第45話 天命〜終〜


 ユトユラの中央に聳え立つ霊峰フジ。この国でもっとも高い山に張られた結界の前でエリウスとストナケイトはじっとその山を見つめていた。高くそびえるその山にはいかなるものも立ち入ることができなかった。そのエリウスたちの眼の前には祭壇が祭られ、これまでに集められた三つの宝玉が並べられていた。
 「あと一つか・・・」
 「・・・気分が高揚しているみたいだね、兄上・・・」
 何かを待ちきれないかのように腕組みをしたまま指を動かしているストナケイトの様子にエリウスは何かいつもと違う、違和感を覚えて思わずストナケイトを問いただす。エリウスに指摘されたストナケイトは自分が知らず知らずの内にそんなことをしている事に気付き、喉を鳴らして笑う。
 「くくっ、そうかもな。この先にいるものの事を考えるとな」
 「?この先に何がいるかわかるんですか?」
 「ああ。気配という、そういったものを感じる」
 そう答えたストナケイトは少し遠い目をして霊峰フジを見つめる。そこから感じられる気配には覚えがあった。しかし、それが誰のものなのかまではわからない。ただ、その気配を感じるたびに、不思議と気分が高揚してきて体がうずうずとしてくるのだけは確かであった。そのストナケイトの変化にエリウスは少し不安を覚えていた。その正体が何なのかはわからない。しかし、どうにも不安で仕方がなかった。
 「エリウスさま〜〜〜〜」
 そんなエリウスの不安を吹き飛ばすような能天気な声が聞こえてくる。エリウスが後ろを振り向くと、そこには巨大な目玉が飛んでいた。エリウスは一瞬、目が点になり、一歩身を引いてしまう。しかし、その目玉の正体がティンであることに気がつくと、安堵の息を漏らしてティンが背負った目玉を取り上げる。
 「どうしたんだい、ティン?こんな目玉を持って来たりして・・・」
 「じつは、じつは〜ブシンさまったらひどいんですよ〜〜〜」
 ぐしょぐしょに濡れて涙ながらになって訴えるティンは、ブシンが自分が倒した敵から宝玉を取り出してくれなかったこと、自分がばらばらになった鵺の体をぐしょぐしょになりながら探してきたことを身振り、手振りを交えて報告する。そんなティンの必死振りがおかしく、エリウスは思わず笑ってしまう。
 「それで、宝玉はどうしたんだい??」
 「ほへ??今エリウス様にお渡ししましたけど・・・」
 エリウスの問いかけにティンは不思議そうな顔をして答える。ティンの答えにエリウスは思わず自分の見間違いかと手にした目玉を覗き込む。しかし、それはどう見ても鵺の目玉にしか見えなかった。エリウスの手の平の上にあるものを覗き込んだティンも押し黙ったまま硬直してしまう。どうやら大きくて丸いものを目印に探していたティンは鵺の目玉を宝玉と勘違いして持ってきてしまったらしい。もちろん、早くこんなところから離れたいという思いも強かったのだろうが。
 「間違えたようだね、ティン・・・」
 「・・・・・すぐ探してきます〜〜〜〜」
 押し殺した声で問い詰めるストナケイトから逃げ出すようにティンは腰に巻いた転移の指輪をこすって、今しがた自分がいた場所へと戻ってゆく。本来指輪であるはずのものもティンには腰に巻いても大きいくらいであった。ぶかぶかの腰巻状態の転移の指輪を使って先ほど戻ってきたところへ戻ってゆく。戻っていったティンがまた泣きながら死体を漁ることになるとはこのときエリウスもストナケイトも思いもしなかった。



 ようやくティンが本物の宝玉を盛って戻ってきたのはそれから一時間ほどしてからであった。ぐちゃぐちゃの死体を漁っていたので体中うべちゃベちゃで目に涙を浮べていた。そのティンからエリウスは宝玉を受け取ると、台座にそれを納める。そしてもう一度ティンの方を向き直る。
 「ありがとう、ティン。ご苦労様」
 「うう〜〜、べとべとです〜〜」
 「それならわたし達が綺麗にしてやる〜〜!!」
 エリウスのお褒めの言葉にティンは死肉でベトベトとになった体を見回しながらぼやき声をあげる。するとそれを洗ってやるという声が別のところから上がる。その声にティンは思わず身を引いてしまう。手を上げたのはもちろん、エンとライであった。その嬉しそうな笑みがかえってティンの恐怖心をあおる。
 「え・・・いや・・・その・・・」
 「遠慮するなよ、ティン!」
 「そうそう。隅々まで綺麗にしてやるぜ??」
 両手をワキワキさせてにじり寄るエンとライにティンは恐怖に顔を歪ませる。乱暴者で知られる彼女たちに洗われたら自慢の羽が毟り取られてしまうかもしれない。そう考えると、じりっじりっと後退してしまう。しかし、それを逃がすまいとエンとライは左右から挟みこむような位置取りをしてくる。
 「だから、私たちが!」
 「洗ってやるって言っているだろう!!」
 「ひぃぃぃっんっっ!!助けてくださ〜い、アリス様〜〜」
 ティンを捕らえようと勢いよく跳びかかったエンとライはティンがにげることまで考えていなかったため思い切りお互いの頭をぶつけてしまう。鈍い音があたりに響き渡り、エンとライは目に涙を浮べて頭を抱えたままその場に蹲ってしまう。エンとライの魔の手を逃れたティンはその間に泣きながらアリスの元に飛んでゆく。
 「わたし達の親切心を無碍にしやがって〜〜!!」
 「ティ〜〜ン、アリス様のところに逃げるなんて卑怯だぞ!!」
 目に涙を浮べ、頭を押さえたままエンとライは逃げていったティンを追って魔天宮へと消えてゆく。あちらのほうはアリス達に任せておけば問題ないだろう。その一騒動を笑いながら見ていたエリウスはそんなことを考えながら、手にした宝玉を祭壇に供える。備えられた宝玉はお互いに共鳴し合い、その共鳴はどんどん大きくなってゆく。
 「しかし、エリウス様。この宝玉でこの結界の中に入れるのですか?」
 「ああ、入れるよ。これは元々”指輪の巫女姫”が己が作り上げた結界を破壊するために用意しておいたものだからね」
 「もしものときのため、ですか?」
