最終章 淫計の果てに・・・

 恵麻里がマーメイドとして出荷される日が、ついにやって来た。



 その日の午後五時半・・・一人の男が「サンクチュアリ」の正面玄関をくぐり、迷いのない足取りでエントランスホールを抜けると、エレベーターに乗った。
 エレベーターは、施設の3F、つまり一般人が立ち入れないはずのフロアで止まり、男を降ろす。男は真っ直ぐに廊下の西端まで歩き、そこに面したドアをノックした。
 「ハイ」
 すぐに応じる声があり、ドアが内側から開かれる。
 「ずいぶん早かったわね。約束の六時まで待ちきれなかったってワケ?」
 ラフな水色のシャツとサロペットパンツに身を包んだクリス・宮崎が、ニヤニヤ笑いながら客を迎えた。
 「フン、オレはもう十分に待ったさ」
 男はズカズカと室内に歩み入り、渋面を作ってクリスに向かい合った。
 「言ってみれば、もう10年以上もこの時を待っていたことになるんだぜ。それが最後の最後でこうもジラされたんじゃ堪らないよ」
 「フフ、ご執心ね。確かに調教には時間がかかったけれど、それは獲物の活きが良かったという証明でもあるのよ」
 「だがもう、完璧に仕上がっているんだろう?」
 「ええバッチリよ。すぐに連れて帰る?」
 「当然だ。他にはここに用など無いんだからな」
 「随分ねえ。昔なじみに向かって・・・」
 クリスは軽く唇を突き出して見せ、部屋の奥の扉・・・以前、遠山深雪という少女が囚われていた小部屋・・・に向かって声をかけた。
 「アゲット、マーメイドを連れてきて。お客様がお待ちかねよ」
 「おう・・・」
 中からしわがれた声が応じ、ドアが開かれる。
 先からそこに待機させられていた恵麻里のまばゆい裸身が、奥から静々と歩み出てきた。



 例によって両手を後ろに縛められ、鎖付きの首輪もはめられてはいるが、その肌は汗じみていない。今日は出荷の日なので、薬によってバイオチップの効果を抑えられているのだ。
 念入りに風呂で身体を清め、髪をブローし直したこともあって、その女性としての美しさは神々しいまでであった。



 鎖を握ったアゲットに新婦の父親よろしく付き添われ、恵麻里は男の前に立った。
 「・・・初めまして、ご主人様」
 軽く腰をかがめ、楚々とした声を出す。
 奴隷の身分であるマーメイドは、許しもなく、客たる相手の顔を見てはいけない・・・クリスからそうきつく戒められていたため、視線は深く伏せたままである。
 「このたびは、わたくしのごとき卑しい身分の者をお買い上げいただき、まことにありがとうございます。ご主人様のお気に召すよう、精一杯勤めますので、どうぞよろしくお願いいたします・・・」
 クリスに言い付けられたとおりの挨拶を、諾々と述べる。まるで抑揚の無い、棒読みそのものの口調だ。



 恵麻里の内面は、今やその口調通り、虚無的に荒れ果てていた。喜怒哀楽という、人間らしい情がマヒしてしまっていると言っても良い。
 それも無理はないだろう。
 タトゥー、そして焼き印という、生涯消えない奴隷の証を身体に刻まれてしまった者が、今さら何を喜んだり悲しんだりする意味があるというのか。人として生きる道を絶たれてしまったも同然なのに。
 もうどうでも良い、どうにでもなれという捨て鉢な気分が、勝ち気で快活だったこの少女を、今は抜け殻のような印象に見せているのだった。



 そんな恵麻里の中で、ただ一つだけ、心残りと言うか、気がかりになっていることがある。
 それは他ならない、共に捕らわれた親友、静音のことだ。
 あえなく闇に堕し、恵麻里の肉体に奴隷の印を刻んだ彼女を、しかし恵麻里は恨んだりする気分にはなれなかった。



