第43話 天命〜六〜


 『ほほほほっ、伝説の銀狼とはかくも弱気生き物であったか・・・』 
 自信の勝利を確信したタマモは眼の前で燃え盛る炎を見つめながらころころと笑う。その炎の中でダンはどうすることもできないまま体を焼かれてゆく。ダンは片膝をつきながら体を取り巻く炎をかき消そうとする。しかし、いくら振り払おうとしても炎は消えることはなかった。
 「魔力・・・いや、妖力を帯びた炎か・・・」
 自分にダメージを与える以上、ただの炎でないことはダンもわかっていた。ちりちりと肌を焼く妖力を帯びた炎に鬱陶しさを感じていた。このままではじりじりとダメージを受けて負けることになる。ダンは大きな溜息を漏らすと、目を閉じる。
 「はぁぁぁぁっっっ・・・・」
 大きく息を吸い込み体に力を溜めてゆく。溜め込んだ力が全身にいきわたり、筋肉がヒクヒクと痙攣し始める。それでもダンは力を溜め込み練り上げてゆく。そんなダンの姿をタマモは訝しげな表情で見つめていた。
 『何をする気だ?まあ、何をしても我の炎は消えぬがな・・・』
 ダンの焼かれる姿を見つめながらタマモは満足そうに頷く。炎に包まれながらダンが何かをしようとしているのはわかる。しかし、何をしようとしているのかは知らないが、自分の炎を消すことなどで気はしない。その自身がタマモを支えていた。
 「はぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
 そんなタマモを他所に、ダンは溜めに溜め、練り上げに練り上げた力を気合とともに一気に解放する。解放された力は衝撃波のように辺りに拡散する。その衝撃に取り込まれるようにタマモの妖力を帯びた炎も掻き消えてしまう。あまりに予想外の光景にタマモはただ呆然としていた。
 『まさか・・・そのような方法で・・・』
 妖力を帯びた炎をそんな方法で消してくるとはタマモも想像しなかった。これまでこの炎に包まれた相手はなす術もなく焼かれて死んでいったからである。もちろん、炎に焼かれてこれほど長く生きていた相手も始めてであった。
 『だが、無傷というわけではないようだな・・・』
 驚愕の表情を浮べていたタマモだったが、すぐに気持ちを入れ替える。しばし炎に焼かれていたダンの体はいまだくすぶり、そこかしこに火傷を負っていた。美しかった銀毛も焼け縮れ、異臭を放っている。ダメージを負っていることは間違いなかった。
 『攻めるならば今しかない!!』
 それがタマモの結論であった。九本の尻尾を振りかざしてダンに襲い掛かる。新たな炎を尻尾に灯すと、ダンに止めを刺すべく新たな”火走り”を地面に放つ。新たな炎が地面を走り、ダンに襲い掛かる。しかし、ダンはそれに見向きもしないで自分のダメージを確認するだけであった。
 『どうした?もう諦めたのか?』
 「どうせ避けたって追いかけてくるんだろう、この炎?」
 避けようともしないダンにタマモは面白おかしそうに笑う。すでに先ほどのダメージが深刻で避けることもできないのだとと思った。しかし、ダンは大きな溜息をつきながらそう答えると、迫り来る”火走り”をギロリと睨みつける。
 「なら、かき消すまでだ!!!」
 そう叫ぶとダンは先ほどと同様に力を解放する。気合と共に周囲に拡散した衝撃波が迫り来る”火走り”をかき消してしまう。あまりに非常識な光景をタマモは唖然と見つめているしかなかった。こんな方法で自分の技を破ったものを見たことがなかったからだ。
 「次はこっちの番だ!!」
 ダンは即座に拳を地面に叩きつける。衝撃波が大地に伝わり、地面を割りながらタマモに迫る。しかし、そんな単調な攻撃がタマモに当たるはずもなく楽々と避けられてしまう。それでもダンは二発目、三発目と拳を叩きつけてタマモを攻撃する。
 『そのような攻撃、通じはせぬぞ??』
 ころころと笑うタマモは悠然とその攻撃をかわす。こんな単調な攻撃でタマモを倒すことはできないことくらい、ダンにもよくわかっていた。懐に飛び込み直接殴り倒す、これをやれば簡単なのだがそれをすることが出来なかった。理由はただ一つ、リンの存在であった。
 「あんな約束、しなけりゃよかった・・・」
 リンとの約束を思い出しながらダンは溜息をつく。リンとの約束、それは結婚を申し込んだときのことだった。リンがダンを受け入れる代わりに出してきた約束とは『女性を傷付けないこと』その一言であった。ゆえにダンはタマモに手を出せずにいたのである。
 「さて、どうするかな・・・」
 ダンは困った顔をして大きな溜息をつく。このままではタマモにじりじりと体力を削られるのが落ちである。だからといって妖怪とはいえ一応女性であるタマモに手を挙げることは、リンとの約束を違えることになるためダンにはできなかった。
 「となれば・・・」
 ダンは両手に気を込めるとそれを大地に叩きつける。気が砂塵を大瀑布の様に巻き上げてタマモに襲い掛かる。が、その程度の攻撃タマモにはどうということはなかった。悠然とその攻撃をかわし、そのまま反撃に移ろうとしてその動きが止まる。
 『な、なんじゃ・・・どこへ消えたのだ!!???』
 そこにいるはずのダンの姿が消えたことにタマモは驚き辺りを見回す。しかし、どこにモダンの姿は見当たらない。どこかに隠れ攻撃の機会を伺っているのかとも思い警戒するが、いくら当たりの気配を読んでみても、ダンの気配を感じることは出来なかった。
 『まさか・・・逃げたのかっっ????』