 エリウスの後ろに控えていたレオナが尋ねると、エリウスは無言のままうなずく。”指輪の巫女姫”の作り出す結界はいかなるものの侵入も許さない。その術は大結界としてストラヴァイド光国にも伝えられている。ただし、ストラヴァイドの結界には力の発動に媒介を必要とし、結界を維持して置ける期間も短い。対して”指輪の巫女姫”の結界はほぼ無限にその力を維持できる結界であった。だからこそ彼女は自分の力が悪用されたときのことを考えて自分の結界を破壊できるアイテムを用意しておいたのである。もちろん、その強大な力を宿したアイテムは使い方一つでいかようにも使うことが出来た。この国を四方から支配していた者たちの様に。
 「さてと、始めるとしようか・・・」
 エリウスはそう言うと、宝玉に手をかざす。そして四つの宝玉に込められた力を一点に集中させてゆく。集中した魔力はどんどん大きくなり、激しさを増す。そしてそこから放たれた光は結界を取り囲むように延びてゆく。それはまるで何十匹もの蛇がその結界を覆い尽くすような光景であった。やがて結界は光に包まれ、お互いに相殺されるように消えてゆく。結界が消え、裸眼で霊峰フジを目の当たりにしたエリウスは眉を顰める。
 「こいつは・・・」
 「かなりの奴が封印されていたみたいだな・・・」
 フジから放たれる妖気を感じ取ったエリウスにストナケイトは愛用の剣を掴んでフジの高みを見上げる。そこに何がいるのかはわからない。しかし、そこにいる何かが放つ力の強さだけはエリウスにもストナケイトにもよくわかった。そしてそのものが、かつてないほどの強敵であることも。
 「我々だけで大丈夫か?」
 「う〜〜ん、たぶん。レオナ達もいるし、もしものときは、ね?」
 ストナケイトの問いかけにエリウスは自分の後ろに控えるレオナに視線を送る。攻防揃った巫女姫たちがいればそうそう負けることはないだろう。その自信がエリウスにはあったが、もしものときの保険は用意してあった。そのことを指し示すように、自分の胸元に手をあててストナケイトに笑いかける。その意味はストナケイトにもすぐに理解できた。
 「いいのか?それを使うのは母上たちから禁じられているはずだが?また暴走したらどうする?」
 「まあね。でも、もしものときの保険、そういうことですよ」
 険しい顔つきのストナケイトに微笑みかけながらエリウスは霊峰フジへと足を踏み入れる、この先に眠っているはずの”指輪の巫女姫”を取り戻すために。そしてその彼女が自身を掛けて封じたものもまた目を覚まし、自分達を待ち構えているはずであった。激しい戦いになる覚悟を決めてエリウスは山へと歩を進めてゆく。その後をストナケイト、レオナ、アルデラ、フェイトが続く。これだけの面々で負ける相手など見つけるほうが困難であった。
 「さてと、”巫女姫”の気配は・・・山頂か・・・」
 「醜悪な気配もそこから漏れてきているな・・・」
 山頂を見上げながらエリウスとストナケイトは避けられない戦いに胸を躍らせる。この高大なフジの山頂にいてその気配を自分達に察知させるほどの敵が待ち構えていることはエリウスたちにとって滅多の目にかかれないほどの敵であることを意味していた。その敵が待ち構える山頂を目指していっこうはフジを登ってゆく。やがて山頂が見え始め、そこに豪華な社が建っているのが見えてくる。麓にまで届いていた気配はそこから発せられていた。
 「あそこにいるみたいだね・・・」
 「巫女姫もか?」
 「たぶん・・・また封印されるのを恐れてそれを押さえ込んでいるんだと思う」
 エリウスは今の状況から社の中の様子を推察する。あの気配の持ち主が封印が解けたことに気付かないはずがない。その主がいまだ動こうとしないのは”指輪の巫女姫”が動き出すことを恐れているからに他ならない。彼女が動き出せば、また長い封印の眠り似つかなければならないからである。それをさせないために”指輪の巫女姫”の復活を阻止しているのだろう。
 「なら、私がそいつを抑える。お前は”指輪の巫女姫”の救出を」
 「大丈夫ですか?」
 「私を信じろ。もしものときは全力で戦ってやる!」
 ストナケイトはそう言って自分の鎧を叩いてみせる。そこには自信が満ち溢れていた。兄がここまで言うのだからそれに乗らないのは失礼に当たる。エリウスはそう考えてストナケイトの策に乗ることにする。まず、ストナケイトが剣を構えて社の前に立つ。その後ろにアルデラとレオナがサポートに入り、フェイトがバックアップをする。そしてエリウスは少し離れたところに立ち、戦闘が始まったところで社に飛び込む準備をしていた。
 「ここにいるものが何者であるかは知らぬが、我らが宿願を阻むものは容赦せん!!」
 ストナケイトはきっぱりとそう言い切ると、手にした剣を一閃する。強烈な衝撃波が社に襲い掛かる。誰の目にも社が軽々と吹き飛ばされるものと思っていた。が、吹き飛ばされたのはストナケイトの剣戟の方であった。社を目の前にして放たれたストナケイトの一撃は霧散してしまったのである。それを見たエリウスはもう一つ結界が張られていたのかとその場を注視する。しかし、結界の気配は感じられない。不思議に思ったエリウスがじっと社を見つめると、社の戸が半ば開き、その奥から伸びた手がその衝撃波を受け止めかき消したのである。
 「驚いたな・・・兄上の衝撃波を打ち消す奴がいるとは・・・それも片手で・・・」
 「あちらの世界には数人いたよ・・・そう言うことか・・・」
 目の前で起こったことにエリウスが驚きの声を上げると、ストナケイトは平然と言ってのける。あちらの世界とはもちろん魔界のことである。そして自分の一撃をかき消すことができるものに心当たりがあった。魔界最強の騎士ストナケイト、その彼の上に立つものは五人だけ。父バーグライド=グラド=フォルケン、魔界四将、それだけである。内”腐敗”のグラシアスはその肉体を失い、クリフトの中でその力を再生させているが、その力はいまだ回復していない。”狂気”のドクトリアンは自分の実験に夢中で戦いに参戦する可能性はない。いまだ眠り続ける父ともう一人の魔将がエリウスに手を出すとは考えにくい。そうなれば考えられる敵は一人しかいなかった。
