「ではそろそろ行くかな。クリス、この娘の縛めを解いて、何か服を着せてやってくれないか?」
「あら、ずいぶん甘やかすのね。そんなことして大丈夫?」
これ以上長居は無用だとばかりに立ち上がった祐太朗に、クリスが少々意外そうな様子で言った。
「まさかこの格好で車に乗せるわけにもいかないだろう?飼育用には新しくワンルームマンションを買ってあるが、そこに入れるまでは人目があるからな」
「でもこの娘は合気道の心得があるのよ」
「もちろん知ってるさ。だがオレに比べりゃ、恵麻里の合気道なんてのはママゴトみたいなモンだ」
祐太朗は低く笑い、右手を握り開きして見せた。
余裕綽々なのは当然で、彼は合気道に柔剣道、合わせて十二段という猛者なのだ。
同じ有段者でも、その技量は恵麻里のはるか上を行っていて、仮に抵抗しようとしてもムダに違いなかった。
「そう、いいわ。ちょっと待って・・・」
クリスはアゲットに恵麻里の縛めを外すように言い、自分は部屋の端にあるクローゼットを引き開ける。
その中から彼女が取り出した物を見て、恵麻里はハッとなった。
(あれは!・・・)
明るい緑色をした、ダブルのジャケットとミニスカート・・・
それは、恵麻里がマーメイドにされる前に着た最後の衣服・・つまり、このサンクチュアリに囚われた日に身に付けていたものだったのだ。
「フフ、懐かしいでしょう?」
クリスは微笑み、手錠と首輪を外された恵麻里に、服をハンガーごと差し出した。
「それを着なさい。下着は私の買い置きをあげるわ。サイズが合わないだろうけど、あなたのは汚れていたので捨てちゃったのよ」
「ハイ・・・」
恵麻里は感情をグッと抑えてうなずき、真新しい下着を着け、服に袖を通す。
1ヶ月以上ぶりに身を包むものを与えられたことで、大げさでなく、泣きたくなるような安堵感が心を満たしてくるのが分かった。
「なるほど、自分の服だけあってよく似合っているな」
ブラウスの胸元に黄色いリボンを結んでいる恵麻里を見つめ、祐太朗が満足げに眇(すがめ)になる。
「そうね。服は私が一応調べたわ。武器の類は仕込まれていなかったと思うわよ」
「そんなこと気にしないさ。どうせ向こうに着いたらすぐに脱がしちまうんだ」
祐太朗はうるさそうにクリスの言葉をさえぎり、恵麻里の顎を持って仰かせた。
「さあ行こうか恵麻里。フフ、私もこれでようやく、お前の親父さんとの約束を果たすことが出来るな」
「父との約束?・・・」
「彼が死んだ後、お前のことを責任を持って守るという約束さ。安心すると良い。お前には金輪際、誰1人近づけさせん。私のペットとして、生涯大切に飼ってやるよ」
「・・・・・」
「小さな頃から、お前は天使のような愛らしさだったからな。いつかはこうして、私だけの持ち物にしてやるつもりだったのさ」
邪な念願が満たされて上機嫌な祐太朗を、恵麻里はすがるような視線で見つめ返した。
「お、叔父様、ここを出る前に、一つだけ私の願いをお聞き入れ下さいませんか?」
「え、恵麻里ちゃん、何を言い出すの?」
クリスが少し慌てた様子で割って入り、
「仕付けられたことを忘れたの?あなたはすでに人間ですらなくなっているのよ。御主人様に何かをねだれるような身分だと・・・」
「まあ良いじゃないか、クリス」
と祐太朗は軽く手振りで制して、
「願いってのは何だね恵麻里?まさか今さら逃げ出したいなんて言わんだろうな?」
「ええ、私はもう、奴隷としてお仕えする覚悟は出来ています。でも、ここに残る友人のことが気がかりです。彼女を、静音を一緒にお買い上げいただけませんか?」
「静音?ああ、あの相棒の娘のことかね」
「ハイ、私共々お持ち物にしていただければ、心おきなくお仕えすることが出来ます」
「ふうむ・・・気持ちは分からんじゃないが、そいつはムリだなァ」
祐太朗は苦笑した。