 まさかの出来事にタマモは驚きを隠せなかった。まさか相手が尻尾を巻いて逃げ出すとは思いもしなかったからだ。ダンが自分に肉弾戦を仕掛けてこないことは不思議に思っていたが、まさか逃げ出すことはタマモにも予想外のことであった。
 『ふざけるでない!!我を愚弄しおって!!!』
 タマモは地団太を踏んで悔しがると、ダンを追って駆け出す。遠く離れたところに感じる気配がダンである、そう確信してそれを追いかける。全力追いかければまだ追いつける距離であると信じて。一方ダンの方は全力で駆けながら後ろを振り返る。
 「ま、こっちとしては無理に戦う必要はないからな・・・」
 ダンがやらなければならないことはタマモも足止めである。クリフトを追いかけようとしたタマモをここに釘付けにして追いかけさせなければそれだけでいい。戦いに勝つ必要性もないし、まして戦う義理もない。相手が女性である以上、これ以上あの場に止まっていることは無益であると判断したダンが逃げ出したのは至極当然のことであった。
 「まっ、力負けしたわけじゃないから、よしとするか」
 『できるか、ボケがァァッッ!!』
 汚い罵り言葉と共にタマモはダンの背後から蹴りをかます。不意をつかれたダンはその一撃をまともに喰らって前のめりに倒れこむ。タマモは追い討ちをかけてダンに上から圧し掛かる。対格差があるとはいえ両腕を押さえ込まれる格好で押さえ込まれたダンは逃げ出すことができなかった。
 「これはお早い御付で・・・」
 『やかましい!!我を舐めおってからに!!』
 乾いた笑いでごまかそうとするダンにタマモは鼻息も荒く捲くし立てる。今にも絞め殺しそうな勢いでタマモは鼻先をダンに突きつけてくる。
 『どう嬲り殺してくれようか・・・目を抉ってくれようか?それとも耳をそぎ落とすか?』
 嬉しそうに笑いながらダンをどう殺そうか提案してくるタマモだったが、ダンの方からすればどれも遠慮したい内容であった。しばし考え込んでいたタマモだったが、やがてじっとダンを見つめてくる。真剣な眼差しで見つめていたタマモは邪悪な笑みを浮べる。
 『決めた。そなたを殺すのはそなたの仲間にやらせるとようぞ!!』
 「??どういうことだ??」
 『そなたを我の配下とし、そなたの仲間を戦わせるのじゃ!!』
 どういうことなのかわからないダンを他所にタマモは嬉しそうに自己完結し、何度も頷いている。どうやる気かは知らないが、このままでは自分はガンやミルドと戦う羽目になりかねない。何とかこの場を逃げ出そうと算段するダンであったが、どうにも逃げ出すことができない。
 『そら、我の目をとくと見よ!!』
 逃げ出そうとするダンの顎を掴むとタマモはじっとダンを見つめてくる。その瞳に妖しい光が灯ったのを見たダンは慌ててタマモの目から視線を逸らそうとする。しかし、押さえ込まれた顔は背けることができず、逃げ出すことができない。
 『そなたは我のもの。我の道具なり・・・』
 タマモの目を見ていると意識が遠退いてゆき、タマモの言葉が頭の中で何度も響き渡り、ダンの意識を奪ってゆく。抵抗しようとしてもダンの意識は闇に飲み込まれてゆき、タマモのその心を鷲掴みにされたように彼女の言葉がダンを支配してゆく。
 『そなたは何者じゃ??』
 「おれは・・・オレハ・・・」
 『そなたは???』
 「わたしの夫だぁぁぁっっっッ!!」
 ダンの顎を掴んで暗示をかけていたタマモはあと一息というところまでダンの心を支配してしまう。だが、そのあと一息というところで大気を震わせるような叫び声と共にタマモの顔面に何か金属の塊が命中する。意識をダンに集中させていたタマモはそれをまともにくらい、もんどりうって吹き飛ばされる。
 『んな・・・んな???』
 思い切り鼻をはたかれたタマモは鼻血をたらしながら自分の顔面に跳んできたものを見つめる。それはどこにでもあるような鍋であった。相当勢いよく飛んできたからなのか、なべ底にくっきりとタマモの顔の形が刻まれている。
 『だ、誰がこんなものを・・・???』
 「他人の旦那をなに誘惑しているんですか!!」
 突然飛んできた鍋にタマモが狼狽していると、その鍋を投げつけた当人はイライラした口調で捲くし立ててくる。慌ててそちらを見ると、りりしい眉を跳ね上げた美女が自分を睨みつけている。その美女の登場に驚いているのはダンも同様であった。
 「リ、リン??なんでここに???」
 「報告しなくちゃならないことがあったからヒルデ様の陣中見舞いに付いて来たのよ」
 両手を腰に廻したリンはギロリとダンを睨みつける。危機を脱したのはよかったのだが、リンの顔を見ていると、新たな危機に瀕しているようにダンには思えてならなかった。どう見たって怒っている。それもとてつもなく。ダンの野生の感が逃げろと告げるくらい怖い表情をしている。
 『そなた、我にこんなことをして・・・』
 「だまらっしゃい!!」
 ダンとの会話に割り込もうとしたタマモに二個目の鍋が飛んでくる。またしてもそれを顔面で受け止めたタマモが吹き飛ばされる。真っ赤に腫れた鼻を押さえながらタマモは涙目で立ち上がる。完全に頭に血が上り、耳まで真っ赤になっている。
 『我にこのような恥をかかせおって!!許さぬぞ!!』
 「やろうっていうの?この人のお仕置きの前にあんたからお仕置きしてやろうじゃない!!」
 怒り心頭のタマモがそう泣き喚くと、リンはそれを受けて立つ。危ないからとダンが止めようとするがリンの一睨みで何も言えなくなってしまう。ここまで来たらあと放すがままに任せるしかない。大きな溜息をつくダンを他所にリンは大きく息を吸い込んでその身を獣化してゆく。ダンのような銀色の体毛ではなく、茶色のごく普通の狼へと変貌する。ただ、獣化した体にミニスカートとエプロンというアンバランスさはどうにも緊張感を削ぐ。