 「何故貴方がこんなところにいるのです・・・魔界四将が一人、”斬壊”のジェルキン・・・」
 愛用の剣を構えなおしながらストナケイトは自分の技を受け止めた相手の名前を口にする。するとストナケイトの技を受け止めた腕が扉を無造作に掴むと、扉を開けてそこからその正体を現す。漆黒の鎧を纏った長身の武者、肉付きのいい肉体には無駄な筋肉は存在しない。その背中には”天下賦武”の四文字が刻まれた旗がたなびく。
 「よくわかったな、坊主・・・」
 社の中から現れたのはヒゲを生やした長身の男であった。その体には無駄な筋肉は存在せず、その身の丈にあった刀を腰に差していた。男はずかずかと社から出てくると、ストナケイトと相対する。しかし、その男の顔を見たストナケイトはやや不思議そうな顔をしていた。
 「誰だ、お前は・・・」
 「今しがたお前が我の名前を言ったではないか!」
 ストナケイトの問いかけに男は鼻で笑いながら答える。魔界四将が一人”斬壊”のジェルキンのことはエリウスもよく知っていた。しかし、彼は上位悪魔としてバーグライド=グラド=フォルケンに代わって魔界を統治しているはずであった。人のみでこの地に居ることがまずエリウスには納得がいかなかった。
 「問い方を変えよう。何故貴方がこの地に居る?」
 「愚問だな・・・我は戦いの悪魔。戦いに召喚されればその地に根を下ろす。契約が果たされるまで・・・」
 その答えはエリウスには半分納得のいくものであった。エリウスたちのように半身をこの世界に元々置いている悪魔ならばいざ知らず、他の悪魔たちは召喚されなければこの地に足を踏み入れることはできない。だからジェルキンがこの地に居る以上召喚されたことは間違いない。しかし、そうだとすると今彼が発している妖気のレベルが納得いかなかった。
 「本来、召喚された悪魔が人型を取ればその魔力は格段に下がるはずだが?」
 「そうだな。この世界に影響を及ぼすゆえにその力のほとんどがそぎ落とされてしまう」
 しかし、ジェルキンから感じられる妖気のレベルはそれを遥かに越えていた。今、こうやって佇んでいるだけで空間が歪み、大地が悲鳴を上げているのがわかる。ジェルキンが人の姿をしていながらこの世界に影響を与えるほどのレベルの魔力を内包しているのは間違いない。その力はダークハーケン城にいるヒルデに匹敵するだろう。
 「簡単なことだ。我をそのままこの世界の呼んだものがいるのだ」
 「そんなバカな。それこそ不可能・・・」
 「そうでもないぞ?我を受け止められるだけに器があれば・・・」
 ジェルキンの言葉にエリウスもストナケイトもようやくもう一つの方法を思い出す。はっきりいってその方法は賭けに近い。魔族の召喚には二通りの方法がある。枷を掛けて力を抑えて召喚する方法と、魔族を寄り代に降ろす方法。前者は安全確実であるが、実力が数段落ちる。後者は実力は強大であるが、魔族をそのまま受け止められるだけの器が必要となる。しかし、それだけの器など早々いるはずもなく、召喚に失敗し、器が壊れることの方が大半であった。しかし、何万人に一人の割合で魔族をそのまま受け止められる器が生まれることがある。その器が今ジェルキンが宿って居る器なのだろう。
 「なるほど、その器を得てこの世界に降り立ったというわけか・・・」
 「そうだ。これで我はこの世界に縛られることなく全力で戦うことができるぞ?」
 勝ち誇ったジェルキンにエリウスもストナケイトも何も言えずにいた。おそらく真の姿を現したエリウスやストナケイトでさえ太刀打ちできないほど実力差があることは明らかであった。この世界に存在するために制約を受けている自分達とその制約を受けないジェルキン。元からの実力の差を鑑みてもどうすることもできないものであった。
 「しかし、その男の器とはいえ、お前一人でそこまでのことは出来まい?」
 「ええ。魔界にいる我に器を用意することはできませんからね。この男が協力してくれましたよ」
 ジェルキンはそう言って胸元をはだけて見せる。ジェルキンの胸板には人の顔が浮かび上がっていた。その中性的イメージのある美少年はゆっくりと目を明けると、じっとエリウスたちを見つめてくる。
 「ようこそ、死の門出に。ヴェイグサス神・・・」
 「お前は・・・アマクサ・・・」
 「そうですよ。九賢人が一人、アマクサにございます」
 その正体に気づいたエリウスが驚愕の表情を浮べるのをアマクサはさも嬉しそうに笑って答える。しばし驚いていたエリウスだったが、すぐにこの状況を推察する。いくつかのことが頭の中に浮かび上がったが、やがて一つの結論に至る。そしてそれが真実であるとしか思えなかった。
 「なるほど、お前がジェルキンをこの世に呼び寄せた張本人か・・・」
 「ええ、そうですよ。まあ、この器になった男ノブナガは本気で世界を支配する気でいましたが・・・」
 アマクサはエリウスの言葉を肯定すると、くすくす笑いながら全てを語って聞かせる。エリウスを倒す策を練っていたアマクサであったが、九賢人中もっとも魔法に精通した彼でもエリウスを倒すことには疑問を感じていた。いくら方策を練ってみてもエリウスを倒す策が産まれない。第一エリウスの周りを固める化け物どもをどうにかできるだけの戦力の確保が問題であった。そんなアマクサがであったのがこの央の国の国主ノブナガであった。彼はヨトユラ統一、果てはホルネイストを統一支配する野望を抱いていた。
 「あまりに無謀で荒唐無稽な野望であったがな、奴はそれを信じきっていたよ」
 「そこでお前はそいつの野望を手助けする振りをして・・・・・」
 「そうですよ。あなた方を倒すにはより上位の魔族を呼び出せばいい。魔界四将をね」
