第2話 轟火の花嫁  前編


 「やっと、やっとここまで来たよ・・・」
 純白のウェディングドレスに身を包んだ女は嬉しそうな顔をして目の前に座る相手に笑いかける。同じく白いタキシードに身を包んだ相手は身動ぎ一つしないでその言葉を聞いていた。そんな相手の側に歩み寄ると、女はその膝の上に座り込む。そして相手の首に手を回し、その唇に自分の唇を重ね合わせる。うっすらと開いた相手の口の中に舌を差し込み、相手の舌に絡みつかせる。絡み合った舌と舌が唾液と交じり合い、イヤらしい音を立てる。しばし唇と舌を堪能した女はゆっくりと唇を離す。唾液が名残惜しそうに二人の間に糸を引く。
 「やっとあなたとひとつになれる・・・」
 頬を朱に染めて嬉しそうに女は微笑みかける。その表情は至高の喜びに満ちていた。満ちていながらその目には大粒の涙が溜まっていた。しかしその表情に嬉しさが湛えられているのも間違いなかった。眼の前にいる相手とひとつになれる。こんな嬉しいことは女にはなかった。だが、いくら嬉しそうに微笑んでも無反応な相手が悲しくて仕方がなかった。
 「・・・一つになろう・・・」
 女はそれだけ言うと相手の膝の上に跨る。そして自分の股間を相手の太股に擦りつけながら腰を動かし始める。興奮し、愛液を湛えて濡れ始めた下着はくっきりと女の性器を浮かび上がらせていた。浮かび上がったクリトリスを相手の太股にこすりつけ、女はさらなる欲望を求めて腰の動きを加速させる。
 「ふぁぁっ、ああああっ・・・」
 火照った体を冷ますかのように女は胸元を広げ、大きく実った胸を露にする。その胸を両手で覆い尽くすかのように包み込み、揉みまわす。その欲望に答えるように女の肌はさらに紅潮し、うっすらと汗を浮かび上がらせてキラキラと輝きを放つ。その汗を撒き散らしながら女はさらに腰の動きを加速させる。
 「あっ、あっ、あっ、気持ち・・・いい!!」
 だらしなく顔をゆがめ、涎をたらしながら女は腰を強く相手の腿にこすりつける。湿り気を帯びた下着はうっすらと女の恥毛を浮かび上がらせ、あふれ出した愛液が汗と混じりあい、つんとした香りを周囲に漂わせていた。相手の腿も女の愛液でぐっしょりと濡れてしまっていた。しかし、相手はそれをやめさせようとはしなかった。ただじっと女のすることを黙ったままでいるだけだった。そんな相手にもう一度キスをしながら女は腰をさらに奥へと押し付ける。
 「ふあぁぁっっ、気持ちいい、気持ちいいのぉぉっっっ!!」
 相手の腰の上に乗る格好で腰を振る女は嬉しそうな顔でそう絶叫する。相手の股間の上に腰を押し付け、激しく前後に振りながら快楽を貪る。そんな女の下着はだらしなく捲れ上がり、愛液を湛えたヴァギナが露になる。露になったヴァギナでも一際感じやすい箇所、クリトリスを相手の股間に押し付けながら女はさらなる欲望を求める。
 「んんっっ、あああっっ、そこ、そこぉぉっっっ!!」
 ぴりぴりと体中を駆け抜けるような快感を味わいながら女は激しく絶叫する。女がそれほどまでに興奮し、淫らによがっても相手はまるで無関心な様子でいた。それでも女は激しく相手を求め、その体に自分の体を摺り寄せてゆく。ウェディングドレスの上からでも分かるほど張り詰めた乳首を相手の胸板にこすりつけ、腰を振り続ける。
 「あっ、あっ、あっ、すごい・・・もう・・・だめぇぇぇっっっ!!」
 だらしなく涎をたらしながらよがっていた女が一際激しく体を震わせる。同時に大きな声で絶叫する。しばし小刻みに震えていた女は脱力仕切って相手の胸元に倒れ込む。うっとりとした顔で相手の胸元に顔を埋めながら絶頂に達した余韻に浸りきっていた。そんな幸福なときを引き裂くように携帯の呼び出し音が鳴り響く。女の表情が一変して不機嫌そのものに変わる。
 「何、今いいところだった・・・貴方だったの・・・」