 『そなた、我を舐めて・・・』
 「だまれ!!」
 そんなリンの姿にタマモが文句を言おうとすると、またしてもリンの手にどこからともなく鍋が沸いて出る。それを見たタマモは思わず身を丸めてしまう。これ以上痛い思いをしたくない、鼻にぶつけられたくない。そんな条件反射に近いものであった。
 「ダン!言い訳は後でゆっくり聞いてあげるから!!」
 「いや・・・最初から君の誤解で・・・」
 リンを何とか説得しようとするダンだったが、もはや聞く耳を持っていない。ダンを無視して飛び出すとタマモに突っかかってゆく。タマモはこれを炎の妖術で迎え撃つ。鍋の奇襲は痛かったが、ちゃんと対応しさえすればこの程度の敵、怖くはなかった。
 『素人風情が!!顔を出さなければ死なずに済んだものを!!』
 鼻を痛めつけられた恨みとばかりにタマモは炎をリン目掛けて解き放つ。青白い炎がうねりを上げてリンに襲い掛かる。最初から戦闘経験のないリンにその炎を避けることなどできなかった。だからタマモは勝利を、ダンはリンの死を確信する。だが・・・
 「こんな炎、なんだって言うのよ!!」
 襲い来る炎を迎え撃ったリンは腰から特大にフライパンを取り出す。それを両手で握り締めると思い切りフルスイングする。フライパンはタマモの炎に溶かされるどころか、その炎をかき消してしまう。あまりに予想外のことにタマモはあんぐりとその光景を見つめていた。
 『そんな・・・ばかな・・・』
 あまりといえばあまりに非常識な光景にタマモもダンも言葉がなかった。自分の妖術がフライパン一つでかき消されてしまったことも、自分が苦戦した術をフライパン一つで攻略してしまったことも夢のような光景であった。
 「料理に使う火力に比べたらぬるい、ぬるい!!」
 特大のフライパンを軽々と振り回し、肩に担ぐと、リンはタマモの術を笑い飛ばして見せる。もちろん、タマモの妖火の術は料理の火力など比べ物にならないほどの火力なのだが、思い込みとは恐ろしいものである。フライパンを担いだリンはにっこりと笑って見せる。
 「うちの旦那に手を出して、ただで済むと思わないことね!」
 にっこり笑っているがどう見ても目は笑っていない。本気である。プライドを傷付けられたタマモの方も憎悪の炎を燃やしてリンを睨みつけている。いつの間にか、外野に追いやられたダンは息をのんでその戦いを見つめていた。
 「どっちが勝っても地獄のようなkがするんだけど・・・」
 リンが勝ってもタマモが勝っても自分は地獄を見ることに変わりはない気がしたダンはポツリと本音を漏らす。そのためリンを応援しなければならないのに素直に応援できずにいた。そんなダンを他所に二人の美女の決戦の火蓋は切って落とされる。
 『大地を引き裂きて、出でよ!!”妖火、焔柱”!!』
 「そんな炎、どうってことないって言っているでしょう!!」
 妖術を駆使して青白い炎を召喚するタマモ。その炎を掻い潜り、フライパンでかき消しながらリンが迫る。唸りをあげて振られるフライパンをぎりぎりのところでかわすと、タマモは距離を取り、新たな術をリン目掛けて解き放つ。
 『むぅ・・・まさか、ここまでやるとは・・・』
 「ううっ・・・しぶとい・・・」
 一進一退の攻防を繰り返していた二人は一度距離を置くとお互いを睨みつけたまま相手の検討を賞賛しながらぼやく。タマモの妖術はリンのフライパンの前では無力であり、戦いの素人であるリンの攻撃はタマモに易々と見切られていた。つまりどちらの攻撃も決め手を欠く状態であった。
 「う〜〜ん、なら、こういうのはどう??!」
 先に動いたのはリンの方であった。腰から二個目のフライパンを取り出すと二刀流よろしく、両手で構えてみせる。それを見たタマモも新たな術へと切り替える。得意とする炎の妖術はリンに通じないことは明らかであった。ならば得意でなくとも新たな術で応戦するしかないと考えたのだ。
 『”妖術・氷柱槍”!!』
 「いざっっ!!」
 タマモの氷の槍が先にリンに襲い掛かる。タマモ目掛けて跳躍したリンはそれをかわし、フライパンで叩き落す。しかし、先ほどまでと違い、フライパンは氷に引き裂かれボロボロになってゆく。だが、リンは慌てなかった。すぐさまフライパンを投げ捨てると、新たにおたまとフライ返しを取り出し、それで迫り来るツララを弾き飛ばしてゆく。フライパンのように叩きつけるのではなく、弾くようにしてその勢いの方向を変える方法でおたまとフライ返しを傷付けずにいた。
 『そのようなことまで・・・』
 「こんどはこっちの・・・番!!」
 リンは総てのツララをやり過ごすと、タマモが呆気にとられている隙を突いておたまをタマモ目掛けて放り投げる。タマモは優雅にそれを受け流すが、その間にリンは距離を詰めてくる。タマモの懐に入ったリンはその額目掛けて手にしたフライ返しを振り下ろす。勢いを殺して・・・
 『あ痛!!』
 「悪戯はほどほどにしないさい!!でないと今度はお尻、ペンペンするわよ!!」
 『な、なにをいって・・・我は・・・』
 「そんな姿もいい加減にしなさい!!」
 両手を腰に当てて威圧的態度で自分を見下ろすリンにタマモはしどろもどろになりながら言い返そうとする。が、リンはそれを許さない。悪魔で言うことを聞かないタマモをがしりと掴むと、軽々と持ち上げて自分の膝の上に載せる。
 『こら!!何を??』
 「言ったでしょ?言うことを聞かない悪い子はお仕置きだって!!」