 その言葉を聞いたエリウスは合点がいった。何故ジェルキンがこの世界に召喚されたのか、それは彼が魔界に残っている最後の魔界四将だったからである。ドクターはすでにこの世界にいたし、グラシアスは転生中、最後の一人は魔界よりもこちらの世界にいることのほうが多い。最も最後の一人を召喚していたらその場でアマクサの命はなかっただろうが。
 「それでお前まで何故ジェルキンに飲み込まれている?」
 「簡単なことですよ。自分から彼と融合したのですよ、貴方を倒すためにね!」
 エリウスの問いにアマクサは狂気に満ちた笑みを浮べて答える。九賢人の中でも頭の切れる彼には自分ひとりでヴェイグサス神にとどめを刺す策が色々と考えていた。そんな中産まれたエリウスは魔族の中心に位置し、まともにやりあえば自分の消滅は避けきれない。とはいえほかの九賢人たちは己の道を進みだしてしまっていてアマクサの呼びかけに答えるものは皆無であった。そこで思いついたのが魔界四将を受け入れられるだけの器を探し出し、魔界四将を使ってエリウスを倒すこと。しかしこの策が実を結ぶまでには相当な時間を必要とした。
 「器が見つからなかった、そう言うことだろう?」
 「ええ。魔界四将ほどの力を持った器などそうそう見つかるわけありませんからね」
 そうやって器を求め歩き続けたアマクサがであったのがこの央の国の国主ノブナガであった。彼はその以上ともいえる支配欲を隠そうともせず、ユトユラ統一、そしてホルネイスト統一を実現させるべく軍備を拡張させていた。その器の大きさを感じ取ったアマクサはノブナガにホルネイスト統一の策を献上する。二度、三度の戦に策を献上すると、ノブナガはアマクサを信用するようになって来た。そしてついにジェルキンと契約を結ばせたのである。その身を差し出す代わりにノブナガの野望をかなえることを約束して・・・・・
 「そしてわたしもジェルキンと一体化したんですよ。貴方を倒すために、ね!」
 「そうして手に入れた肉体を使ってユトユラを統一しようとした矢先に」
 「そうです。”封印の巫女”に封じられてしまったんですよ。この霊峰フジにね!」
 アマクサは忌々しそうに舌打ちをしながらちらりと社の中に視線を送る。開いた扉の向こう側には一人の少女が必死になって祈りを捧げていた。その周りには魔法陣が張られ、その祈りを増幅させている。しかし、少女は結界が破られたというのに祈りをやめようとはしていなかった。
 「何故、”指輪の巫女姫”は目を覚まさない??」
 「彼女は、サクラはわたし達が結界の外、つまり霊峰フジの外に出るか、誰かさんに触れられるまで目を覚ますことはないですよ」
 いまだ祈り続ける”指輪の巫女姫”サクラの様子にエリウスが首を傾げると、アマクサがその理由を答えてくれる。つまりサクラが祈りを続けている間は霊峰フジを取り巻く結界の効力は健在ということになる。となると、エリウスにとって困ったことが起こって来る。
 「この眼の前の魔将をどうするか、だろう?」
 「ええ、兄上。結界を解放してはこいつの力がフルになってしまいますからね・・・」
 ジェルキンたちに聞こえないようにストナケイトに話しかけるエリウスであったが、そんなことアマクサはお見通しなのだろう。その上で自分たちの姿を見せてきたのだろう。エリウスたちが取れる手段は一つしかないことがわかっているから。
 「全力でぶつかってもこいつを倒せる可能性は低い・・・なら、巫女姫だけ連れて逃げるのは?」
 「無理ですね。彼女が目を覚まさなければ彼女を守る結界は消えませんから」
 「結界が消えなければ連れ出すことはできないというわけか・・・」
 ストナケイトはやれやれと肩を竦める。目の前にいるジェルキンの実力は確実に自分よりも上である。最後に戦いを挑んだときも手も足も出ないまま叩きのめされた記憶がある。あれから相当な時間が流れたが、未だに実力の差を縮めたとは思えずにいた。
 「とはいえ、このまま背中を見せるのはわが誇りが赦さぬか・・・」
 「ストナケイト殿、わたし達もも助力いたします!」
 ジェルキンとにらみ合うストナケイトの背後からレオナが声を掛けてくる。すでに剣を構え、白銀に輝く鎧を身に纏い臨戦態勢は整っていた。アルデラも、フェイトも同様に身構え、いつ戦闘が始まってもいい様に準備は整っていた。あとはストナケイト次第であった。
 「このまま尻尾を巻くのは趣味ではないですね・・・」
 「ほう、我に戦いを挑むか、ストナケイト・・・ならば、完膚なきまで叩きのめしてくれようぞ!」
 ストナケイトがようやく腹をくくって剣を構えると、ジェルキンはそれに答えるように指を鳴らしてから自分の刀を抜き放つ。黒光りする刀身をぺろりと舐めると、ジェルキンはストナケイトに刀を向けて構えを取る。ストナケイトもまた、愛用の剣をジェルキンの正面に構える。と同時に二人が動く。2人の剣と太刀がぶつかり合い、すさまじい衝撃波が周囲に広がってゆく。
 「くっ・・・なんという・・・」
 その衝撃波にレオナは顔をかばいながらその戦いに目を見張る。力を尽くした渾身の一撃がぶつかり合い、火花を散らす。耳に響くような重い金属音が響き渡る。ぶつかり合う衝撃にもお互いに一歩も引かず、お互いに二撃目を繰り出しぶつかり合う。またも重い金属音とすさまじい衝撃波があたりに広がってゆく。その重い一撃に2人の足元は崩れ落ち、社の外壁が吹き飛ばされてゆく。
 「さすがは魔界屈指の実力者同士の戦い。すさまじいものだな・・・」
 「エリウス様、ご無事で?」
 「僕は大丈夫だよ。それよりも社のほうを守ってやってくれないか?」
 「はっ、畏まりました!」
 ストナケイトとジェルキンのたたきに見入っていたエリウスにアルデラとフェイトが心配そうに近寄ってくる。もっともエリウス自身は自分の周りに張られた防壁が二人に戦いの余波など弾いてくれているので、むしろ無防備な社の方を気にしていた。確かに二人の戦いの衝撃波をもろに浴びて外壁は吹き飛ばされ、屋根ははがれ、柱まで傾き始めている。これではいつ倒壊するかわかったものではない。中のサクラは結界の中にいるので怪我をする心配はないが、万が一のことがある。アルデラとフェイトはエリウスに命じられるままに社のほうへと廻ってゆく。