 むっとした表情のまま女は電話の相手に捲くし立てようとしたが、相手が誰なのかが分かり少しだけ口調が柔らかくなる。それでもまだ表情はむっとしたままで機嫌が良くなったとは言いがたい状態であった。それでもいきなり携帯を切るようなことはせず、掛けて来た相手の話に耳を傾ける。
 「ええ、こっちは・・・!!それは本当??」
 先ほどまでと一変して女の表情が晴れやかになる。さらに相手の話に耳を傾け、何度も何度も頷く。その口元は邪悪に歪み、喜びに満ち溢れていた。自分が全てを傾ける相手の肩に乗せた手にも力が掛かり、喜びを押さえきれずにいた。何度も何度も頷きながら話を聞いていた女はすっくと立ち上がる。
 「そう、やっとあいつらが・・・ええ、感謝するわ。ここまでしてくれたことを・・・」
 女は何度か感謝の言葉を告げると携帯の電源を切る。そして歓喜に震えながら、自分の眼の前の相手の顔を覗き込む。ここにいたってもまるで関心を示さない相手の唇に自分の唇を重ね合わせる。長い、長いキスを交わしていた女はようやくその唇から唇を離す。
 「やっと、やっとあいつらを・・・・」
 唇を離した女は獰猛な笑みを浮かべて呟く。喜びと怒り、憎しみが入り混じったその笑みに彩られた表情は残忍な悪魔そのものであった。その獰猛な笑みを浮べたまま女は相手の頬を優しく撫でる。今まさに彼女にとって待ちに待ったときがやってきたのだ。窓から差し込む夕陽を浴びた女はその身を真紅に染めながら立ち上がる。それはまるでこれからの彼女の行く末を暗示しているかのようだった。それはまるでその身を血に染め上げるかのように・・・





 「真!いい加減にしな!!」
 空を裂く音とともに白いチョークが一点を目指して飛んでゆく。その当たったら岩をも砕きそうな一投を目標である少年は事も無げにノートで受け止めて見せる。受け止めて見せながらなおも机に臥せって惰眠を貪り続ける。その少年の姿はチョークを投げた張本人の怒りの炎に油を注ぐことになる。
 「寝るな!起きろ!教師を舐めるな!!!」
 教室中を震わすような怒声に他の生徒達は身を震わせる。震わせながらなれたように黒板に掛かれたことをノートに書き写してゆく。下手に関わり合いになりたくない、それが他の生徒達の一致した見識であった。怒りに震える教師と眠り続ける少年、二人の戦いはまたしても幕を開ける。結果がどうなるかは誰もがわかっていることだったが・・・
 「この・・・いい加減に起きろ!!!!」
 教師はまたしても教室を震わせるような怒号を上げ、黒板に合ったチョークを連続して少年目掛けて投じてくる。その怒りとともに投じられたチョークのことごとくを少年は事も無げにノートで受け止めて見せる。そしてまだ眠り続けるのだった。そんな少年の態度が教師の怒りをさらに増大させる。
 「樹真!!!廊下に立っていなさい!!」
 「ふぁぁぁぁっっ、何大声出しているんだよ早紀姉・・・」
 「早紀姉言うな!!」
 ようやく目を覚ました真目掛けて早紀香は容赦なく黒板けしを放り投げてくる。その黒板けしを真は事も無げに避けて見せる。被害を受けたのはその後ろにいた生徒だった。真正面からそれを喰らい、そのままぶっ倒れる。それを見た早紀香はまずいといった表情を浮べて凍りつく。対して真はしてやったりという表情を浮べる。
 「全く、学校では早紀香先生と呼びなさいって・・・」
 「早紀姉のこと今更先生なんて、ねぇ・・・」
 「だから早紀姉いうなぁぁっっっ!!」
 幼馴染みの息子ということもあってか、早紀香は真が小さいころからよく知っていた。修二に連れられて初めて会ったときから姉として慕われ続けてきた。早紀香も小さい弟、妹が可愛かったし、美沙香も2人を非常に可愛がっていた。だが、高校になり、同じ学校に通うようになってからもその呼び方を真は代えようとはしなかった。その点明日香は外面挿げ替えられるだけあって、学校では『湊先生』と呼んでくる。今更注意したからといって直せるはずもないことなので早紀香は大きな溜息をついてこの点については諦めることにする。
 「で、何で寝てたの??
