第41話 天命〜四〜


 ユフィナトアが駆ける。槍を片手に大通りを疾走する。本来騎兵である彼女だったが、今回は市街戦ということもあって、愛馬でもある一角獣のミストは一緒ではない。そのため街中を高速で移動できるようにと軽装をしてきたのだが、その彼女のスピードについてきているものがいた。
 「この国の武将・・・それも名のある方とみるのがいいわね」
 どうも移動速度はほぼ同じらしく、引き離すこともできず、追いつかれることもない。先ほどからまどろっこしい追いかけっこが続いていた。もっともユフィナトアとしてもこんな追いかけっこには興味はなく、どうにかしたい気持ちでいっぱいだった。
 「この辺り、人の気配がないわね」
 少し拓けたところに出たところでユフィナトアは辺りの様子を伺う。あたりの民家からは人の気配は感じられず、無人であることは明らかだった。この辺りならば全力で戦っても問題はなさそうだ。そう判断したユフィナトアは急停止し、槍を構えて追って来た者を出迎える。
 「ようやく戦う気になりましたか?」
 追いついてきた武将はそう言ってユフィナトアの正面に立つ。年のころは二十歳前、まだ幼さを残した少年であった。身長はユフィナトアより少し高い程度で、彼女と同じく軽装の鎧を身に纏っていた。さらにユフィナトアと同じく槍を手にしている。違うのは槍の種類。ユフィナトアが細身のランスであるのに対して、少年のやりは刃先が十文字の槍であった。
 「あなたも槍使いで?」
 「ええ。まあ、それなりの腕だと思いますが・・・」
 ユフィナトアの問いに少年は人懐っこい笑みを浮べて答える。その笑みからはとても武将とは思えない幼さが滲み出していた。しかし、ユフィナトアはそれに油断することはなかった。その瞳の奥に確固たる信念を感じ取ったからである。しばし、少年の目を見つめていると少年は恥ずかしそうに顔を赤らめて後頭部を掻きながらユフィナトアに声をかけてくる。
 「あの・・・そんなに見つめられると・・・」
 「こちらが気を抜いてくれるのを待つつもりですか?無駄ですよ、それを望むのは!」
 へらへらと笑いながら話しかけてくる少年にユフィナトアはぴしゃりと言い放つ。その言葉を聞いた少年の動きが止まる。しばし俯いたまままるで動かない。が、やがて肩を震わせ始める。明らかに笑っている。
 「くくくっ。やはり”巫女姫”様を出し抜けませんか、この程度の演技では」
 髪を書き上げながら顔を上げた少年の表情は先ほどまでの人懐っこいものではなくなっていた。鷹のごとき鋭い眼差しをした、一人前の戦士の眼差しをしていた。
 「これまで戦ってきた相手は自分の外見と顔で油断してくれていたんですけどね・・・」
 「いくら外見で油断を誘ってもその奥に秘めたものまでは隠しきれませんよ?」
 「・・・そんなもの見切れるのはごく一部の方々だけだと思いますが・・・」
 少年はユフィナトアの意見を聞きながら大きな溜息をつく。そして手にした槍とくるくると回すと、両手で握り締め、ユフィナトアに切っ先を向ける構えを取る。対するユフィナトアも片手で槍を構え、左手で大楯を構える。お互いに臨戦態勢を整えると、じりじりと距離を詰めてゆく。
 「南の国が武将、ユキムラ!参る!!」
 少年は名乗りを上げると同時に鋭い突きをユフィナトア目掛けて繰り出してくる。心の蔵をねらったその一撃をユフィナトアは悠然と大楯で受け止める。受け止めそのまま横に受け流す。その受け流す動作のまま今度はユフィナトアが雷鳴のごとき一閃を見舞う。その一撃をユキムラはすばやく槍を引いて受け止める。
 「やりますね。”巫女姫”様の中でも武に通じた方とお見受けしますが?」
 「”槍の巫女姫”ユフィナトア=サーナトリア・・・」
 ユフィナトアが名乗りを上げるとユキムラは『なるほど』と納得した顔をする。”巫女姫”の中でも自分と同じ槍使いのユフィナトアならば、この実力は納得がいった。同時にこの戦いに心躍らせていた。これほどの槍使いに出会った事はユキムラには初めての経験であったからだ。
 (はじめて全力で戦える)
 そんな喜びにユキムラは心躍らせていた。これまで味わったことのない、全力の自分が見れるかもしれない。そんな喜びに浸っていた。その喜びは構えとなって表われる。先ほどまでの正面に切っ先を向ける構えではなく、切っ先をやや下に向ける構えへと変化する。その構えの変化にユフィナトアも警戒を強くする。ユフィナトアも大楯を前にかざした格好で槍を構える。大楯で確実に受け止め、カウンターの一閃を見舞う構え。しかし、その構えを見てもユキムラに動揺はなかった。じりじりっと間合いを詰めてくる。
 (来るッ!!)
 ユフィナトアが思った瞬間、ユキムラが動く。先ほどをはるかに上回る動きでユフィナトアとの間合いを詰めると、神速の一撃を見舞ってくる。しかし、すでに大楯を前面に押し立てていたユフィナトアはそれを完全に受け止める。大楯を通して我ツン、ガツンと言う衝撃が伝わってくる。その攻撃を往なしきって反撃に移ろうと考えていたユフィナトアだったが、その目論見はあっさりと崩壊してしまう。いつまでたってもユキムラの突きが収まらないのである。これでは反撃に移ることができなかった。
 (ならばっっ!!)