 「すさまじいものですね・・・」
 「これでも2人とも半分も力を出せていないんだけどね・・・」
 目の目で繰り広げられる激戦を目の当たりにしてレオナは半分感心して、もう半分は呆然としてそんな感想を漏らす。これでも2人とも半分以上の力を片やサクラに封じられ、片やこの世界に降り立つために封じているのだ。もし全力で戦ったとしたらどれほどの被害がこの周囲を多い尽くすのかと想像するだけで、レオナは身震いしてしまう。同時にこの戦いの行方もある程度見えてきてしまった。
 「この勝負、ストナケイト殿は・・・」
 「ああ、兄上は勝てないだろうね。今出せるフルパワーが相手の7分の力みたいだから・・・」
 レオナもエリウスも同じ意見であった。全力全開で剣を振うストナケイトに対して、ジェルキンのほうにはまだまだ余力が残っていることは明らかであった。全力で戦わないのはストナケイトがレオナたちと共闘したときのために残しているのだろう。それだけ余力を残している相手と真正面からぶつかり合って勝てるはずがなかった。レオナは剣に手を掛け、いつでもジェルキンに跳びかかれるように準備をする。社を守るアルデラもフェイトも同様であった。二人ともすでに呪文の詠唱準備は整っている。
 「エリウス様・・・」
 「ああ。もしものときは僕も・・・」
 エリウスもまた臨戦態勢を整える。いつストナケイトが負けてもいいように、すぐさまジェルキンに飛び掛れるように準備を整える。そしてそのときは意外に早く訪れる。ストナケイトの激しい斬撃を平然と受け流したジェルキンの返しの太刀がストナケイトの肩口に深々と食い込む。その一撃でストナケイトの動きは完全に止まってしまう。
 「勝負あり・・・だな?」
 「うぐっ・・・まだ・・・」
 深々と肩口に食い込んだ太刀を引き抜くとジェルキンは勝ち誇った笑みを浮べる。対するストナケイトはがくりと膝を折り、肩口を押さえて蹲ってしまう。致命傷ではないが、もはやまともに剣を振うこともできない状態であった。それでもなお、ストナケイトは立ち上がりジェルキンに挑みかかろうとする。
 「やめぬか、ケイト!勝負はもはやついたぞ!」
 そんなストナケイトを叱責し押しとどめる声があたりに響き渡る。誰もがその声のするほうに顔を向ける。そこには2人の女性の姿があった。一人はヒルデ、もう一人はエレナであった。ヒルデの方は眉をしかめ、ギロリとストナケイトを、そしてジェルキンを睨みつけている。対してエレナのほうはニコニコと笑みを絶やさずにいた。
 「母上・・・何故こちらに・・・」
 「見知った魔力を感じたのでな。事の真相を確かめに来た」
 ジェルキンを睨みつけたままヒルデはストナケイトの問いに答える。確かに霊峰フジが結界に覆われている間も感じられたほどジェルキンの魔力は強大であった。その結界がなくなり、遠くに居るヒルデたちにもその魔力の気配が届いたのであろう。ヒルデの眼光を平然と受け流しながらジェルキンはにやけた笑みを浮べる。
 「これはこれは、ヒルデ女王陛下。このようなところにいかような御用で?」
 「たわけたことを言うでない、ジェルキン!そなた、何故魔界の守りを放棄した!!?」
 ジェルキンの態度にヒルデは怒りを露にし、大声で怒鳴りつける。その怒声は大気を震わせ、エリウスたちその場にいるもの全ての肝を冷やすほどであった。そのヒルデの絶叫にもジェルキンが動揺した様子はなかった。むしろ挑発するような眼差しでヒルデを睨みつける。
 「そんなのわれの勝手でしょう?それともそれを咎めるとでも?」
 「その役は陛下から賜った重要な役、それを放棄するというならこの場で成敗せねばならぬ!」
 「われをですかな?魔界四将が長、”塵芥”のヒルデ殿?」
 昼では威圧的な口調でジェルキン倒滅を宣告すると、右腕をかざしてその爪を最大限にまで伸ばす。触れたもの全てを切り裂きそうな切れ味を見せる赤き爪が対するジェルキンの姿を映し出す。ジェルキンもヒルデの昔の称号を持ち出して挑発しながら手にした刀を腰だめに構えていつ戦いが始まってもいい様にする。二人の間に張り詰めた空気が流れ、その場にいる誰もが声を出すことさえできずにいた。
 「わらわに勝てると?」
 「勝てますね・・・魔界では五分か貴方が少し上でもここは人間界。制約を受ける貴方とわれとでは力の差は歴然でしょう??」
 ジェルキンの言葉にヒルデは眉をしかめる。確かに今戦えば自分もただではすまないことはわかっている。だからといって今この目の前にいるものをこのまま放っておくわけにはいかない。臨戦態勢に入ったヒルデとジェルキンがじわりじわりと距離を詰める。
 「そこまでです、お姉様、ジェルキン殿・・・」
 と、突然それまで黙ったまま空を見上げていたエレナが二人の間に割って入る。実力的にはこの2人どころかストナケイトにさえ遠く及ばないエレナの介入にヒルデもジェルキンもその場にいる誰もが驚きを隠せなかった。当のエレナはニコニコと笑みを絶やさぬままじっとジェルキンとヒルデを交互に見つめる。
 「退け、エレナ!怪我をするぞ!!」
 「ダメですよ、お姉様。ここで戦えば怪我をします」
 ヒルデが押しのけようとするとエレナはやんわりとそれを拒絶する。芯の強いエレナがそう簡単に引かないことはヒルデが一番よくわかっていた。特にこういったやんわりとした笑みを湛えているときは決して引くことを知らない。むしろ引かなければ手痛い目を見るのは自分の方なのはヒルデが一番よくわかっていた。
 「これはこれは。エレナ第二女王陛下ではありませぬか?」
 「はい、そうです。ジェルキン殿、此度のことは不問にします。今すぐ魔界に戻りなさい!」
 「それは第二女王陛下のご命令で?」