 「眠いから寝ていたに決まっているじゃないですか・・・」
 「だからって授業中に堂々と寝るな!!」
 「学校の勉強なんてテストで良い点を取っておけば問題ないでしょう?」
 真の言葉に早紀香は思わず返答に困る。確かに真の成績は群を抜いている。全国トップレベルでこの学校では不動の一位の双璧を為している。因みにもう1人は明日香である。2人とも飛び級で大学を卒業できる学力を備えているが、あえて海外に渡って大学に通おうとは考えていないらしい。それだけ成績が良い二人だけに教師の側からすれば御し難い生徒といえる。ましてや2人は佐々菜グループのご令息、ご令嬢である。他の教師であれば怒る事もしないで放置、触らぬ神にたたりなしと声をかけようともしない。そんな学校の中で早紀香だけが真たちに真正面からぶつかってきてくれていたのだった。
 「勉強さえ出来れば良いってもんじゃ・・・」
 「友達も作っていますよ?生徒会も面白いですし・・・」
 ニコニコと笑ってこたえる真に早紀香は何も言えない。確かに真の気さくな性格のためか、友人は多い。女子の人気は高く(ただしラブレターなどは一切なし、理由は明日香が始末してしまっているため)男子の評判も悪くない。生徒会にも出入りしており、実質その運営をしているのかこの双子といわれている。
 「まったく・・・で、今日はどうしたの?」
 「え・いや、麗とネットダイブしていたら寝過ごした・・・」
 「そんな理由で授業中に寝るな!!!」
 授業中寝ていた理由を問いただすと、真は恥ずかしそうに笑いながら答える。その答えに早紀香の怒号が響き渡り、続いてゴスッという鈍い音が響き渡る。思い切り振り下ろされた早紀香の拳が真の頭部を捉えたのだ。痛みに頭を押さえて伏せる真を無視して早紀香は授業を再開させる。いつまでも真に付き合ってやっている余裕は彼女にはなかった。
 「こんなのほっといて授業、続けるよ!」
 「それなら最初から相手にしなければ良いのに・・・」
 「そこ!何か言った???」
 真を無視して授業を再開しようとする早紀香だったが、その言葉を聞いた真は後頭部を抑えてそう呟く。自分を無視して授業を続けるというなら最初から無視して寝かせておいてくれれば何の問題もなかったことだ。つまり自分は殴られ損という事になる。そのことが分かっているから真は思わず愚痴を漏らす。それを聞きつけた早紀香がじろりと睨みつけてくる。
 「なんでもありませ〜〜ん!」
 真は耳を塞いで首を横に振る。しばし真を睨みつけていた早紀香だったが、すぐに気を取り直して授業を再開させる。その授業を他所に真は窓の外に目をやる。温かな日差しが照りつけ、体を温めてくれる。そんな真の目に屋外で体育の授業を受けている明日香の姿が止まる。100メートルそうのタイムを計っているらしく、明日香は懸命に走っている姿が美しく生えていた。その短パンから延びる白くしなやかな足を見ているだけでも他の男子が喜ぶのが分かるほど明日香の姿は美しかった。そんな美しく成長してゆく明日香を思うがままに出来ることが嬉しくてたまらない。
 (そうだ、こんど麗にブルマをネットで探させようかな?)