 焦れたユフィナトアは大楯をさらに前に押し出す。ユキムラの攻撃の勢いを殺して反撃に出るつもりでいた。案の定ユキムラの攻撃が収まる。その瞬間を狙って楯の隙間を縫うような一撃をユキムラ目掛けて繰り出す。かわし切れる筈がない渾身の一撃、そのはずであった。
 「えっっっ???」
 ユフィナトアの一撃は空を切る。そこにいるはずのユキムラの姿がそこにはなかったのだ。予想外のことにユフィナトアの体勢が崩れる。すると間合いの外からユキムラが飛び込んでくる。今度はユキムラが渾身の一撃を見舞う。この攻撃をユフィナトアは何とか体を捻ってかわそうとする。しかし、それを上回るスピードで迫ったユキムラの槍がユフィナトアの左肩に命中する。鈍い金属音を立てて肩当てが吹き飛ばされ、肩口を深く切り裂かれる。痛みはあったが追撃される方を嫌ったユフィナトアは大きく跳び退る。
 「あの一撃をかわしますか・・・」
 ユキムラは嬉しそうに笑う。まさか今の一撃をかわされるとは予想もしなかったようだ。対するユフィナトアの方は憮然としていた。どうやったのかはまるでわからない。しかし、ユキムラは最後の一撃を見舞った瞬間、ユフィナトアの攻撃の間合いから外れ、ユフィナトアの攻撃が終わった瞬間、飛び込んできたのである。
 「どんなマジックを・・・」
 肩口を押さえながらユフィナトアは先ほどの攻撃がどのように行われたかを考える。しかし、どう考えても人間の動きとは思えない。魔法でも使ったのかとも思ったが、ユキムラにそれらしい力は感じられない。いくら考えてもその攻撃方法が思い浮かばない。
 「ならば、直視して見極めるまで!!」
 覚悟を決めたユフィナトアは大楯を投げ捨てる。肩の傷は思ったほど深くはなかったが、それでも大楯でユキムラの攻撃を耐え切るのは難しかった。ならば直視して際ほどの攻撃のトリックを見極めた方がいいと判断したのだ。槍を両手で持ち、腰を落として構える。
 「こちらの技を見極めに来ましたか・・・」
 ユフィナトアの構えの変化をユキムラは瞬時のそう読んだ。ならばとばかりに距離を詰め、攻勢に出る。鋭く踏み込み、何度も槍で突きたてる。相手に自分の技の本質を見極められる前に倒してしまおうという攻撃だった。その攻撃をユフィナトアは巧みに槍を操って防いでゆく。
 (さて、どんな種明かしが待っていることやら・・・)
 ユフィナトアは最小限の動きでユキムラの攻撃を往なす。穂先で繰り出されるユキムラの槍の進行方向を少しだけずらしかわすという技でユキムラの動きを観察する方に専念する。動きを観察されている自覚のあるユキムラだったが、それを無視するかのように何度も攻撃を繰り出してくる。
 (肩、脚捌き、どれもこれといった変化はない。というよりさっきのような攻撃は来ていない・・・)
 ユキムラの攻撃を捌きながらユフィナトアはそのときを伺っていたが、ユキムラの方も奥の手をそう簡単に見せるようなへまはしなかった。ならばとユフィナトアは少しだけ後退し、ユキムラを誘い込む。その誘いにユキムラは敢えて乗ってくる。もちろんユフィナトアが隙を見せないことを承知の上で。
 (下手にこちらの奥の手を見せればたちまちやられてしまう。あの技はかわせない隙を突かなければ・・・)
 ユキムラは攻勢に出ることでユフィナトアの隙を窺う。自分の動きをいくら観察されても構わない。必殺の一撃だけ見切られなければ自分が勝つ自信があった。だからその隙を生み出そうと絶え間なく攻撃を繰り出す。ユフィナトアの誘いにも敢えて持った。ユキムラの連続突きをユフィナトアはこれまで通り槍の穂先を使って往なしてゆく。ほんのわずかな隙も見せないユフィナトアにユキムラは内心感嘆していた。並みの武将ならこの猛攻にわずかなりとも隙を見せるはずなのに、ユフィナトアは冷静に攻撃を捌いて隙を見せないのである。
 (どうする・・・このまま・・・)
 このまま攻撃を続けていても隙が生まれる可能性は低い、ユキムラはそう感じていた。ならば一度やりを引いて様子を見たほうがいいかもしれない、ユキムラがそう考えた瞬間だった。ユフィナトアが足元のぬかるみに脚を取られる。わずかだがユフィナトアの体勢が崩れ、隙が生まれる。そのわずかな隙を逃す手はない。ユキムラは渾身の必殺突きをユフィナトアに見舞う。
 「秘儀”陽炎”!!!」
 繰り出された槍は狙いを違わずにユフィナトアの心の臓へと迫る。本来ならば間合いの外でのことなのでこの攻撃を喰らう心配はなかった。だが、ここに来て間合いが延びる礼の攻撃が来たのである。体勢を崩したユフィナトアにはそれをかわす余裕はなかった。だからじっと相手の攻撃を注視してその技を見極めようとする。
 「・・・・・・・・」
 ユキムラの手には確かな手ごたえが伝わってくる。それは間違いなく自分の槍がユフィナトアを捕らえた証拠であった。しかし、ユキムラの表情は晴れなかった。確かに手ごたえはあった。あの状況で避けることは不可能である。ならば自分の攻撃がユフィナトアの心の臓を捕らえているはずだった。なのに、その確証がもてなかった。槍を喰らったユフィナトアは前屈みになり、槍を伝って紅いものが滴り落ちてくる。だが、本当に心の臓を捕らえたのかはユキムラには判別できなかった。
 「あと・・・コンマ数秒・・・」
 槍を引き抜こうとしたユキムラに声が掛けられる。それは間違いなくユフィナトアの声であった。前屈みになっていたユフィナトアが体を起こす。彼女の心の臓目掛けて繰り出された槍は左腕とその上にある脂肪の塊によって致命傷を妨げられていた。
 「あとコンマ数秒遅かったら、確実に心臓を貫かれているところでした・・・」
 額に脂汗を浮べたユフィナトアの言葉にユキムラは大きな溜息をつく。自分の渾身の一撃はあっさりと止められてしまったのである。それが悔しくてならなかった。ユキムラが槍を引き抜くとユフィナトアはがくりと膝をつく。致命傷は免れたとはいえ、傷が深いものであることに違いはなかった。
 「どうしますか?すでに勝負は決しましたが・・・?」
 「貴方の勝利・・・ということですか??」
 ユキムラの降参勧告にユフィナトアは額に脂汗を浮べて聞き返す。ユキムラは『無論』と頷く。心臓に喰らわなかったとはいえ、ユフィナトアの受けた傷が深いことは誰の目にも明らかだった。この傷ではこれ以上戦うことは不可能である。だからユキムラは降伏勧告をしたのである。
 「残念ですけど、まだ戦いは終わっていません・・・」
 「その傷でどうやって戦うというのです?」
 「こうやって戦うんですよ!」
 ユキムラはどうあっても降伏しないユフィナトアに問い詰めると、彼女はにこりと笑って唇に指を当てる。澄んだ口笛があたりに響き渡る。何をしたのかといぶかしむユキムラに答えるように、遠くから馬の嘶きが聞こえてくる。それは高速で大地を駆け、こちらに近付いてくる。
 「なにが・・・???」
 何かの接近を察したユキムラは臨戦態勢に入る。しばらくすると、遠くから馬が駆けてくるのが見える。それもただの馬ではない。額に角を生やした純白の馬であった。
 「一角獣・・・」
 戦場に現れたそれは一角獣のミストであった。ミストはユフィナトアのそばに佇むと、鼻先を彼女の頬にこすり付けてくる。そんなミストの首筋をユフィナトアは優しく撫でてやる。
 ”主よ、無事か?”