 バカにしきった口調で尋ねてくるジェルキンにエレナはきっぱりと頷く。ここで引けばそれ以上何も言う気はエレナにはなかった。しかし、自分の優位を疑わないジェルキンがそれを聴くはずがないことはその場にいる誰もがわかっていることであった。案の定、肩を竦めて首を横に振ってくる。
 「なにを言っているんだか・・・まさかわれを懲らしめるとでも?」
 「はい、徹底的に懲らしめます・・・」
 自分の優位を疑わないジェルキンにエレナはきっぱりと言い放つ。その態度がジェルキンのプライドを大いに傷付ける。これほどの、魔界第二位の実力者であるヒルデさえも上回る力を得ている自分にたいした力も持っていない人間上がりの魔族がそんなことを言い放つことが赦せなかった。
 「面白いことを仰いますね?われを懲らしめる?あなたが??」
 「いいえ、貴方のお相手は後ろの方です」
 やる気満々で刀を構えるジェルキンをいなすような笑みを浮べてエレナがジェルキンの背後を指差す。ちらりとそちらに視線を送ったジェルキンはぎょっとした表情を浮べる。空間が割れているのだ。その先は漆黒の闇。なにもない暗黒。それがその裂け目から先に広がっていた。そしてその闇をジェルキンはよく知っていた。
 「魔界・・・だと??」
 「そうですよ。ほら、いらっしゃいました」
 くすくすと笑うエレナの言葉どおり、闇の向こう側から何かが飛び出してくる。漆黒の闇が形作るもの、それは獣の腕であった。咄嗟のことに反応の遅れたジェルキンはその腕に顔を鷲掴みにされてしまう。必死になってもがくが、ギチギチと締め付ける握力は半端ではなくとてもではないが振りほどけそうになかった。
 『なかなか楽しい事をしているじゃねえか、ジェルキン!!!』
 闇の向こう側から大地を震わせるような声が聞こえてくる。その声を聞いただけでエリウスたちは震えが止まらなくなる。それほどの存在感であった。そしてその声に聞き覚えがある者はこの中に数人存在していた。なかでもジェルキンの狼狽振りはすごいものがあった。
 「まさか・・・まさか・・・」
 『おいおい。まさかワシが目を覚まさんとでも思っていたのか?』
 その向こう側にいるものの正体を察したジェルキンは青くなる。そんなジェルキンをあざ笑うかのように漆黒の腕は彼の顔を握りつぶさんばかりに締め付けてくる。メキメキとジェルキンの頭蓋骨の軋む音がエリウスたちのところにまで聞こえてくる。やがてジェルキンの顔を締め付ける腕に変化が現れる。人の腕の形を為してゆく。人の腕というには大きすぎる腕であったが、毛むくじゃらな人の腕であった。そしてさらに空間は避け、その奥からヒゲ面の粗暴な男が顔を出す。口の端から除く犬歯がその獰猛さを掻きたてている。
 「久しぶりじゃな、ヒルデ、エレナ、ケイト、アルデラよ!そして、そっちに居るのがエリウスか?」
 身の丈3メートルにも及ぶ巨体の男が空間の裂け目から完全に姿を現す。その鍛えこまれた肉体に脂肪のしの字もなく、その巨体に見合った怪力を披露していた。そんな男はこちら側に降り立つとヒルデ、エレナ、ストナケイト、アルデラの顔を見回す。そして最後にエリウスの顔をじっと見つめながら尋ねてくる。
 「はい。はじめてお目にかかります、父上・・・」
 「んんつ?ワシの子供の割に礼儀多々しすぎるようじゃな?」
 「貴方が礼儀知らずすぎるのじゃ、バイグラード!」
 畏まって頭を下げるエリウスにバーグライドが大笑いして答えると、そんな彼をヒルデが嫌味たっぷりに咎めてくる。こんな粗暴な男からよくエリウスが産まれたものだとでも言わんばかりにバーグライドを睨みつける。そんな昼での嫌味もバーグライドは大笑いするだけで平然と受け流していた。
 「あれからどれくらい経った?」
 「貴方がお休みになられてからかれこれ20年になります」
 「ほう、そんなに経ったのか・・・道理でここがこんなに張り詰めているわけじゃわい!」
 ゲラゲラ笑いながらバーグライドは自分の下半身を指差す。そこではバーグライドの男を示すものが怒張し、そこかしこと破れたズボンを持ち上げている。レオナとフェイトはその様子に思わず赤面し顔を背けてしまう。アルデラはまたかを頭を抱え、ヒルデは鼻で笑っている。
 「そなたの勃起はいつものことではないか。年中無休でおっ勃てておるくせに!」
 「むぅ?そんなことを言うのか、ヒルデよ。これがとても好きじゃとよがりまくっておるくせに!」
 「そ、そのようなこと、このようなところで言う出ない!デリカシーのない男じゃ!」
 バカにしきった口調でバーグライドを下げ荒んだヒルデであったが、思いもかけない反撃に思わず激昂してしまう。そんな二人の様子にエレナはくすくすと笑っているだけであった。一方、一人忘れ去られたようにバーグライドの腕の中でもがいていたジェルキンはようやくその腕から脱出することに成功する。
 「ま、まったく・・・相も変らぬ怪力ですね、貴方は・・・」
 「んっ?何じゃ、ジェルキン。まだおったのか?」
 まるでゴミでも見下ろすような感じで悪態をつくジェルキンを見下ろすと、どこかに行くように右手で促してくる。その自分を完全に下に見るバーグライドの態度にジェルキンは激しく怒る。その両の眼をむき出しにし、歯が砕けんばかりに喰いしばり、バーグライドを睨みつける。
 「大体20年もどこぞに隠れていたくせに・・・一体どこにいたというのですか、貴方は?」
 「ワシか?ワシは”魔の源泉”で力を蓄えておったぞ?」
 ゲラゲラと笑いながら答えるバーグライドにジェルキンは呆然としていた。”魔の源泉”といえば魔界にある魔力をたたえた泉のことである。泉と言っても水が湧き出ているわけではない。魔力そのものが泉のように湧き出しているのである。生殖機能を備えていない下級魔族はそこから生まれてくる。またそこに生き物を放り込めば、新たな魔族を生み出すことも可能であった。もちろんその前に肉体が消滅してしまう可能性のほうが高いが。だが上級魔族には何の意味も成さない場所であるため、ジェルキンもそこには目をやっていなかった。