 言うが早いかリンはタマモのお尻に思い切り平手を振り下ろす。パーーーン、パーーーンという心地言い音を立ててタマモのお尻に何度も平手が振り降ろされる。タマモはリンの膝の上で暴れていたが、逃げることはできない。どうすることもできないままリンにお尻を叩かれまくる。
 『痛い、痛い!!やめ。やめ・・・』
 「いい加減素直になりなさい!!!」
 涙目になって抵抗するタマモにリンは思い切り手を振り下ろす。一際心地言い音を立ててお尻がはたかれる。それを合図にするようにタマモの体ドロンと煙を上げる。妖艶な九尾の美女は消え、三本の尻尾を持った子狐が姿を現す。
 『ひん、ひん、ひん・・・ごめんなしゃい、ごめんなしゃい・・』
 姿を現した子狐は泣きながら何度も謝る。するとリンはようやく叩くのをやめて、その子狐を抱き上げて今度は膝の上に座らせる。そして慈しみを込めて抱きしめる。最初その行動にきょとんとしていた子狐だったが、その肌を通して感じられる暖かさからリンにすがり付いてくる。
 「一人で淋しかったんだよね?でもね、やって良いことと悪いことがあるんだよ?」
 「ごめんなしゃい、ごめんなしゃい・・」
 子狐を抱きしめながらリンは諭すようにそう囁く。そのリンの言葉を聞きながら子狐は何度も何度も謝ってくる。そんな二人にようやくダンが歩み寄ってくる。
 「終わったのか?」
 「ええ。この子はもう大丈夫。元々素直ないい子みたいだったから」
 「そうか。しかし、この地にも俺たちと同じ、獣人が居たとはな・・・」
 タマモの正体にダンは驚きながら子狐を見下ろす。その視線に子狐は怯えたように身を竦ませる。それに気付いたリンはダンを突付いて見下ろすのをやめるように注意する。ようやく子狐が怯えていることに気付いたダンは見下ろすのをやめる。
 「大丈夫よ。怖くない、怖くない」
 『うにゅぅぅっっ・・・』
 「さてと、貴方、お名前は?」
 『タマモ・・・』
 リンに慰められた子狐はリンに縋りながらようやく落ち着きを取り戻す。落ち着いたところでリンが名前を尋ねると、子狐は素直に答えてくる。どうやら名前だけは本名だったらしい。リンはタマモの髪を撫でながらさらに話を聞いてゆく。
 「どこから来たの?親は?どうしてこんなことをしていたの?」
 『母様を・・・母様をたしゅけたかったの・・・』
 リンに抱きついたタマモは素直に話し始める。それによるとタマモは東の国の出身で、母親と二人で慎ましく過ごしていたらしい。ところが央の国の国主がタマモの母を気に入り、連れ去ってしまったというのだ。母親を助け出したくても結界がタマモを拒む。そこで願いがかなうという宝珠を手に入れるべく旅に出たというのだ。東の国の国主には手が出せずにいたが、この北の国主は宝珠に固執していないと聞いたので上手くすれば盗み出せるかもしれないと思いこの地まで来たのだが、いくら探しても北の国主を見つけ出すことができず途方に暮れていた。そんなところにダンたちが来たというのだ。
 「そっか。それでダンに襲い掛かったわけね?」
 リンが尋ねるとタマモは素直に頷く。その様子は先ほどまで高笑いと共にダンに襲い掛かってきた女狐とは思えないほど、愛らしい表情をしていた。その様子に完全に毒気を抜かれたダンは大きな溜息を漏らす。
 「さて・・・どうしたものかな・・・」
 「連れて行くしかないでしょう?エリウス様にお願いすればいいと仰ってくれるわよ」
 「・・・まあ、そうだろうな・・・」
 エリウスの目的は央の国に行くこと。この子狐を無視する必要性はまるでない。おそらくエリウスのことであるから事情を話せば気軽に了承してくれるだろう。
 「そういうことなら、エリウス様のところに早く戻るとするか・・・」
 「ちょっと、待った!!」
 そう言って頭をかきながら歩き出したダンの袖をリンはむんずと掴んでくる。何事かと振り向いたダンの目にリンの笑顔が飛び込んでくる。しかし、その背後には般若の姿が浮かんでいるのがダンにはよくわかった。しかし、何でそんなに怒っているのかがわからない。
 「な、何でそんなに怒って・・・」
 「わからない?わからない?」
 悪魔のような愛らしい笑みを浮べてリンは迫ってくる。リンが一歩前に出るたびにダンは一歩後退る。リンはタマモをこれから起こる光景が見えないように抱きなおすと、もう片手にフライパンを出現させると一歩、一歩ダンににじり寄ってくる。
 「何でそんなに怒っているんだ???」
 「他の女に誘惑されてたでしょうが!!!」
 それはすでに誤解だとわかったでしょうにとダンは言いたかったが、それよりも早くリンのフライパンがダンの顔面を直撃する。タマモにしていたそれに倍するような威力の一撃にダンは完全に昏倒し、気絶してしまう。その一撃に満足したのか、リンは大きく息を吐くと気絶したダンのそばにしゃがみ込む。
 「まったく、お父さんになるんだから少しはしっかりしてよ・・・」
 リンは気を失ったダンの頬をつつきながらそうぼやく。そしてその手で自分の下腹部に当て愛しげにそこを擦りあげる。まるでそこに宿った新しい命を慈しむかのように。
 「ま、いっか。タマモちゃん、お姉ちゃんと一緒に行こうね」
 『あい!!』
 気を失ったダンの首根っこを掴むとリンは胸元に抱いたタマモに促すと、タマモは嬉しそうに頷く。完全にリンを気に入ってしまったタマモはしっかりと彼女に抱きつき、離れようとはしない。そんなタマモを抱き上げると、ダンを引きずってきた道を戻ってゆく。その先で待つエリウスに報告をするために・・・