 「無事・・・とは言い難いかな?」
 ミストの問いかけにユフィナトアは顔をしかませて答える。胸の傷は意外に深く、痛みも激しい。そんなユフィナトアの傷を見つめたミストはその傷口を舐めてくる。
 ”この程度の傷、怪我とは言うまい?”
 ミストはそう言うと今度はその額の角をその傷口にかざしてくる。その角が光りだすと、傷ついたユフィナトアの胸が、腕が、肩が癒されてゆく。ものの数秒でその傷は癒え、ユフィナトアは何事もなかったかのように腕の具合を確かめる。
 「有難う、ミスト」
 ”お安い御用だ、主よ”
 ユフィナトアの礼にミストは鼻を鳴らして答える。その首筋を撫でたユフィナトアは視線をユキムラの方に向ける。ユキムラは傷が完治しているのをみると困った顔をする。折角隠しておいた秘技まで使って倒しにいったというのに倒せなかったのでは意味がない。
 「やれやれ・・・まだそんな隠しだまが残っていましたか・・・」
 「忘れていたんですか?わたしは一角獣の騎士、このミストとは一心同体ですよ?」
 ユフィナトアに笑顔で答えられたユキムラはやれやれと肩を竦める。ユフィナトアが一角獣の騎士であることを忘れていたわけではない。ただ目の前に現れたユフィナトアがミストと一緒ではなく、単騎で現れたため、彼女のことを槍の使い手と思ってしまったのだ。
 「しかし、何で大切な相棒と一緒に来なかったので?」
 「自分の槍使いとしての力を試した方のです。まあ、落第点でしたが・・・」
 ユキムラの問いかけにユフィナトアはにっこりと笑うと、ミストに手を掛け、その背中に跨る。そしてそれまで使っていた槍を地面に突き立てると、胸元に手をあて祈るような姿勢をとる。やがて胸元に光が集まり、そこからそれまでの槍よりもさらに長く、一角獣の角を模した槍が出現する。
 「それが貴方の本当の武器ですか?」
 「ええ。これが私の神具”エレメンタル・ランス”・・・そして」
 ユフィナトアの言葉に答えるように今度はミストの体が輝き始める。その白き体を白銀の鎧が覆いつくしてゆく。いかなる攻撃をも跳ね返すような鎧がミストの体を守る。
 「もう一つの神具”シルバー・メイル”です」
 ミストの首筋を撫でながらユフィナトアはにっこりと笑う。その美しさに見とれていたユキムラだったが、やがてやれやれとまた肩を竦める。攻防一体ともいえる神具の出現にどうしたものかと考え込む。馬を狙っても倒せるような鎧ではない。ならばユフィナトアを直接狙うしかない。
 「とはいえ、貴方のことだ。先ほどの攻撃で・・・」
 「はい、貴方の攻撃は見切らせていただきました」
 ユフィナトアはきっぱりと答える。予想していたこととはいえ、そうきっぱりと答えられてはユキムラも苦笑するしかなかった。そして彼女の答えを疑いもしなかった。そこまできっぱりと言い切るのだから間違いなく見切られていると。自分の技に絶対の自信を持っていたユキムラだったが、完璧な技ではないことは彼自身が一番よく心得ていた。だから見切られたときどのような対応をするかもわかっていた。
 「ちなみにお聞きしますが、この技のキモはどこで?」
 「腰、ですね?」
 ユフィナトアにきっぱりと言い切られたユキムラは観念する。彼女は間違いなく自分の技を見切っている、そう確信した。ユキムラの秘技”陽炎”の最大の秘密はユフィナトアに見切られたとおり腰にあった。相手をつく瞬間、逆脚で突きにかかり、相手が避けようとしたりしたところで腰を捻って距離と威力を稼ぐ、そう言う技であった。そう言う技であるからその技の秘密を見切られたらそこまでの技でもあった。
 「やっぱり見切られていましたか・・・後は自分の腕を信じるしかないですね・・・」
 ユキムラは大きな溜息をつくと、愛用の槍を握りなおす。ここまで来たらこれまでの自分の日々の鍛錬を信じて戦うほかにない。鍛錬は嘘をつかない、その言葉を信じて戦うしかない。対するユフィナトアも槍を構えてユキムラの攻撃に身構える。
 「やはりまだやりますか?」
 「ええ。ここで退く事は我が主を裏切ることになりますから」
 ユフィナトアの問いにユキムラはにっこりと笑って答える。その答えに覚悟を感じたユフィナトアは自分も全力でぶつかってゆく覚悟を決める。ミストに優しく語り掛けると、ユキムラ目掛けて飛び込んでゆく。
 「神の槍に宿れ、炎の力よ・・・”フレイム・ランス”!!」
 手にした槍に炎の力を宿すと、ユキムラを突く。その突きをユキムラは弾き返そうとするが、槍に宿った炎の力がユキムラの肌を焼く。肌を焼く痛みに耐えながらユキムラは”陽炎”で突き返す。だが、すでに見切られた技はユフィナトアには通じなかった。軽々と弾き返され、今度は雷を纏った槍が襲ってくる。
 「ぐはぁぁっっ!!」
 激しく大地に叩きつけられたユキムラにさらに落雷が追い討ちをかける。全身を引き裂かれるような激痛をユキムラは必死になって耐え抜く。全身を炎と雷の力で焼かれ、ユキムラにはもはやほとんど力が残されていなかった。
 (さっきまでは逆だったんですけどね・・・)
 ほんの数刻前までは傷つき膝をついていたのはユフィナトアの方だったはずである。なのに今は自分の方が膝をつき、ユフィナトアの方が自分を見下ろしている。これが”巫女姫”の実力とその力の違いをユキムラはしみじみと実感する。