 そんなことを考えながら、ブルマを履いた明日香の姿を想像し、真は思わずにやけてしまう。そんな妹を思う存分味わいつくしたい欲望を頭の中に想い描きながら真はまた眠りの闇に身を任せてゆく。遠くで早紀香の声が聞こえた気がしたが、気にすることなく、その闇に身を委ねるのだった。



 放課後、真は教室で親友の鳥羽慎二、後藤泰雄と下らない話をしながら時を過ごしていた。今日は生徒会の集まりもない。部活に所属していない真は放課後暇をもてあましていた。だから大概の時間はこうやって親友と下らない話をして時間を過ごすようにしていた。一人で帰ってしまってもかまわないのだが、それをやると明日香がうるさいので明日香の部活が終わるまでこうやって無為に時間を過ごすことが多かった。
 「で、お前の名前騙っていたバカ、最後までお前の事に気付かなかったわけ?」
 「ああ。その前に殺されちゃったからな・・・・」
 「かわいそうに。まあ、お前のこと知ったらもっとかわいそうな目にあっていたかもなぁ・・・」
 「そうそう。真って容赦ないからなぁ・・・・」
 「おいおい。人を悪魔みたいに言うなよ・・・」
 真の名前を騙っていた男の末路の話を聞いた慎二と泰雄はケラケラと笑いながら真をからかってくる。そんな親友の態度に真は憮然とした表情で受け答えをする。もっとも生きていたとしてもまともな生き方が出来なかったのは間違いない。真は自分の名前を騙っていた『佐々菜マコト』を許す気は毛頭なかったし、彼のしてきた所業は償ってもらうつもりでいた。もちろん普通の方法で、ではない。まともな生き方で償わせず、自分の元で家畜のような生き方をさせてやるつもりでいた。それで被害者の気が紛れるとは思わなかったが、少なくともそれで気がまぎれるのではないかと思っていた。
 「まあ、ある意味、殺されて助かったのかもね、『佐々菜マコト』君は」
 「まったくだ。真にこき使われたら死ぬに死ねないからな」
 「ほう。なら試してみるかい、慎二?」
 「ご冗談を・・・」
 あくまで自分をからかう親友に真は真顔で請け答える。その表情は本気でやりかねない迫力を持っていた。それを感じ取ったのか慎二は震え上がりながら首を横に振る。この男やるといったら本気でやりかねないのは親友である慎二と泰雄には嫌というほどよく分かっていた。
 「真と明日香ちゃんの逆鱗に触れて生き残った奴っていたっけ??」
 「う〜〜んと、春先に新任のバカ教師は一週間で泣きながら辞職しちゃったし・・・」
 「ボクシング部の先輩も真に喧嘩売ってすぐに転校しちゃったなぁ・・・」
 「真に色目を使った華道部の先輩、今じゃ男性恐怖症だってさ」
 「かわいそうに。この兄妹のなんと恐ろしいことか・・・」
 「おまえらなぁ・・・その恐ろしさ、身をもって経験するか??」
 「「謹んで辞退させていただきます!!!」」
 親友の言葉に真はフルフルと震えながら威圧をする。その真の威圧に慎二と泰雄は頭を下げて辞退してくる。やると言ったら真は本当にやりかけないからだ。もっとも慎二と泰雄の言ったことは事実であった。新任の教師は明日香に色目を使ってその体にべたべた触ってきたので徹底的のそのプライドを論破してやったら、泣きながら辞表を出して逃げ出して言った。ボクシング部の先輩は真の人気が気に食わないと難癖をつけてきたが、実戦で叩きのめしたらおとなしくなった(転校は明日香が裏から手を回して先輩の親を遠くに栄転させたかららしい)。華道部の先輩は明日香の逆鱗に触れて徹底的に調教されたという話だ。こうやって自分たちがしてきたことを指折り数えてみると、どう考えても明日香の方が怖い気がする。