 「ここが北の国主がいるところか・・・」
 オクニから鍵を奪い取ったクリフトは一人北の国主ケンシンの居城へとやってきていた。そこは水面に浮かぶ城であった。普通に入ろうとしても入れるはずもない城である。だからこそ、この鍵が必要だったのである。クリフトは鍵をギュッと握り締める。
 「さて、鬼が出るか、蛇が出るか・・・楽しみだぜ!!」
 クリフトはニヤリと笑うと、そのまま湖へと飛び込む。派手な水しぶきを上げて湖に飛び込んだクリフトの体を淡い気泡が包み込み、そのまま湖底へと誘う。やがて視界が開け、空気のある地へとクリフトは降り立つ。クリフトは辺りの様子を伺う。水面に映った城とは似ても似つかない場所であった。城などどこにもない。あるのは白い砂が敷き詰められた庭だけであった。
 「ここが軍神ケンシンの居城・・・か?」
 「そう・・・ここが私の城・・・」
 予想外の場所に出たクリフトがあっけに取られていると、厳かな声が聞こえてくる。クリフトがそちらを振り向くとそこには真っ白な鎧に身を包んだ武者が厳かに座っていた。その兜の下には見目麗しい美少年がじっと自分を見つめている。その姿にクリフトは思わず息を呑む。その美しくも厳格な姿にも驚いたが、自分がここに入ってきて声をかけられるまでその存在に気づかなかったことに驚きを隠せなかった。人の身でありながらその実力は計り知れない、クリフトはケンシンという男を警戒する。
 「あんたが北の国主、ケンシン公か?」
 クリフトはケンシンの存在に驚きながらもその実力を肌で感じ取って歓喜していた。これほどの敵と戦えるなど予想もしなかったことであった。嬉しさに喉がからからに渇いてゆく。先の見えない戦いが待ている、そう思うと心が躍って仕方がなかった。
 「そうだとお答えしたらいかが致す?」
 「そうだな・・・一手お手合わせ願いたい!!」
 クリフトはそう言うと愛用の双剣を抜き放つ。だが、ケンシンは何も言わずに座ったまま動こうとはしない。そんなケンシンの態度にクリフトは眉を顰める。
 「どうした?怖気づいたのか?」
 「貴方の狙いはこの宝珠でしょう?でしたらお持ち帰りしてもらって結構・・・」
 クリフトが問いかけるとケンシンは胸元から宝珠を取り出し、クリフトの方に放り投げてくる。それを受け取ったクリフトは怪訝そうな表情を浮べる。
 「どういうことだ、これは??」
 「私は静かに暮らしたいだけ・・・目的を達せられたならばわざわざ戦う必要はないでしょう?」
 ケンシンはそう言うとクリフトに背を向けてしまう。その姿はまるで戦う気がないことを物語っていた。しかし、納得がいかないのはクリフトの方である。やっと出会えた真剣に戦える相手と戦うことができないなど納得ができるはずがない。
 「悪いが、あんたとはここで戦ってもらうぜ?」
 「何故ですか?戦う理由など・・・」
 「強いて言えば、俺のわがままかな?」
 クリフトの言葉に首を傾げるケンシンにクリフトはニッと笑ってみせる。クリフト自身わかっていた、これが私闘でしかないことが。それでも目の前にいる男と戦ってみた、その欲望を抑えることが彼にはできなかった。
 「あんたならわかるだろう?強い相手と戦ってみたい心が、よ?」
 「わからなくはありませんが、貴方の周りにもそういった方はいらっしゃるのでは?」
 「自分の主君やその兄君とか?できるわけないだろう?」
 クリフトはそう言うと腰に刺した双剣を引き抜く。もう臨戦態勢に入った彼を止める手立てはなかった。腰を落とし、獲物に狙いを定める。その射抜くような視線の受けながらケンシンは大きな溜息をつく。もはやこの戦いは止められない、ケンシンはそう覚悟していた。
 「見てみたいんだよ、俺を倒せる奴の顔を!!」
 クリフトはそう叫ぶと双剣を振りかざしてケンシンに襲い掛かる。高速で動き回りながら何度も突く。隙を窺って仕留める。それがクリフトの戦い方であった。そのいつもの戦い方を選んだクリフトの件が煌めく。が、その煌めきを上回る煌めきがクリフトの視界を覆いつくす。
 「な、なんだ???」
 クリフトはなにが起こったのかまるでわからなかった。ただ、眼の前で何かが煌めいたそれだけはわかった。そして目の前にいるはずのケンシンが自分の背後にいることも。慌てて体勢を入れ替え、再びケンシンに襲い掛かろうとする。
 「ここまでです・・・」
 鞘に手を当てたケンシンはそう宣言する。彼が何を言っているクリフトにはわからなかった。これで終わり?なにがだ?そう思った瞬間、クリフトの双剣が粉々に砕け散る。何がどうなったのかまるでわからない。混乱するクリフトに追い討ちをかけるように彼の両腕が肩口からずり落ちる。
 「な・・・ぐはっっ!!」
 腕を失った肩口から大量の鮮血が飛び散る。それは大地を汚し、クリフト自身の体を赤く染める。一瞬の煌めき、あれはケンシンが抜刀した瞬間であり、自分の双剣と腕が失われた瞬間でもあったのだ。膝から力が抜け、クリフトはがくりと膝をつく。
 「納得してもらえましたか?これが命のやり取りです・・・」
 刀を納めたケンシンは静かにそう告げてくる。ここに到ってクリフトはようやく理解した。彼を前にして自分が心踊っていたのは全力で戦える相手に出会えた喜びからではない。自分を殺せる実力者を前にして恐怖していたのだと。そしてケンシンが戦いを拒否していたのは結果の見えた戦いをしたくなかったからであると。これまで自分が見てきた世界をケンシンが見ていて、自分が倒してきた相手の見てきた世界を今クリフト自身が見ているのだ。
 「これが敗北・・・これが死・・・?」
 自分が今味わっているものを噛み締めるようにクリフトは呟く。全身から力が抜け、そのまま仰向けに倒れこむ。肺がつぶされるような感触と共に大量の血が喉を逆流してくる。徐々に目の前が暗くなり、辺りの声も音も聞こえなくなってゆく。暗闇と静寂、それがクリフトを包み込む。
 (さむ・・・い・・・こわ・・・い・・・)
 何も聞こえない、何も見えない恐怖にクリフトは恐怖する。それが死の恐怖であることをクリフトはよく知っていた。昔エリウスを助けるために切り刻まれたとき、あの時もこの暗闇に包み込まれ恐怖したことがあった。その恐怖が再びクリフトを包み込む。
 (怖い・・・いやだ・・・死にたくない・・・)