 (まあ、このままやられるのは性に合いませんね・・・)
 とはいえ秘技を破られた今、ユキムラに残された技は一つしかなかった。その技を使うことは非常に危険であり、自分の師にも止められた技であった。しかし、普通の技では最初からユフィナトアを止めることは敵わない。ならば自分の命をかけて主を守って見せようとユキムラは心に決める。
 「まだ・・・やりますか?」
 「はい。まだ遣り残したものがありますから・・・」
 ユキムラはゆっくりと立ち上がると、また槍を構える。その構えは先ほどまでよりもさらに穂先を下にした構えであった。その構えに何か異様なものを感じながらもユフィナトアはそれを受けて立とうとする。しばしのにらみ合いの後、先に動いたのはユフィナトアの方だった。ミストを駆り、超高速でユキムラに迫る。そのユフィナトアの動きを見ようともしないで、ユキムラは目を閉じてじっと力を溜め込む。まるで自分の命まで注ぎ込むかのように・・・
 「絶技・・・”閃鋼泉”!!!」
 ユフィナトアが間合いに入ると同時にユキムラは槍を大地に突き立てる。ユキムラの全エネルギーを受け取った大地はまるで間欠泉のように石の槍を噴出し、ユフィナトアを包み込む。渾身の一撃は確実にユフィナトアを捕らえたはずであった。その手ごたえを感じたユキムラは笑みを浮べる。
 「すごい技ですね、それが貴方の最後、最強の技ですか?」
 笑みを浮べたユキムラの背後からユフィナトアは悠然と声を掛けてくる。一瞬勝ちを意識したユキムラの表情は一変して暗くなる。
 「この勝負、僕の負けみたいですね・・・」
 またしても漏れる大きな溜息をつきながらユキムラは神妙な顔で背後を振り返る。そこには風を纏ったミスとに跨ったユフィナトアが悠然と立ち尽くしていた。
 「ちなみにどうやったかわしたんですか?」
 「ミストに風の力を纏わせて高速で駆け抜けただけです」
 ミストを撫でながらユフィナトアは悠然と答える。あの一瞬でそんなことができるとは思わなかったユキムラは完全に自分の負けを認める。力尽きたように片膝をつき、そのままへたり込んでしまう。もちろん体力が尽きたわけではなかった。その証拠にユキムラの腹部は真っ赤に染まっている。
 「どうしたのですか、その傷は???」
 「この血ですか?先ほどの技は自分の血を媒介として発動します」
 「血を?」
 「ええ。そしてその血の量が多ければ多いほど、その威力は増します」
 ユキムラは苦しそうに息を吐きながら先ほど自分が放った技の説明をする。アレだけの威力を持った技にするには相当の血が必要であった。その威力を稼ぐためにユキムラはひそかに腹を割き、その血を媒介としていたのである。 
 「自分の命を捨ててまで勝利にこだわったというのですか?」
 「ええ。それだけ主を守りたかっただけです。それに絶技・・・というのはそう言う技なんですよ」
 ユキムラはもう目の前が真っ暗になっていたが、ユフィナトアの問いに笑って答えた。悔いがないわけではない。守ろうとした主を守りきれないで死んで行くのだから悔いが残る。それでも自分の持てる力の酢で手を出し切った勝負ができたことは満足であった。
 「最期に戦えたのが貴方でよかったですよ・・・」
 顔中に脂汗を浮べながらもユキムラはにっこりと笑う。そのユキムラにユフィナトアは近付いてゆく。彼女の気配を感じたユキムラは何も言わなかった。彼女のことだ、苦しむ自分を楽にしようとしているのだと思った。さからこのまま彼女に介錯されるのも悪くない。そう思っていた。
 「これでもう大丈夫でしょう」
 しかし、ユフィナトアがかけてきた言葉はまったく違っていた。思いもしなかったユフィナトアの言葉にユキムラは思わず目を開ける。痛みも苦しさもない。慌てて腹部を覗き込むと、先ほど切り裂いた傷は完全にふさがっていた。傷跡すら残っていない。
 「まったく貴方という人は・・・勝手に死なれたらあたしの寝覚めが悪いでしょう!!」
 ユフィナトアは馬上からユキムラを見下ろしながら頬を膨らませる。ユフィナトアの言葉にユキムラは思わず目が点になってしまう。そんなユキムラを指差しながらユフィナトアはさらに文句を捲くし立てる。
 「守りたい方がいるのだったら、どんなことをしても生き抜いてお守りするのが筋でしょう?」
 ユフィナトアの毅然とした言葉にユキムラははっとなる。自分がここで死んだからといって主を守りぬける訳がない。守り抜くならば地を這いずってでも、泥を啜ってでも生き抜いて主の前まで戻ること、そして主の楯になること、それが本当の意味で守るということではないか。主のために死ぬことこそ美徳、と思い込んでいた自分の考えの甘さを指摘されユキムラががっくりと項垂れる。
 「ふふっ・・・僕の完敗ですね・・・何から何まで」
 「では、あたしは行きますね。戦いの末を見守りたいので・・・」
 「末?貴方がただけではないのですか、この国に入り込んだのは?」
 「もう一人、すでに宝玉の元に向かった方がいらっしゃいます」
 ユフィナトアはきっぱりと答える。その言葉にユキムラはやられたと顔を手で覆って天を仰ぐ。”巫女姫”という目立つ相手を囮にして自分たちの気を引いておいたのだ。その間に別働隊が動く、そんなこと普通に考えればわかりそうなことである。しかし、城は周囲を沼地に囲まれ、この城下町を通らなければ城には近づけないという先入観がおとりという策を頭から否定してしまっていたのだ。