「いくら何でも予算オーバーだ。まさか女房まで下取りには出せないしね」
「そうよ、売ってくれと言ったって、私の方で売らないわ」
クリスが憤然として言い、肩をいからせた。
「あの娘は私のモノよ。ペットとして上等なだけじゃなく、新世界準備会にとっても大きな利用価値があるんだから。いくら積まれたって手放せないわ」
「と、いうことだ。あきらめるんだな」
話を打ち切ろうとする祐太朗に、恵麻里は必死の形相ですがりつき、
「お願いです!私、存分にご奉仕しますから!こんな風に!・・・」
「むッ!」
むしゃぶりつくように唇を重ねられ、その思いがけない積極的な行動に、祐太朗は一瞬虚を突かれた。そして恵麻里が舌の先で口中に送り込んできた何かを、反射的に飲み込んでしまった。
「な、何を飲ませた?・・・」
喉元を押さえ、目を白黒させている祐太朗に、恵麻里は超然とした視線を向けた。
「これよ!」
突き出して見せたジャケットの胸からは、左上のダブルボタンがむしり取られていた。
恵麻里が素早く千切って口に含んだそのボタンを、祐太朗は口移しに飲まされたのだ。
「あなたも負債を払うと良いわ。裏切られた者に対する、溜まりに溜まった負債を、自分自身の身体で!!」
別人のように凛とした声で恵麻里が言い放つ。そしてその言葉が終わらないうちに、祐太朗は激しく身をよじってたたらを踏み、そのまま仰向けに昏倒していた。
鼻と口から大量の血があふれ出て、クリーム色のカーペットを扇状に汚してゆく。一瞬ピクリと肩を揺すって、祐太朗は動かなくなった。
彼が飲み込んだボタンには、大威力を誇る特殊火薬がギッシリと充填されていたのだ!
引きちぎった途端に時限信管が作動するよう工夫された、超小型の爆弾・・・服を奪われたために、これまで使うチャンスがなかったその秘密兵器を、恵麻里は憎むべき裏切り者の体内で炸裂させたのだった。
「こ、こいつ!」
思わぬ事態に激昂したクリスが、背後からつかみかかろうと突進してきた。その右手には、デスクから取り出したスタンガンが握られている。
しかしこれまでと違い、バイオチップの効果から一時的に解放されている恵麻里の身ごなしは、驚くほどに素早かった。
「ハッ!」
鋭い気合いと共に身をひるがえし、手に持ったままだった針金のハンガーを高く差し上げる。すれ違いざま、その輪の部分が、クリスの首をスッポリとからめ取っていた。
「ぐうッ!」
獣のような呻き声を上げるクリスをそのまま背面に担ぎ上げ、二度、三度と背中で突き上げる!
ボスッ!・・・
湿った木材が砕けるような音が響き、クリスの身体は大きく背を反らせた格好のままで弛緩した。
目を見開いたままの顔が、ハンガーに引きずられてグルリと不自然に横を向く。
幾多の命を闇に引きずり込んできた猛悪の魔女は、首の骨をへし折られて絶命していた。
「お、おお・・・」
呆気に取られてこの凄惨な格闘を見守っていたアゲット博士は、ようやく我に返ったかのように目を瞬き、オロオロと後ずさった。
床の上に転がった、顔なじみの二人の死体・・・次には自分がその横に転がされるのだと、ようやく気がついた体(てい)である。
「わ、ワシも殺すつもりか?そんなことをしてもつまらんぞ!」
憤怒に満ちた表情のままズカズカと歩み寄ってくる恵麻里に、老医師は怯えきった視線を向けた。
「よ、よく考えろ!今後万一、改造された肉体に不調が生じたら、そのケアが出来るのはワシだけじゃ。それにワシならば、バイオチップの効果を、薬物で自由に調整できる。短気は損じゃ。ワシは・・わ、ワシは・・・」
次第にしどろもどろになり、慈悲を乞うように両手を高く差し上げてひざまずきながら、アゲットは我知らずのうちに激しく失禁を始めていた・・・
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