 (何を恐れる?これは自分が望んだことじゃないか・・・)

 (俺はまだ死ぬわけには・・・)

 (これで解放される・・・すべてから・・・)

 死の恐怖に抗う心と誘う心がクリフトの心の中でせめぎ合う。このままそれを受け入れてしまえばどれほど楽なことだろうか。そう思ったとき、クリフトの体は闇に飲み込まれてゆく。死の闇、それが彼を包み込んだのである。もうこれで終わる、クリフトはそう思い、その闇に身をゆだねる。


 「!!!兄上??」
 首筋に痺れるような感覚を感じたフィラデラは身震いする。産まれたときからともにあったはずの半身が失われるような感覚に、震え上がる。それがクリフトのみに何かが起こったことを自分に教えてくれるものであるとフィラデラは確信していた。
 「お前達もそれを感じ取っているのか・・・」
 フィラデラは両肩を手で抱え込んだまま、目の前の培養器の中で眠るセツナたちを見つめる。先の戦いで傷ついたセツナたちは傷を癒すために培養器の中に入り、眠りについていた。その彼女たちがまるで自分の主の危機に駆けつけようとしているかのように反応を示している。
 「無意識の内に主の危機を察したか・・・」
 そんなセツナたちの姿を見つめながらフィラデラは羨ましそうな顔をする。そして今度はユトユラの方角を向くと、祈るような声で呟く。
 「兄上、まだ死んではなりませんよ。エリウス様のために・・・」
 その祈りの言葉が兄クリフトに届くことを信じてフィラデラは静かに目を閉じるのだった。


 「クリフト・・・?」
 執務室の席に座っていたエリウスは胸騒ぎを覚えて立ち上がる。とてつもなく嫌なものを覚えてじっとしていられなくなる。遠くに感じられたクリフトの気配が薄れて行くのを感じ、それが失われようとしているのを察して身震いする。
 「クリフト・・・まだ死ぬんじゃないぞ・・・」
 今すぐにでもその場に駆けつけたい衝動を押さえ込みながらエリウスはグッと拳を握り締める。この場で祈ったからといってクリフトが助かるとは限らない。それがわかっていても祈らずにはいられなかった。


 (これで終わる・・・すべてが・・・)

 (本当にそれで良いのか、おぬしは??)

 消えかけた心の奥底から声がする。まるでクリフトを闇の奥底へと誘うようなどす黒い声がクリフトの耳元に聞こえてくる。いや、聞こえてくるのではない。頭に直接語りかけてくるのだ。闇の中、周りには誰の気配も感じられない。なのにその声は響いてくるのである。

 (だれだ?あんたは・・・?)

 (ワシは汝なり。さあ、答えよ。このまま終わりでいいのか?)

 声がまたクリフトに問いかけてくる。クリフトは答えずしばし考え込む。このまま闇に身を任せてしまえば楽になれるだろう。あの戦いの日々からも開放される。そう考えた。しかし、それでいいのだろうかとも自問する。このまま死んでしまったらエリウスを見捨てることになる。

 (・・・まだ・・・終わりたくない・・・)

 (ならば強く願い、ワシに縋るがいい。ワシはそのために汝に命を預けたのだからな!)

 (命を??お前は一体??)

 (ワシは・・・)

 その名前を聞いた瞬間クリフトは総てを理解した。かつて体を引き裂かれて死に掛けたとき、無数の怪物の肉体を寄せ集めて作られた今の肉体。それを正常に作動させるために自分の体の核となったものがいたことを。その医師がいまっも自分の体に息づいていたことを。

 (さあ、我が武器と共に受け取るがいい、我が名を!!)

 (俺に力をよこせ!!魔将グラシアス!!)

 異界四大魔将の一人の名前をクリフトは叫ぶ。そしてその眼の前にある闇の中の闇に手を伸ばす。失われたはずの腕がそれに触れた瞬間、その身の奥底に眠っていた力が扉を開かれたかのように噴出してくる。その底知れぬ力にクリフトは飲み込まれ完全に闇に没する。