 (まあ、あいつは加減を知らないからなぁ・・・・)
 兄に仇を為すものは徹底的に叩く、それが明日香の主義であった。それは他の妹たちも同様で、一歩間違えば自殺者のオンパレードになっていたかもしれない。それを考えると自分はまだまともなほうだとさえ思えてしまう。そんなことを考えながら真は左腕を見る。時計はすでに5時45分を指していた。部活は6時まで、そろそろ明日香の部活も終わるころであろう。
 「さてと・・・部室の前で待っていてやらないとあいつ、怒るからな」
 「優しいね、お兄ちゃん!」
 「うるさい!」
 はやし立てる親友2人を睨みつけながら真は恥ずかしそうに視線を逸らして部室の方に向って歩き出す。その真を追って慎二と泰雄もまた教室を後にする。生徒のいなくなった廊下を三人は無駄話を続けながら歩いてゆく。と、突然真が歩みを止める。何事かという顔をして慎二と泰雄も足を止める。
 「どうかしたのか、真?」
 「んっ?いや、どこかでうめき声見たいのが聞こえてきた気がして・・・」
 「うめき声??」
 真の言葉に慎二と泰雄も耳を澄ましてみる。だが、それらしい声は聞こえては来なかった。真の空耳かと思ったが、代わりにパシャパシャと水の溢れるような音が聞こえてくる。それは間違いなく慎二と泰雄の耳にも届いていた。三人はその音のするところを探す。
 「この辺りで水場というと・・・トイレか??」
 慎二の言う通り、この辺りに水場はトイレしかなかった。真は恐れることなくトイレの中を覗き込む。確かに水の溢れる音がトイレの中から聞こえてくる。真はさらにトイレの中を覗き込む。中には誰もいなかったが、トイレの一室から水があふれ出してきているのが見えた。
 「おい、真・・・」
 「大丈夫だよ、覗くだけだから・・・」
 泰雄が止めようとするが、真はそれを無視してトイレの中に入ってゆく。そして水が溢れ出してくる個室を覗き込む。そしてその中に広がる光景を目の当たりにして絶句してしまう。そこでは男子生徒のひとりが便器に顔を突っ込んだまま、しゃがみこんでいた。水道管は破裂し、噴出した水が男子生徒の体に容赦なく水を浴びせかけていた。
 「慎二、救急車!!」
 「お、おう!!」
 「泰雄は先生を!!」
 「わかった!!」
 真は一目でただ事ではないと感じ取り、慎二に救急車を呼ぶように声をかける。面を食らっていた慎二だったが、すぐに自分の携帯電話から119に連絡を入れる。泰雄も真に頼まれるままに職員室の方に走ってゆく。二人にそれだけ命じると真はもう一度男子生徒のほうに目をやる。後頭部には大きな裂傷があり、そこが真っ赤に染まっている。溢れ出した血が水と混じって水を赤く染めている。これだけの出血をしていること、水を体に浴びながらピクリとも動かないところを見ると、正直って一刻も早く救急車が必要に思えた。
 「さっきの呻き声、こいつのか・・・」
 下手に手を出して厄介ごとに巻き込まれるのを恐れた真だったが、しゃがみこんで男子生徒の顔を覗き込む。がっしりとした体格の男子生徒の顔に真は見覚えがあった。確かラグビー部か何かの選手だったはずである。そこに泰雄に連れられた教師達数人が飛び込んでくる。教師達に後を任せるようにして真はその場から離れる。学校内で起こった惨事に教師達は大慌てだったが、その生徒をすぐにトイレから連れ出すと、傷の具合などを診たり、脈を計ったりしている。その光景を見ながら真はその生徒の口の端に何か赤いものが付着していることに気付く。
 (口紅???)