 「やれやれ・・・何から何までやられましたね・・・」
 「見事であろう?これが我が主、エリウス様の策だ」
 ユフィナトアは自慢そうにそう言うと、ミストを駆って城のほうに向かってゆく。その顔がやや赤く染めていた事に気付いたユキムラは溜息をつきながら頭を掻く。
 「まったくまいったね・・・あんな顔をされるなんて・・・」
 ユキムラが顔を上げたころにはすでにユフィナトアの姿は見えなかった。だからユキムラはきっぱりと口に出して言うことができた。
 「ここまで完敗だと、本当に惚れてしまいそうですよ・・・相手が神であっても・・・」
 ユキムラはそれだけ言うとその場に大の字に倒れこむ。傷を癒してもらえたとはいえ、まだ動くことは出来そうにない。どんなに頑張っても最期の戦いには間に合いそうにないことはユキムラ自身が一番よくわかっていた。だから心の中で祈ることにした。
 (我が主よ、どうぞご無事で・・・)
 その祈りが届くことを願いながらユキムラは静かに目を閉じるのだった。



 南の国主城、それは沼地に囲まれたところに建っていた。一歩でも嵌れば抜けられない沼地、そこを抜けて城に行き着くにはどうやっても城の正面にある城下町を抜けなければならない。もし沼地を船で抜けようとしても、見張りが厳しく、すぐに通報されて奇襲をかけることは難しかった。それゆえか、船で近付こうとするものへの警戒は強かったが、それ以外への警戒は皆無といってよかった。
 「船への警戒が強すぎたということか・・・」
 城の見えるところまで来たシグルドはその警戒の薄さに正直驚いていた。沼地の方への警戒はほとんどなく、時折見回りが船の様子を伺う程度であった。
 「この程度の警戒では見つからずに十分渡れるな・・・」
 警戒の薄い沼地を渡るなどシグルドにとってはどうということもなかった。普通なら自重で沼に沈みそうになるところを己が体重を消した走る方法で渡ることがシグルドにはできた。もちろん、そんなことができるのはシグルドにしかできない。
 「さてそろそろ時間だが・・・」
 もちろんシグルド一人で沼地を渡ったからといって見つからない可能性は低い。そこまで考えていないエリウスではない。すでに川沿いからリザードマンの部隊を沼地に配し、時間と共に陽動のために一斉蜂起することになっている。自分たち大部隊、ユフィナトアたち城下町を抜ける者、そしてリザードマン部隊と三重の囮部隊を配してあったのだ。その好きにシグルドが場内に侵入し、宝玉を持ち帰る、そう言う手はずになっている。もちろん、宝玉の守り手のことまで考えての部隊の配置である。
 「ふむ、どのようなものが守り手なのか、楽しみだな・・・」
 守り手のことを考えながら顎に手をやっていたシグルドの耳に騒ぎ声が聞こえてくる。どうやら城門の方で戦いが起こっているらしい。おそらくはリザードマン部隊が一斉蜂起し、城門に取り付いたのだろう。ならばこちらも動かなければならない。
 「さてと・・・」
 茂みから姿を表したシグルドは一気に沼地へと掛けてゆく。そして沼地へと飛び降りるとまるで平原を掛けるように沼地を駆けて行く。普通ならば沈みそうな脚も軽やかに駆け、沼地の上を疾走してゆく。あっという間に沼地を駆け抜けたシグルドは誰にお見咎められることなく城壁に取り付く。
 「お宝の在り処は最上階が普通だが・・・」
 まずは城の中に潜り込まなければ話は始まらない。石垣を駆け上がると城壁を易々と飛び越える。城内に侵入したシグルドが降り立ったのは中庭であった。広い中庭に降り立ったシグルドはすぐさま戦闘態勢に入る。彼の進入を強烈な覇気が迎えたのだ。
 「これはこれはなかなかの覇気だ・・・」
 「うむ。ここまで一人で入り込んでくるものがあろうとはな!」
 その覇気を感じ取ったシグルドはさも楽しそうにその覇気を発する相手の方を見る。そこでは真紅の鎧に身を包んだ男が馬に跨ってシグルドの方を睨みつけていた。その覇気、出で立ちから見てもただの武将とは思えない。一目見てそう感じていた。
 「これは余ほど名のある武将なのでしょうね?」
 「申し遅れた。我は南の国が領主、シンゲン!」
 「!!貴方が・・・」
 毅然とした態度で名乗りを上げた男の正体にシグルドは歓喜した。この国の大将であり、噂ではこの国一番の騎馬の使い手。その彼と戦えることはシグルドにとってこの上もない喜びだった。そして折角相手が名乗りを上げたというのに自分が名乗りを上げないのは失礼だと、槍を下げて堂々と名乗りを上げる。
 「ヴェイス軍第二軍団大将軍、シグルド=ウォーカス!!」
 シグルドが名乗りを上げるとシンゲンも歓喜の笑みを浮べる。シグルドの名前は馬上戦では大陸一とも言われている。その彼とさしで戦えることは武士としてこの上もない喜びであった。
 「天のこの采配に感謝する!!」
 「まさに天の思しめしだな・・・」
 この戦いに喜び、天に感謝の言葉を漏らすシンゲンに対してシグルドはこの戦いを演出したエリウスのことを思い出す。天上の神であるエリウスがこの戦いを演出したのだから、シンゲンの言うとおり天の采配と言ってもおかしくはない。