 「無益な戦いを・・・」
 動かなくなったクリフトを見下ろしながらケンシンは悲しそうに呟く。両腕を失ったクリフトの体は動くことはなく、その両目からは光が失われていた。まだかすかに息はあるようだったが、それもそう長くは持たないだろう。
 「だから戦いはキライなのだ・・・」
 無益な殺生しか生まない戦いをケンシンは嫌っていた。それは圧倒的な実力から生まれる空しさだった。望まない戦いで死ぬものが居ることがケンシンには悲しくて仕方がなかった。それでも戦いを挑まれれば戦わざるを得ない。自分も生き延びなければならないから。
 「次はもっとマシな人生が遅れますように・・・」
 今まさに生きたえんとしているクリフトに手を合わせると、ケンシンはそう祈ってクリフトに背を向ける。数歩クリフトから離れたときだった。背筋に寒気が走る。ケンシンは大きく跳ぶと身構える。誰か新たな敵が現れたのかとも思ったがそこには誰も居ない。いるのはクリフトだけであった。
 「気のせい・・・か?」
 自分に寒気を与えたものがわからず、ケンシンは首をかしげる。まさか今生き絶えようとしているクリフトが先ほどの寒気を与えたとは考えられない。先ほどまでそんな寒気感じられる相手ではなかったのだから。ケンシンが首をかしげていると、そのクリフトに変化が現れる。
 「な、なんだ??」
 今まさに息絶えようとしていたクリフトの体からすさまじいまでの瘴気が噴出してくる。それは大気を汚し、大地を腐らせる。とてもこの世のものとは思えない瘴気であった。その瘴気はさらにクリフトの肉体を蝕み始める。浅黒かった肌は漆黒の肌に変わり、組あ合わせた体を一つにしてゆく。
 「何が、何が起こっている??」
 予想もしなかった展開にケンシンは初めて狼狽する。これからなにが起こるかわからない。先がみえない展開にケンシンは息を呑む。全身が黒く染まったクリフトがむくりと起き上がる。その目にはまだ光は戻っていない。しかしその肉体は生命力に満ち溢れ、肩口の出血は完全に止まっていた。
 「かはぁぁぁっっ・・・・」
 起き上がったクリフトは大きく息を吐き出す。どす黒い瘴気の息がさらに大気を汚し、大地を腐らせる。しばし動かなかったクリフトはおもむろに切り落とされた自分の腕に噛み付く。そしてそのまま持ち上げると、切り落とされた傷口を肩口へと近付ける。すると細胞と細胞が惹かれあうようにくっつき始める。
 「そんな・・・ばかな・・・」
 悪夢のような光景にケンシンはただ呆然とするしかなかった。骨が、肉が、皮が、全てが元通りにくっつき、どす黒い肌に変化してゆく。クリフトはもう片腕を持ち上げると同じように肩口にくっつける。クリフトは元通りにくっついた腕の感触を確かめるように腕を廻してみる。
 「ケッハッハッハッ!!」
 腕を廻したクリフトは狂ったように笑い出す。次の瞬間、黒い閃光がケンシン目掛けて煌めく。反射的に振り上げたケンシンの腕をクリフトがおもむろに鷲掴みにする。その腕がいやな匂いをあげて腐りはじめる。クリフトの腕から放たれる瘴気に肉体が腐り始めたのである。ケンシンは慌てて刀の鞘でクリフトの顔を押して引き剥がす。大きく跳び退いたクリフトはニヤリと笑って魅せる。
 「なにが起こったのだ・・・」
 皮膚が焼けただれ、肉がむき出しになった腕を押さえながらケンシンはクリフトの変わり振りに驚きを隠せなかった。何よりクリフトの放つ瘴気はこの世のものが出せるものではない。魔界の、それも上位のものが放つような瘴気である。その瘴気をクリフトが放つ理由がケンシンにはわからなかった。


 「魔将グラシアス?四大魔将の一人、”腐敗”のグラシアスのことか?」
 「そうじゃ。あれがクリフトの肉体を繋ぎとめる核となっておる」
 ダークハーケン城からの突然の来訪者、ドクターにお茶を振舞いながらエリウスはドクターの話を聞いて驚いていた。クリフトの体が無数の生物を繋ぎ合わせてできていることはエリウスもよく知っていた。しかし、まさかその核が悪魔、それも四大魔将とは想像もしなかった。
 「なるほど。これでようやく納得がいった・・・」
 「うん?なにがじゃ?」
 「セツナたちのことですよ。彼女たちが融合人間に選ばれた理由です・・・」
 これまでセツナたちがどういった基準で融合人間に選ばれているのかエリウスにはわからなかった。しかし、今の話を聞いてようやく理解できた。クリフトの体内に残留したグラシアスの魔力、それを受け止められるだけの人間でなければ、その魔力にその肉体を食い尽くされるだけである。そしてそれだけの器を持った人間など数が限られている。だからセツナたち五天衆は五人しか存在しなかったのである。もちろんこの先増える可能性はあるが、今はこれが限界だろう。
 「そういうことじゃ。彼女たちはまさに悪魔に選ばれし者たち、ということになるな・・・」
 「しかし、よくあのグラシアスが核になることを承知しましたね?」
 「あれはもうこの世が面白くないらしくて、他のものの中から見る世界に興味があったようじゃ」
 ドクターは説明しながらこゲラゲラと笑う。その笑いを聞きながらエリウスも笑みを浮べる。グラシアスがクリフトの核になったのは本の気まぐれに過ぎない。その気まぐれに感謝していた。その気まぐれのお陰で大切な兄弟を失わずに済んだのだから。
 「今のアレは強いぞ?その牙は総てのものを溶かし、その爪は空間さえも腐らせ、引き裂く」
 「何でもありですか、今のクリフトは・・・」
 「”腐敗”の魔将の名は伊達ではないということじゃ」
 今のクリフトの話を聞いたエリウスはあきれ返ってしまう。これまでのクリフトの剣術も華麗とは言いがたい野性味溢れたものであった。それというのもクリフトが剣術に興味を持たず、身体能力に飽かした戦い方をしていたからである。しかし、今のクリフトはそれさえも越えるまさに野生の獣である。
 「だからといって四大魔将を核にするとは・・・」
 「そのくらいわしにはどうということはないぞ?天才じゃからな、ワシは!!」
 「ええ。そうでしたね。四大魔将が一人、”狂気”のドクトリアン・・・」
 胸をそらして笑うドクターにエリウスは紅茶を啜りながら同意する。一瞬、ドクターの動きが止まるが、すぐにまた笑い出す。しかし、その目の奥に宿る光は先ほどまでの爺のものではない。上位魔族の殺気に満ちたそれであった。しかし、その光はすぐに姿を消す。
 「まったく、とんでもない方が人間界で勉強していたものですね?」
 「”狂気”の名を抱いておるがワシは基本的に知識を求める方じゃからな」
 エリウスがあきれた表情で肩を竦めながら呟くと、ドクターは笑いながら答える。そこには正体がばれたことに対する動揺は微塵もなかった。ただただ笑い続ける。
 「ワシのことはどうでもいいじゃろ?これからも協力させてもらうぞ、我が父神たるヴェイクサスよ」
 「まあ、そう言うことにしておきましょう。僕も出かけなければなりませんから・・・」
 「おや。どこかに行くのかの?」
 「ええ。クリフトを止めてきます。早く止めないと無益な血が流れますから・・・」
 エリウスはそう言ってにっこりと笑うと転移魔法を使い、姿を消す。主のいなくなった部屋に残されたドクターは目の前にあるお茶を飲みながら新しい実験に思いをはせる。クリフトとケンシンのすでに勝負の見えた戦いに興味はなかったからである。