 「そのようなところで・・・」
 「まあ、エリウスに全ての魔力を吸われちまったからな。早く治すにはあそこが一番だと思ってな」
 驚くジェルキンにバーグライドは笑いながら答える。常に魔力を湛える”魔の源泉”ならば絶えず魔力を補給してゆくことができる。そんな泉に使っていてもバーグライドが復活するまでに20年も要したことは彼の力がどれほど強大であったかを物語っていた。そしてそのことを理解したジェルキンは身震いする。
 「まったく、そんなところにおったのか?どうりで近年下級魔族の生まれる率が悪いと思ったら・・・」
 ヒルデもまたあきれた顔をしている。近年下級魔族の生まれる量が減っていることはヒルデも気にかかってはいた。それでも泉が彼としているわけでないことはヒルデ自身が自分の目で確かめてわかっていた。しかし、その自分が見ていた泉の中で自分の旦那が眠っていたとは思いもしなかった。
 「まあ、お陰で傷も治ったことだしな・・・ジェルキン、今魔界に帰ればこれまでの無礼、許してやってもいいぞ?」
 「そのようなことを言って、実はわれと戦うのが・・・」
 「お前如きと闘うのが・・・なんだって?」
 バーグライドを挑発するような口調で言い放ったジェルキンだったが、バーグライドの一睨みにそれ以上何も言うことができず、ただ唸っているだけであった。その体から溢れ出す闘気と魔力がジェルキンを圧倒する。しばし、ジェルキンを睨みつけていたバーグライドは鼻を鳴らしながらジェルキンと対峙する。
 「そこまで言うなら相手をしてやろうじゃねえか。ただし、手加減はしねぇぞ?」
 バーグライドは獰猛な笑みを浮べてそうジェルキンに言い放つと、右手で印を結ぶ。すると空間がひずみ、そこから巨大な鉈が現れる。3メートルの巨体のバーグライドと同じくらいの大きさの鉈にジェルキンは思わず息を呑む。大きさもだが、重さも相当なもののはずである。それをバーグライドは片手で軽々と振り回しているのである。その光景にジェルキンは言葉が出なかった。
 「ふむ、体の方に異常はねえみてだな。あとは・・・」
 しばらく鉈を振り回して体の調子を調べていたバーグライドは自分の体がやや鈍っているものの、十分先頭に耐えうるものであると判断し、ジェルキンを睨みつける。その鋭い双眸はまさに獲物を狙う獣の目であった。バーグライドの圧倒的な気に押されてジェルキンは手にした刀を思わず落としそうになってしまう。
 (な、何を恐れる・・・われはこの世界で最強の生き物となったはず・・・)
 (そうだ。我々に叶うものなどあるはずがない!)
 自分に言い聞かせるようにするジェルキンにアマクサが答える。自分が負けるはずがない、そう言い聞かせるようにして全身の魔力を込める。筋力も敏捷性の限界にまで高められる。このパワーとスピードについてこれるものなどいるはずがない。先ほどもストナケイトがまるで相手にならなかったように。しかし、次の瞬間、ジェルキンが見たものは信じがたいものであった。軽々と振り上げられた鉈が猛スピードで自分に襲い掛かってきたのである。鉈の重みにスピードのついたその一撃を受け止めたら、刀の方が耐えられないと判断したジェルキンは慌てて横に飛ぶ。
 「なに避けてんだ、てめぇ!!!」
 バーグライドの全力の一撃が大地を穿つ。固い足場に大きな亀裂が走り、砂塵を巻き起こす。その見事なまでの一撃にジェルキンは思わず息を呑む。もしまともに食らっていたらこの体が真っ二つになっていたかもしれない。だが、あれほどの重量を誇る鉈ならば、構えなおすまでに時間が掛かるはず。そう踏んだジェルキンはそこからバーグライドに襲いかかろうとする。そのジェルキンをバーグライドは一喝すると、鉈の柄を軸にして体を旋回させてその巨木のような蹴りをジェルキンの横腹に蹴りこんでくる。
 「ぐぼはぁぁぁっっっ!!!」
 胃液と唾液に混じって赤いものを撒き散らしながらジェルキンの体が大きく吹き飛ばされる。蹴りを見舞ったバーグライドはその勢いを殺さずに着地すると、そのまま地面に突き刺さった鉈を肩に担ぐようにして引き抜く。そしてそのまま有無を言わさずに先ほどのダメージによろめくジェルキンに襲い掛かる。
 「おらおらおらおらぁぁぁっっっ!!!」
 「ぐぅつっ!!ぐおぅっっっ!!」
 バーグライドの拳が、蹴りが、鉈が連続してジェルキンに襲い掛かる。殴る蹴るだけではない。その鋭い犬歯での噛み付き、頭突き、その五体を使った攻撃なら何でもありであった。それゆえ次の攻撃が読めない。それがジェルキンがバーグライドに圧倒される一因であった。そのバーグライドの一撃、一撃は勢いを殺さず、渾身の力を込めた一撃であった。身の丈3メートルを越える大男とは思えない身のこなしでジェルキンに反撃の機会を与えないまま圧倒する。そこには技術などない。純粋な力、ただそれだけであった。いかにジェルキンが魔力を使って、技術を駆使して裁こうとも裁ききれない圧倒的なまでの力がそこには存在していた。
 「ぬおらぁぁぁぁっっっ!!!」
 「ぐはぁぁぁっっ!!こ、この化け物め・・・・」
 そのバーグライドの圧倒的な力を目の当たりにしたジェルキンは思わず悪態を付く。魔界での力を存分に発揮できる自分がここまで追い詰められるとは思いも寄らなかったからだ。今の自分ならばバーグライドにも勝てる、そのジェルキンの自信は根底から覆されてしまっていた。それほどまでの力の差であった。
 「バカな・・・・何故これほどにまで・・・・」
 「まだ気付いていなかったんですか、ジェルキン殿・・・」
 魔界にいたときよりも圧倒的な力の差にジェルキンもアマクサも動揺しきっていた。せっかく自分の魔力に耐えられる器を手に入れたというのにこれでは逆に弱くなったとしかいえない。そんな動揺するジェルキンにエリウスが哀れなものを見つめるような顔で話しかけてくる。
 「何に気付いていないよ?」