 「では始めますかな?」
 シンゲンはそう言うと腰の刀を二刀とも抜き放つ。そして馬の腹に蹴りを入れるとまっすぐシグルドに突っ込んでくる。飛び込んできたシンゲンは二刀を駆使してシグルドに襲い掛かる両手は刀でふさがっているのだから手綱は握っていない。なのに馬はまるでシンゲンの意思を組むかのように、彼の思った方向に動き、シンゲンの攻撃をサポートする。
 「まさに人馬一体、ということか・・・」
 人の身でありながらここまで馬と一体になって攻撃を仕掛けてこれるものがいた事にシグルドは感嘆した。そしてその馬との絆の強さに感服した。これほどの男ならばストナケイトと競い合ったころのような自分に戻れるかもしれない、そうも思った。そんなことを考えながらも腕を巧みに動かし、くるりと槍を返し、シンゲンの刀を往なす。
 「やりますな。では、こういうのはどうでしょう?」
 シンゲンはシグルドの防御に驚きながらも次の手を打ってくる。力のこもった一閃がシグルドに襲い掛かる。この攻撃をシグルドは悠然と受け止める。しかし、その力は思いのほか強く往なすことができない。槍がグッと押し込まれたところでシンゲンはもう一刀を振う。
 「なるほど、いい攻撃だ!!」
 顔面に迫る突きにもシグルドは冷静さを失わなかった。槍を傾けシンゲンの力を別方向へと流す。流しながら槍を返し、鋭い突きを弾き飛ばす。流れるような防御法にシンゲンが目を見張ると、今度はその姿勢を流すように攻撃が放たれる。
 「せいやぁっぁっっ!!」
 気合のこもった声と共に鋭い突きが三連続で見舞われる。どれも急所を狙った攻撃であった。シンゲンもこの攻撃を両手に持った刀を駆使して往なす。お互い致命傷を狙った攻撃を紙一重でかわす防御で乗り切る。二人は一度距離を取るとニヤリと笑う。
 「噂どおりの腕前。さすがは最強に騎兵、ですな!!」
 「そう言う貴方も素晴らしい操馬術です」
 お互いにお互いの実力を認め合い、感嘆する。しかし、いつまでも馴れ合いをしている余裕はない。こんな楽しい時間がいつまでも続くわけがない。おそらくシグルドの侵入に気付いた兵が集まってくるだろうし、その兵達がシンゲンの戦いを許すはずがない。そうなればお互いの戦いは終わりを告げることになる。
 「もっと戦っていたかったですが・・・」
 「そう言うわけにもいきませんな」
 二人の耳には騒ぎ声がこちらに向かってくるのが聞こえていた。おそらくシグルドの侵入がばれたのだろう。こうなってはそんなに長い時間戦って入られない。お互いに次の一撃で決着をつけるべく、総ての力を武器に込め、お互いを睨みつける。
 「いざっ!!」
 「参る!!」
 しばしにらみ合った二人は大きく跳躍し距離を詰め最後の一撃を、渾身の力を込めた一撃を放ちあう。シンゲンの両刀を握り締め馬上から天高く飛び上がり、天から煌めく雷の如くシグルドに振り下ろす。シグルドは後ろ足に全脚力を込めて突進し、槍を回転させながら流星の如く繰り出す。
 「「チェスト〜〜〜〜〜!!!!」」
 二人の気合のこもった、全生命力を込めた声が響きあう。ようやくそこに駆けつけたシンゲンの家臣たちが見たものは、深々と腹部を刺し貫かれたシンゲンの姿であった。シグルドの回転をつけた一閃がシンゲンの鎧を弾き飛ばし、腹部を深々と抉ったのである。
 「殿〜〜〜!!!」
 青い顔で叫ぶ家臣たちの声にシンゲンの体がぐらりと傾く。シンゲンの体は槍から落ち、大地に叩きつけられる。慌てて駆け寄った家臣たちが見たものは苦しそうな息遣いのシンゲンの姿であった。腹部は深々と貫かれ、疲れた部分の内臓は潰れ、引きちぎれ、はみ出していた。そこからあふれ出す血はいくら止血しても止まることは無く、地面を赤く染めてゆく。
 「ぐうぅっ・・・ここまで・・・か・・・」
 何とか意識を取り戻したシンゲンは苦しそうに呻く。勝ちを取りにいった一撃であったはずなのに、自分がこの様ではお笑いである。最も負けではないことはシンゲンが一番よくわかっていた。腹部を貫かれる瞬間、確かな手ごたえを感じていた。
 「引き分け・・・ですな・・・」
 同じく苦しそうな声でシグルドが応じる。その左腕は切り落とされ、右腕も何とかついている程度の状態であった。シンゲンの両刀がそこまで切り裂いたのである。シグルドも前足を折り、その場に蹲ってしまう。もうこれ以上立っている事も困難であった。目の前は真っ白に染まり、意識は時々途絶える。
 「お互いこの続き・・・」
 「あの世とやらでやるとしますか・・・」
 シグルドとシンゲンはお互いに目線を交し合うとニヤリと笑う。お互いにもう長くないことはよくわかっていた。そんな二人に涼しげな声がかけられる。
 「まったく殿方というのはどうしてこう命を粗末にするんでしょうか?」
 その涼しげな声をかけたものはふわりと中庭に降り立つ。その姿はまるで天から舞い降りた天女のようであった。その声の主をシグルドはよく知っていた。
 「イシュタル様・・・ですか??なぜ、ここに??」
 「エリウス様がけが人が出るだろうから行きなさいとお送りくださったのです」
