|
〜ＴＨＥ ＧＲＥＡＴ ＡＲＴＩＳＴ〜
いつからだろう。
この街が魔都と呼ばれるようになったのは――
多発する怪事件。
妖しげな儀式の跡。
突然豹変する人たち。
街角に潜む人ならざるものの気配。
それは影から歴史を動かしてきた巨大秘密組織の仕業であるとも、密かに地球侵略を開始した宇宙人の仕業であるとも、古代より蘇った悪魔や邪神の類の仕業であるとも噂される。
また、政府はその情報を掴んでいるが、何らかの理由により公表できないのだという話もある。
だが、結局のところ、真相は一切知られていないのが現状だ。
いつでもどこかで何かが起こっているという日常。
やがて、人々がそれに慣れていく中で社会は秩序を失い、いつしかこの街は完全な混沌の世界と化していた――
▽ ▽ ▽
都会の地下に縦横無尽に張り巡らされた人工の洞窟。
今日もその中を、様々な思惑を乗せて、文明の利器が走り回っている。
『次はァ〜、尽望町ォ〜、尽望町でございまァ〜す――』
その地下鉄の中。
年季の入った車内はシートは埋め尽くされ、立っている人も多いが、満員というほどではない。
性別・職種・年齢は様々だが、やや若者が少ないだろうか。
だから、学校では決して普段はぱっとはいないが、そのブレザー服の少年は幾らか際立って見える。
（おっと、次か・・）
少年は徐にＣＤウォークマンのイヤホンを外すと、窓の外に目をやる。
肥満、というよりは太り気味な体。
ファッション性ゼロの分厚い長方形レンズの眼鏡。
本来は上品な真ん中わけで切り揃えられた髪も、元がこれでは宝の持ち腐れといわざるをえない。
本編の主人公である彼は近くの高校に通う２年生で、名を蛭子克士（えびすかつし）という。
学校では虐められてこそいないものの、友達はあまり多くはなく、それ以上に克士は付き合いのいいタイプではない。
勉強はそこそこ、運動は全くな彼の特技は絵を描く事だ。
それも芸術的なものではなく、もっと現代的なアニメ・漫画的なもの。
彼の描く可愛らしい少女のイラストからは、とても描いた主の姿をイメージする事などできない。
学校では一応漫画部の部長をしているのだが、この部活はほとんど活動内容がない『幽霊部』であり、その腕を充分に振るう事はできない。
だが、そんな彼の『活動』の場は別にあった――
『尽望町ォ〜、尽望町でございまァ〜す。お降りの方は――』
地下鉄がその駅に停車する。
けたたましくメロディーが鳴り響き、自動ドアーがシューと音を立てて開く。
降りる人はまばらだが、その中に克士の姿もあった。
人の流れに沿って階段に向かう克士が、再びイヤホンを装着すると彼の耳に可愛らしい女性の声で歌われるメロディーが流れ込んでくる。
それは歌手ではなく、駆け出しの声優が歌うアダルトゲームの主題歌だ。
「〜♪」
イヤホンから流れてくる旋律に鼻歌を合わせながら階段を昇る克士。
階段前のホームの時計は午後４時半をさしていた。
大体『いつもの』時間だ。
金曜日の学校帰りと日曜日の夜、通学路とは方向違いなはずのこの駅に下車するのは、克士のスケジュールとなっていた。
（フフ、今日も様子を見ていくか・・）
どこかそわそわしたような素振り。
自動改札機が切符を食わせると、克士はさっさとそこを通り抜ける。
ここからもう１つ階段を昇ると、そこには魔都の一角を妖しげに花を添える大古書店街が広がる。だが、彼の今の目的地はそこではなかった。
克士の姿が消えていった先、そこにあるのは――駅の公衆便所だ。
（よし・・今日は誰もいないぞ・・）
漂う異臭。
幾つの染みがある床。
黄ばんだ壁。
天井には１匹のハエが張り付いている。
薄汚いとしか形容のしようがない、この空間。
しかし、克士はここにやってくると、途端に大物になった錯覚を覚える。
