。彼らが何故失踪したのか、想像もつきません」
 「そうですか、分かりました」
 それ以上の追及をあきらめて、恵麻里は笑顔を浮かべ直し、
 「ところで、他のフロアも見学させて頂けますか?それと、会員の皆さんにもお話しを伺いたいんですが・・・」
 「いいですとも、どうぞこちらへ・・・」
 クリスは快く請け合い、恵麻里の先に立ってエレベーターへと歩き始める。その後ろ姿を見ながら、恵麻里の疑念は、今や確信に変わりつつあった。


 (深雪という娘はここに囚われている!間違いなく!・・・)
 彼女にそう思わせたのは、クリスのあくまで朗らかで泰然自若とした態度だった。
 それが、常習的に他人を欺いて生きてきた者の「仮面」であることを、恵麻里はその経験から直感的に見破っていたのである・・・。


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