 イシュタルはそれだけ言うと、二人の傷口を見て廻る。眼の前に降り立った天女が敵側のものであることを悟ったシンゲンの部下達は慌てて抜刀し、シンゲンを守ろうとイシュタルに襲い掛かる。が、その太刀は一刀として彼女には届かなかった。見えない楯が彼女を守っていたのである。
 「イシュタル様は怪我人を癒すためにここに来たのです。おとなしくしていてください!!」
 シグルドの隣に降り立った少女が凛とした声でそう宣言する。その迫力に気圧された部下たちはそれ以上動くことは出来なかった。
 「シェーナ様まで・・・」
 「イシュタル様の護衛です。でも、わたしは必要なかったかも・・・」
 にっこりと笑ったシェーナは城壁の方に目線を映す。そこには二人の人影がいつの間にか立っていた。一人は角の生えた馬に跨り、もう一人はつまらなそうに欠伸をしながらその肩に誰かを担いでいた。もちろんその二人とはユフィナトアとオリビアであり、二人ともそれ以上部下が動こうとすれば攻撃すると威嚇の姿勢をとっている。
 「お二方ともご無事ですか?」
 「わたし達は無事です。でも・・・」
 「ゼロがこの有様・・・」
 オリビアはやれやれと肩を竦めながら自分の肩にいるゼロをみる。サスケの爆発に巻き込まれたゼロは両手、両足とも吹き飛ばされ、体のほとんどを失い重傷であった。何とか命は取り留めたようだったが、動くことが出来ないためここまで連れて来たのである。最初はユフィナトアがミストで運ぼうとしたのだが、ミストがオスに触ることを嫌がったため、やむなくオリビアが肩に担いできたのである。
 「かなりの重傷だよ。イシュタル、こいつも・・・」
 「残念ですがオリビア様。その子にわたくしの回復魔法は効果ありません」
 ゼロの傷を癒すようにイシュタルに求めると、イシュタルは困った顔で答える。人工生命体であるゼロには回復魔法は効果なかった。いや、効果がないわけではない。その効きが悪すぎるのだ。そのため、少しくらいの怪我ならば自己治癒で治すことができるし、重傷であればドクターの下で治療しなければならない。
 「つまりこの子はドクター送りって事?」
 「そうなりますね。魔天宮までお連れしてドクターのお渡ししましょう」
 折角ここまで運んできたのにとオリビアは大きな溜息を漏らす。その間にイシュタルはシンゲンのお腹の傷を癒してしまう。あれほど深くひどい傷をイシュタルはあっという間に癒してしまう。傷口は癒え、まるで何事もなかったかのように傷跡も残さない。イシュタルは今度はシグルドの怪我の方をみる。切り落とされた左腕を宛がうと呪文を唱える。みるみるうちに傷口がふさがり、切り落とされた部分はわからなくなってしまう。右腕も同じように癒してゆく。
 「これで一応終わりです。ですが、体がなじむまで一週間ほど安静にしていてください」
 「おとなしくしていろと?」
 シグルドが尋ねるとイシュタルはきっぱりと頷く。その顔には槍を持つことも許さないと書かれている。下手に素振りなどしていて見つかったら、何を言われるかわかったものではない。そのことを考えるとシグルドはおとなしくしているしかないかと諦め顔になる。シグルドの傷が癒し終わるころにはシンゲンの意識も完全に戻り、自分の傷口を見つめながら憮然とした表情を浮べる。
 「何かご不満があるようで?」
 「命を助けていただいてこういうのは心苦しいが、何故、あのまま死なせて下さらなかった?」
 真顔でそう言ってくるシンゲンにイシュタルの眉がはねる。納得の行く戦いができたシンゲンにもう未練はなかった。あるとすれば跡継ぎを設けられなかったことくらいである。それもこの戦いに比べたらたいしたことには思えなかった。だからこのまま逝けると思った満足感が薄らいだことが納得いかなかったのである。イシュタルはそんなシンゲンをキッと睨みつけると、きっぱりと言い放つ。
 「死ぬのは貴方の勝手でしょう!!ですが、残された者たちのことを考えたことはありますか!!?」
 イシュタルの言葉にシンゲンははっとなり周囲を見回す。彼の周りには彼を慕っている兵士達の姿がある。皆シンゲンのために戦ってきた兵であり、彼が愛した女達である。皆が彼を取り巻き、シンゲンを心配そうに見つめている。自分はこの者達を見捨てて逝こうとしていたのかと思うと、心苦しくなってくる。
 「エリウス様からのお言葉です。『死する敗将は楽なれど愚かなリ、生きる敗将は苦しくとも気高きなり』。シンゲン公、貴方はどちらを選びますか?」
 イシュタルは静かに語りかけてくる。シンゲンにはもう答えは決まっていた。敗将としてこのまま死んでいけば楽であるし自分は満足できる。しかしそれは逃げただけのことである。負けた後のこの国を立て直すことこそ苦難の道ではないか。死ぬことはその戦いから逃げ出したに他ならない。
 「そなた達、わしと共にまた戦ってくれるか?」
 「はい、御館様とどこまでも・・・」
 彼を取り巻くものの一人が代表してシンゲンに答える。自分にはまだ戦いが残されている。そのことを自覚したシンゲンは晴れやかな顔をしていた。シンゲンに生きる希望が甦ったことを見届けると、イシュタルはシグルドたちを連れて魔天宮に帰還する。その手にはいつの間にか宝玉が握られていた。シンゲンはそのことに気付いたが何も言おうとはしなかった。勝ったのは彼らである。そして宝玉は彼らが必要とするものであり、これからこの国を建て直そうとする自分には必要のないものであった。