 「あっ・・・あああっ・・・」
 地面に叩きつけられたケンシンは大量の血を吐きながら大の字に倒れこむ。全身が痺れもはや指一本を動かすことも出来ない。美麗だった鎧はすでに見る影もなく、その整った顔立ちは血と泥にまみれ汚れ果てていた。体中瘴気によって焼けただれ、体中の骨が折れたりひびが入ったりしていた。
 「ここ・・・までか・・・」
 仰向けになり空を見上げたままケンシンは最後のときを覚悟していた。覚醒したクリフトにケンシンの剣技はまるで通用しなかった。目にも止まらない斬撃は総てかわされ、全身の力を込めた一刀は易々と受け止められた。刀は砕かれ、腕はへし折られ、肉は食いちぎられた。
 「まさに・・・赤子を捻るように・・・か」
 クリフトに完敗したケンシンは大きな溜息を漏らす。もう動くことも出来ないケンシンにクリフトはゆっくりと歩み寄ってくる。止めをさす気であることは明らかであった。しかし、もはやケンシンに逃げるだけの力は残されていなかった。心残りはない。あるとすれば自分を慕ってくれた民のために生きられなかったことぐらいだろう。
 「みな、許せよ・・・」
 『そう思うなら生きて見せるがよろしかろう?』
 目に涙を浮べて民に謝るケンシンに誰かが声をかけてくる。目を開けたケンシンの目に空間が歪み、そこから一人の青年が姿をあらわすのが見えた。云わずと知れたエリウスであった。戦いの場に現れたエリウスはすぐさま呪文を唱え始める。その姿にクリフトは獰猛な笑みを浮べる。それは新たな獲物の登場が嬉しくてたまらないといった笑みであった。すぐさま腰を落とし四つん這いになると、エリウスに跳びかかってくる。今襲い掛かっているのが誰であるかもわからずに・・・
 「まったく、まさに獣だな・・・」
 エリウスた溜息混じりに呟くと詠唱した呪文を開放する。六つの光の槍がクリフトに襲い掛かり、その身にダメージを与える。しかし、傷ついてもクリフトは止まらない。右腕を薙ぎ、空間を腐らせる。エリウスは反射的に避けるが、服は引き裂かれ鮮血が舞う。
 「さすが”腐敗”の魔将・・・こちらもそれなりの覚悟が必要か・・・」
 わずかながら切り裂かれた肩口を見つめながらエリウスは両手に巨大な火の玉を出現させる。それも無造作にクリフト目掛けて放り上げる。クリフトはその一つを避けるともう一つを片手で受け止める。肉の焼け焦げる匂いが辺りに漂い始める。
 「ぐがぁぁぁぁっっっ!!」
 腕が焼け焦げるのも無視してクリフトは火の玉を握りつぶす。満足そうな笑みをこぼすクリフトだったが、その懐にはすでにエリウスが入り込んでいた。麻痺の魔法力を込めた拳を遠慮なくクリフトの腹部に叩き込む。もちろん一発で聞くとは考えていない。ニ発、三発と連続して叩き込む。
 「かなり頑強だな・・・」
 巨人族でも昏倒するような攻撃を受けてもクリフトは麻痺をせず、それどころかさらに荒れ狂う。クリフトが腕を振うとまた空間が腐る。それをかろうじてかわしたエリウスにクリフトが迫る。エリウスは麻痺の力を込めた拳をその顎に叩き込む。
 「ぐるるるるぅぅぅっっ!!」
 それでも揺るがなかったクリフトの牙がエリウスの喉元に噛み付いてくる。顎に決まった攻撃によって力が弱まっていたとはいえ、牙がエリウスの肌を貫き、鮮血が宙を舞う。宙を待った地がクリフトの顔に降りかかった瞬間だった。
 「うぐっ・・・が・・・がぁぁぁっっっ!!!」
 エリウスの血を見たクリフトにはじめて変化が見られる。何かに怯えているように頭を抱え込み、苦しみだす。おそらくクリフトのわずかに残った理性がエリウスを傷付けたことに苦しみだしたのだろう。そのことを悟ったエリウスは激痛に耐えながら、すぐに最初に放った光の矢を操作し始める。クリフトを取り巻いた光の矢はまるでかごのようにクリフトを閉じ込める。クリフトは暴れだすがその身を封じられ動くことが出来ない。クリフトの動きを封じたエリウスはその額に指をかざす。
 「おとなしく眠れ、クリフト・・・」
 エリウスが呪文を唱えると暴れていたクリフトがおとなしくなり、やがて眠り込んでしまう。クリフトがおとなしくなったのを確認すると、エリウスは今度はケンシンの方に向き直る。ケンシンにはもう戦うだけの力は残されていなかった。
 「貴方がエリウス皇子・・・ですか・・・」
 「はい。ケンシン公。我が部下が手荒なことをしたようで・・・」
 「いや、真剣勝負での完敗です。お気になされるな・・・」
 ケンシンは満足そうに微笑むと最期のときを待つ。しかし、そのときはいつまで経っても来る事はなかった。疑問に思ったケンシンが目を明けるとエリウスはクリフトを肩に担ぎ、宝珠を持って去ろうとしているところであった。
 「なぜ、息の根を止めないので?」
 「何故といわれても・・・無駄な殺生は必要ないでしょう?それに貴方の死に場所はここではないはずです。貴方はまだ生きなければならないはずでは?民のために・・・」
 エリウスに真理を突かれたケンシンはそれ以上何も言うことができなかった。民のためにも生き延びなければならない。宝珠に頼らない新しい国づくりをしなければならない。それが自分に課せられた使命である事をケンシンは改めて理解する。ケンシンの目に精気が満ちてくるのを確認するとエリウスはクリフトを連れてその場を後にする。
 「そうだ・・・私にはまだやることが残っている・・・」
 ケンシンは納得したように微笑むと、体を起こす。遠くから自分の身を心配するものの声が聞こえてくる。その女性のためにも、この国に生きる民のためにも戦わなければならない。新たな戦いに、先の見えない戦いに心躍らせながらケンシンは明日を見つめ立ち上がるのだった。


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