 「器のことですよ・・・確かに器は素晴らしいです。しかし、それによって貴方の真価は封じられているのです」
 エリウスの一言にジェルキンもアマクサも絶句してしまう。この強化された力を震える肉体が逆に自分の力を押さえ込んでしまう結果になるとは思いもしなかったのだ。信じられないと首を横に振るジェルキンにエリウスは詳しくそのことを説明してくる。
 「器を得ることはその魔力を存分に発揮することができます」
 「そんなことはわかっている!!」
 「その代わり、その魔族の持つ力、貴方ならば”斬壊”の力が発揮できないのですよ」
 エリスはそうきっぱりと指摘してくる。その言葉にジェルキンもアマクサも何も言い返すことができなかった。純粋な魔力を駆使した攻撃はストナケイトどころか、バーグライドさえも越えているかもしれない。しかし、そのためにジェルキンの真価である全てを切り裂く力が失われてしまったというのだ。
 「ちなみにワシはこの体でも全力で戦えるぞ?それが許されたただ一体の魔族だからの!」
 驚きを隠せないジェルキンの額にバーグライドはさらに驚きの事実を伝えながら強烈なパチキをかます。ゴンと鈍い音が響きあたり、ジェルキンは額を押さえて数歩後退する。
 「もう一ついいことを教えておいてやる。この世界にはお前以上の力を持った生き物はまだまだいるぞ?」
 「そんな・・・バカなことが・・・」
 「ちなみにその一人がケイトの嫁さんだ」
 バーグライドは驚くジェルキンを笑いながらアルデラのほうに視線を送る。視線を送られたアルデラは少し嫌そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。が、それを否定はしない。真祖のヴァンパイアである彼女の力はバーグライドに近しいものがある。そのことをアマクサが失念していたのがエリウスにはお笑いでしかなかった。
 「うちのチビどももこのまま成長すればお前より強くなるな・・・」
 「あとはどこぞで惰眠を貪っている最高位のエルフか・・・」
 エリウスとヒルデが指を折りながらジェルキンを越える実力者を教えてゆく。もちろん、エリウスと12人の巫女姫もそのうちに入るが、あえてそれは伏せておく。それだけでもジェルキンには衝撃的な事実であったから。驚きによろよろとよろめくジェルキンをバーグライドは鉈を肩に担ぎながら見下ろす。
 「これですっきりしたじゃろう?ならこれで終わりにするか!」
 「われが・・・われを越えるものがそんなに・・・」
 ガクガクと震えるジェルキンにもはや反撃の意思は残っていなかった。アマクサが体を操って脱出を試みようとしたようだったが、肉弾戦でバーグライドに敵う筈もなかった。鋭い勢いで振り下ろされた鉈がノブナガの体を真っ二つに切り裂く。その一撃にジェルキンの魔族としての肉体も、アマクサの邪悪な意思も両断されてしまう。
 「わが・・・天下賦武の・・・野望が・・・」
 ジェルキンとアマクサの意思がなくなった肉体にはノブナガ本人の意識がわずかな時間だけ戻ってくる。ヨトユラを、世界を支配しようとしたノブナガの野望はこうして朽ち果てたのである。大量の血をぶちまけながら肉塊が辺りに散乱する。その返り血を浴びながらバーグライドは犬歯をむき出しにして笑う。
 「もっと修行を積んで強くなってから掛かってこんか!!」
 血にまみれた鉈を肩に担ぎながらバーグライドは大笑いをする。そしてその傍らによって来たヒルデとエレナの腰に手を回して自分の懐に招き寄せる。
 「20年か・・・淋しい思いをさせてしまったな・・・」
 「まったくじゃ・・・不義な夫もいたものじゃ」
 「ですが無事のご帰還、お喜びいたしますわ」
 2人の腰、というかお尻をおもむろに撫で回しながらバーグライドは二人の妻にわびる。そのバーグライドの手を捻り上げながらヒルデは彼を睨みつけ、エレナはその手の動きに頬を染めながら彼の帰還を喜ぶ。そんなバーグライドのスケベぶりにストナケイトはあきれ返り、エリウスはクスクスと笑い出す。
 「父上もお盛んですね・・・」
 「おう!20年も溜め込んだからな!エリウス、後のことはお前に任せるぞ!」
 「父上、どちらに?」
 「今日は徹夜でヒルデとエレナに侘びを入れないかんからな」
 バーグライドはそう笑ってヒルデとエレナを伴って消えてゆく。おそらくはダークハーケン城のバーグライドの私室へと跳んだのだろう。今宵はダークハーケン上には近寄らない方がいい。エリウスはそう判断する。さらに、後ろに控えるレオナに声をかける。
 「レオナ、城からステラを連れて来ておいたほうがいいよ。教育上、よくないから」
 「そ、そうですね・・・」
 「それからみんなにも城には近寄らないように指示しておいてくれ」
 自分のことは棚に上げてエリウスはそう指示をする。レオナはそのことに突っ込み入れないで置いてフェイトを伴って魔天城へと戻ってゆく。その後ろ姿を見送ると、エリウスは再度社の方を仰ぎ見る。先ほどの戦いの衝撃で半壊した社であったが、その中央部は無傷のまま残されている。
 「さてと・・・”指輪の巫女姫”を起こすのは骨が折れそうだ・・・」
 エリウスはそう言いながら指を鳴らしサクラを取り巻く結界に歩み寄ってゆく。新たな巫女姫を救い出すのに欠かせない作業を遂行するために。そして、この先にはまだ戦いが残っている。大結界に封じられ踏み入ることのできなかったストラヴァイド光国を取り戻さなければならない。そしてそのときは刻一刻と近付いてきていることをエリウスはヒシヒシと感じていた。


ここにストラヴァイドを除くホルネイスト大陸にある国々はエリウス率いるヴェイス皇国の前に跪いた。大結界の中不気味な沈黙を続けるストラヴァイドがどう出てくるのか。誰にもわからなかった。今最後の戦いの幕が開けようとしていた・・・ 


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