 「さあ。これから忙しくなるぞ!!」
 「はい、御館様!!!」
 シンゲンの言葉に彼を取り巻くものたちは皆大きく頷く。それは南の国の新たな一歩であった。



 深く木々に覆われた森の中。その静かな森を流れる小川。そこで水浴びをする女がいた。木漏れ日がその者の肌をキラキラと光り輝かせる。腰まである黒い髪をかき上げるその仕草は見ているだけど男心をくすぐる色香に溢れていた。そしてその肢体、大きく膨らんだ胸は女が動くだけでプルンプルンと別の生き物のように飛び跳ね、弛む。その腰はぎゅっと締まり、無駄な贅肉はまるでない。その尻。ふくよかな肉付きでありながら垂れてはいない。その完璧なまでな芸術品を見て興奮しない男など存在しないだろう。
 「げへへッ、ねえちゃん。こんなところで水浴びなんかしてると危ないぜ??」
 その色香に引き寄せられるように数人の男達が女を取り囲む。皆無精ひげを生やし、ボロボロの鎧を身につけている。その鼻の下はだらしなく伸び、女の肢体から目を放そうとはしなかった。そんな男達の視線に晒されながら、女はその体を隠そうとはせず、平然としていた。
 「俺たちと言いことでも・・・」
 「あんたらがこの辺り荒し取る言う山賊かいな?」
 自分を取り囲んだ男たちをちらりと見つめながら女は訛りのある言葉で彼らに問いかける。男達は無警戒のまま鼻の下を伸ばして頷く。女はその回答を見届けると岸に上がってくる。その瑞々しい肢体に惑わされた男の一人がふらふらと女に歩み寄ると、その大きな胸をむんずと片手で揉みしだき始める。
 「うほっ、いい感触!おとなしくしていればすぐに極楽につれてってやるぜ?」
 「そら、どうも。でもな、あんたらが行くんは・・・地獄やえ!!」
 そういった女がニッと笑うと同時に彼女の胸を弄んでいた男の首が中に舞う。男の鮮血に顔を染めながら女は悠然としている。そこにいたって男達は自分達がおびき出されたことに気づく。
 「なんなんだ、この女は!!?」
 「知るか!!さっさとぶっ殺せ!!」
 腰に差した刀を抜き放つと男達はわらわらと女に襲い掛かる。女はそれに対してどこからともなく大振りの扇子を取り出し、それを広げ舞い始める。踊るような動きで男達の攻撃をやり過ごして行く。煌めく肢体がその舞をさらに美しくし、天女の舞を思わせた。そして攻撃をかわされた男たちの首が次々と吹き飛び、辺りを紅い霧が覆いつくしてゆく。男達は自分たちが相手をしようとした女が天女などではなく、鬼である事にようやく気付いた。気付いたときはすでに遅かった。最後の一人の首が高々途中を舞う。同時に全身を赤く染めた女は扇を閉じ、舞を終える。
 「まったく、いらん手間取らせおってからに!」
 舞を終えた女はぶつぶつ言いながら足元の死骸を軽く蹴飛ばす。そしてまた泉の中に入ると、体についた血を洗い流してゆく。
 「さすがは”鮮血の舞姫”、見事なお手並みだな!!」
 水浴びを始めた女にまた声がかけられる。げらげらと下品な笑い声があたりに響き渡る。その笑い声に端正な女の顔がわずかに歪む。ヒクヒクと頬をひくつかせて怒りを耐えようとする。しかし、耐え切れず、怒りを爆発させる。
 「見ていたなら手伝ったらどうなんや、”天下の大泥棒”!!」
 「俺の仕事は盗みだ。今回はお前の裸を盗みに来ただけさ!!」
 女は眉を引きつらせながら、げらげらと笑う男にどこからともなく取り出した小柄を投げつける。その小柄を指で受け止めると、男はさらに笑い出す。こんな男に自分の裸をいつまでも見せておくのは面白くないと感じた女はさっさと服を着始める。服と言ってもその大きな胸の谷間も、カモシカのように長い足も露の魅惑的な服であった。女が服を着るのを見計らって木の上から下品な掛け声をかけていた男がようやく地面に降りてくる。
 「この北の国に入り込んだやからがいるらしいぜ?」
 「どこのどいつや、そいつら?」
 「ヴェイスって異国の連中だ。目的は城の宝玉!!」
 男の言葉に女は眉をしかめる。
 「ほな、そいつら倒しておかなならんな・・・」
 「ああ。俺は宝玉のため、お前は・・・」
 「それ以上言うたら殺すえ??」
 女の鋭い眼差しに男は言葉を切る。それ以上言ったら女は本当に自分の首をはねていたかもしれない。それほどの殺気であった。それを感じ取った男はそれ以上何も言わなかった。
 「ところで東から来た女はどないした?」
 「あのお前と同じくらい『ぐらまー』な姉ちゃんか?さあ、しらねえ!?」
 女の質問に男は興味なさそうに肩を竦めてみせる。男の答えに女はしばし考え込むが、すぐに動き始める。その女のあとに男が続く。
 「あんたは先回りしてその侵入者の足止め頼めるか?うちは一度城にもどる!」
 「そんな長くは持たないと思うぞ?」
 「かまへんがな。すぐ戻ってくるさかい」
 それだけ言うと女の姿がその場から消える。女の気配がその場から完全に消えると。今度は男の姿がその場から消える。後には首のない死体がいくつも転がっている、静かな森が残されているだけであった。新たな戦いの脈動に北の国が蠢きだすのだった。


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