 教師たちが邪魔をしてそれがなんなのか確かめる術はなかった。ただ口紅とは少し違っていたような気がしてならなかった。それがなんなのか確認するよりも早く、救急車が学校に到着し、男子生徒は連れ出されて言ってしまう。そして真達は第一発見者として、あとからやって来た警察に事情を聞かれることとなった。
 「で、あらましは??」
 現場に最後に現れたメガネをかけた目つきのきつい若い刑事が近くにいた中年の刑事にこれまでに集めた情報を聞く。歳はその中年の刑事よりも若いくせにずいぶんとえらそうだった。対してその中年の掲示はそれを咎めようとはせず、逆に頭をへこへこと下げながらこれまでに分かったことを伝えてゆく。
 「え〜〜、被害者はこの学校の生徒で3年生の小山田陽、ラグビー部の部員だそうで・・・」
 「部活でこの時間まで残っていたと?」
 「はい。他の部員によりますと、部活にはいつもと変わらない様子で参加していたとか・・・」
 「その生徒がどうしてこんなところに?」
 「いや、他の部員もいつの間にかいなくなっていて騒ぎを聞きつけてようやくここにいたことを知ったとか・・・」
 中年の刑事は若い刑事のきつい言葉使いに頭をかきながら答えてゆく。その様子を事情聴取が行われていた部屋の片隅から真は何気なく耳を傾けていた。二人の関係を見た限りでは若い刑事はいわゆるエリート、そして中年の刑事よりも階級は上ということだろう。他にも中年の刑事が下手に出る要素はあるかもしれないが、今分かることはそれだけだった。そして真はその若い刑事からあるものを感じ取っていた。
 「で、第一発見者は?」
 「そこにいる三人です。なんでも水が漏れる音を聞きつけてトイレに入ってみたら被害者が死んでいたとか」
 「ふ〜〜ん、で、君たち、誰か人影を見たのかい?」
 中年の刑事の話を聞いた若い刑事は真たちを睨みつけながら歩み寄ってくる。そして頭越しに睨みつけながら棘のある口調で訪ねてくる。もちろん真も慎二も泰雄も見ていないので首を横に振るしかなかった。するといきなり若い刑事は思い切り机に手の平を叩きつけて怒号を上げて威嚇してくる。
 「お前らがやったんだろう?そして死体を偽装して第一発見者を装った。違うか?」
 「・・・たいした飛躍の推理だこと・・・」
 「なんだと??!!!」
 若い刑事の言葉に真は思わず鼻で笑ってしまう。こんな捜査の仕方で犯人が捕まるものかと笑ってしまいたくなった。そんな真の態度が癇に障ったのか、若い刑事は声を荒げて真の胸倉を掴んでくる。そして鼓膜が破れるのではないかと思えるほど大きな声でさらに捲くし立ててくる。
 「貴様らがやったに違いないんだ!素直にいえば刑も・・・」
 「一つ言いこと教えてあげるよ、バカ刑事。証拠もなしに有罪は勝ち取れないぜ?ついでに逮捕状もね」
 「そんなもの、どうとでもなるんだよ。僕のパパは警視庁の警視正で・・・」
 「ああ、諸月くん。そこまでそこまで・・・」
 顔を真っ赤にし、真の襟首を掴んで唾が掛かるくらいまで顔を近づけて捲くし立てていた若い刑事を別の声が止めに入る。その声のしたほうを見た若い刑事は苦々しい顔をし、真は少し懐かしい顔をした。そこにはやれやれとあきれた表情を浮べた中年の刑事、近藤が木村を伴って立っていた。近藤の登場に若い刑事諸月はようやく真から手を離す。しかし、納得いかない顔をして今度は近藤に噛み付いてゆく。
 「近藤、あんたはまた・・・」
 「ああ、君もいい加減親の権威を笠に着ての手柄たてはやめたほうがいいよ?」
 「!!!僕は手柄ほしさに・・・」
 「世の中には手を出してはいけない存在だってあるんだ。いくら君がエリートなんて呼ばれていてもね」