 静音があのように、恵麻里に対して必要以上にアテつけるような態度を取ったのは、かつて彼女が恵麻里のことを強く思慕していたからだ。
 恵麻里も、静音が自分を愛していることには以前から気付いていたのだが、それに応えることなどは考えもしなかった。彼女には青井慎也という想い人がいたし、アブノーマルな恋愛には興味もなかったからだ。
 しかし現在の恵麻里には、もはやどんなタブーも意味を為さない。
 むしろ、肉体を改造され、奴隷として調教されてしまった自分が、今本当に理解し合い、愛し合えるのは、同じ奴隷である静音だけのような気がしてくるのだった。



 (今ならば、あの娘の想いに応えてあげられるのに。この汚れきった肉体を、互いに慰め合い、慈しみ合って二人で暮らせたら、どんなに良いだろう・・・)
 そう恵麻里は思うが、しかしそれは所詮かなわぬ望みだ。
 静音の精神は、あの比良坂という男によって支配し尽くされているし、今日恵麻里が売られて行けば、二度と再び顔を合わせることすら出来なくなるのだから・・・



 「フン、なるほど、良く仕付けてあるな」
 目の前に立つ男の満足げな声で、恵麻里は我に返った。
 そう、静音と愛し合うどころではない。自分はすでに人間ではなく、今日から、この誰とも知れない男の持ち物にされるのだ。
 「調教に時間がかかっただけ、体つきも良く磨かれている。あの味の方もイイんだろうな、クリス?」
 「大した名器よ。いわゆる数の子天井ってヤツかしらね」
 「そりゃ楽しみだ。帰ってさっそく試すとするか」
 男とクリスの下卑た会話を、深く首をうつむけたまま聞きながら、恵麻里はふと訝しげな表情になった。
 (この声、まさか?・・・)
 男の低いテノールに、恵麻里は聞き覚えがあったのだ。
 いや、「聞き覚え」などというものではない。その声は、長年聞き慣れた、恵麻里にとって最も近しい人物のものだったのである!
 「もういいわ、恵麻里ちゃん。顔を上げて、新しいご主人様のお顔を拝しなさい」
 クリスにそう許されて、恵麻里は弾かれたように顔を上げ、目の前に立っている客を見つめた。果たしてそこには!・・・



 「やあ恵麻里、ようやく再会できたね」
 歪んだ笑みを浮かべて、悠然と恵麻里を見返している男・・・
 それは、孤児となった彼女が父親代わりと慕ってきた恩人であり、S・Tとしての大先輩・・・三枝祐太朗氏その人だったのである!



 「お、叔父様!・・・どう・・して?・・・」
 驚きの余りそれ以上言葉が続かず、呆然と立ち尽くしている恵麻里に、祐太朗は眼鏡の奥で片目をつぶって見せ、
 「どうしてって、つまりこういうことさ。お前はこの私が買ったんだ。今日からは私が、お前のご主人様というわけだ」
 「そんな・・・まさか・・・」
 「S・Tとして助けに現れたんじゃなくて不満かね?しかしお前も、浮き世の生活に未練があるわけじゃなかろう?奴隷として二心なく仕えると、今誓ったばかりじゃないか」
 「で、でも・・・」
 「そもそも、この組織にお前の情報を売ったのは私なんだ。というより、お前がここにやって来るよう、初めから仕組んであったのさ」
 祐太朗はニヤリと笑った。
 「あの遠山深雪という少女の父親は、最初この私にS・Tを依頼してきた。私の娘も同じ女学院に通っているから、そのよしみでね。もっとも最初からそれを見越して、わざわざあの娘をさらわせたんだが。その依頼を多忙だと断って、代わりにお前を紹介したんだ。全部シナリオ通りだったんだよ」
 「何故そんなことを?お父様の無二の親友だったあなたが・・・」
 「お前が可愛くて、常に手元に置いておきたかったからに決まってるだろう?それにこれは、お前の親父さんにも責任のあることなんだぜ」
 「えッ?」
 思いがけない言葉にギョッと身をすくませた恵麻里に、クリスがやや同情するような笑顔を向けた。
 「ウフフ、頭の中がパニックみたいね。ねえ祐太朗、この際全部説明してあげたらどう?この娘にキッチリ引導を渡すためにもさ」
 「ふむ、そうだな・・・」
 三枝氏はクリスの事務机に腰をかけると、勿体をつけるように腕を前に組み、昔語りを始めた・・・


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