 額に血管を浮かび上がらせて捲くし立てる諸月を近藤は飄々と往なしながら部屋から出てゆくように促す。すでにここの現場指揮は自分が取るようになったと告げて。それが納得がいかない諸月はさらにわめき散らし、携帯でどこかに連絡をし、何事か泣き付き始める。そのあまりに情けない光景に真は失笑を漏らす。こんな男が刑事になっていること自体おかしな話である。諸月は電話の向こう側に何事かわめき散らしていたが、やがておとなしくなってゆく。自分の思い通りになったからではなく、その表情は冴えなく、青いものになっていた。
 「わかったかね?今回の一見、諸月警視正は一切関わりを持たないそうだよ」
 「何で、何でパパ・・・」
 「落ちこぼれの次男坊のために有能な長男に汚名が掛からないように、諸月家の家名にドロをかけないため、ですな」
 納得がいかず呆然とする諸月に近藤は冷たくそう言い放つと、木村に部屋から追い出すように促す。木村に追い出されるように諸月が部屋から出てゆくのを確認した近藤はここでようやく笑みをこぼす。そして頭をかきながら真に右手を差し出すのだった。
 「いやはや、うちの若いのがお騒がせしましたな・・・」
 「まさかまた犯人扱いされるとは想いません出したよ」
 「ははっ、明日香様からご連絡がありましてね。このままだと真様が危ないのではと思って飛び出してきたんですよ」
 「その間に根回しも?」
 「ええ。諸月警視正も佐々菜とことを構える気は毛頭ないみたいですから」
 近藤はケラケラと笑いながらここまでのことを話して聞かせてくれる。明日香がこんなに早く動いたのは意外だったが、また犯人扱いされるところだったのを回避できたことを考えれば上出来といえるだろう。そしてあのバカ刑事にもお灸がすえられて良かったとも言える。真は大きく息を吐くと近藤を正面から見据える。
 「で、近藤さん。ここまでの事件の経緯は?」
 「おや。その様子ではこの一件、関わるつもりですね?」
 「ええ。犯人扱いまでされかけましたから。このまま手を引くのは杓に触りますからね」
 「そうですか。まあ、貴方にお手伝いいただけるのは幸いですからな」
 真の推理力を評価していた近藤と木村はこの一件の経過を真に話して聞かせる。とは言ってもわかっているのは鈍器のようなもので後頭部を数回殴打されたことくらいで司法解剖などの結果はまだ出ていないとのことだった。話を聞いていた真は自分が気付いたことを近藤に話して聞かせる。
 「ところで近藤さん。被害者の口の端に口紅のようなものがあったはずですけど?」
 「んっ?ああ、ありましたね。本当に少しだけで手がかりになるかどうか・・・」
 「あと凶器は見つかっていますか?」
 「いいえ。今のところはどこにも・・・」
 近藤に話を来た真はしばし考え込んでしまう。凶器がまだ見つかっていないということは犯人がまだ持っているということである。もちろん警察だって馬鹿ではない。学校に残っていた者たちの荷物くらい検査しているはずである。そうなれば凶器が見つかり、犯人も判明するはずである。しかし、先ほどのバカ刑事の言動を見る限り、凶器は見つかっていないし、犯人も判明していないことになる。真がどうやって犯人が凶器を隠したのかを考え込んでいると、木村が戻ってきて近藤に何事か耳打ちをする。それを聞いた近藤は表情を曇らせる。
 「どうかしたんですか?」
 「ええ。実は例の口紅のことで・・・」
 「あれがなにか?」
 「限定販売されたものだそうで、あの学校で持ち主を探させてみたんですよ。で、見つかりました・・・」
 「いったいだれが???」
 「・・・・・・湊早紀香先生です・・・」
 近藤の言葉に真は絶句してしまう。早紀香が犯人とは思いたくないし思えない。しかし、被害者に残された口紅の持ち主となれば疑わしいことに変わりはない。あのバカ刑事が聞いたら嬉々として早紀香を犯人に仕立て上げることだろう。ならば自分は早紀香が犯人でないことを証明しなければならない。そう決意する真だった。


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