何故なら、ここでは彼はただの冴えない学生ではなく、名のある巨匠だからだ。
――ガタン・・・ガチャ
克士は一番奥の個室に入り、鍵をかける。
この時、なるべく周りを見ない事を心がけるのが克士流だ。
足元だけは、時々和風便器から便がはみ出ている事があるので確認するが、それ以外は『まだおあずけ』なのだ。
逸る心を抑え、克士は脱いだブレザーを扉の内側にあるひっかけにかける。
カバンを台の上に置き、中からポケットティッシュを取り出す。
最後にズボンとブリーフ、そして腰をを下ろすと――ついに一番楽しい時間がやってくる。
（ウフフフ・・）
しゃがみこんだ体勢。
低くなった克士の視線の先には汚らしいベージュの石の壁があるが、そこには駅の便所の名物ともいえる落書きがひしめいている。
普通なら、悲しい男の妄想が何故か体験談に姿を変えて綴られていたり、ホモ募集の書き込みがあったり、酷く時代遅れな画調での下品なイラストが描かれていたりするが、この部屋に限っては何故かそれらはほとんど見当たらない。
壁の中央にあるのは、もっと現代的で若者ウケする絵柄で描かれた愛らしい少女のイラストだ。
しかし、その内容はというと極めて卑猥なもので、ところどころ破られたバニースーツ姿の少女が、ちょうど騎乗位のような体勢で泣き喘いでいるというものだ。
ついでに、イラストの端には小さく『Ｇａｌｅ』と書かれている。
それは本来、こういう場所で見られるようなクォリティではない。
根気を入れてインターネットのＣＧサイトを探し回らねば、とてもお目にかかれないようなレベルの高さだ。
明らかに際立って見えるこのイラストだが、克士の目当てはこれではない。
その周りに描かれたイラストやメッセージだ。
（ウハハ・・今週も来てる来てる♪）
このイラストには、明らかに別の人間が描き加えたと思われる部分が諸所に存在している。
例えば、バニースーツの少女の股間の下には男の腹と、挿入された男根の一部らしきイラスト。
接合部辺りにはバランスも考えずに適当に描かれたふきだしが２つほどあり、中にはそれぞれ『たっぷり出してやる』『ドピュドピュッ！』と汚い字で書いてある。
また、同様に作者以外が描いたものらしきふきだしが少女の口元からも伸びており、こちらには『アア〜ン、イク〜』とある。
見渡せば、周りも沢山の男根のイラストやふきだしにまみれていた。
そして、その全ては中央の少女のイラストを意識したものばかりだ。
「ん・・んんん・・・」
克士は思わず込み上げてくる愉悦の笑いをイキむ声で掻き消すと、ゆっくりと『大』の用を足し始める。
ここからが克士にとっての至福の時間だった。
何故なら、このイラストの作者『Ｇａｌｅ』とは克士の事なのだから。
そう。
この壁は、彼のキャンバスなのだ。
毎週土曜日に大掃除が入り、白紙に戻されるこのキャンバス。
勝司は日曜の夜にこっそりとやってきて新しいイラストを描くと、金曜日の学校帰りにレスポンスを見に来るのだ。
（でも、よく見ると今週はいつもより少ないな・・バニーはここじゃあまりウケないか・・）
そうなのだ。
いつもはもっとビッシリと『レス』で埋め尽くされている壁も、今回は多少白い部分が目立っていた。
少女のイラスト自体、克士としては汚されるために描いている。
普通の絵描きなら、自分のイラストに他人が、しかも自分とは比較にならないくらい絵の下手な者が勝手に手を加えるのは、屈辱以外の何者でもない。
しかし、ここにおいての克士は全く逆なのだ。
自分の描き捨てた少女に、見も知らぬ男たちが欲望の滾りをぶつけるのは、選ばれし実力者にのみ許された優越感ですらある。
だから、あまり汚れていないと返って拍子抜けしてしまうのだ。
（フゥ・・・）
――ジャアアアアアアア――・・！
１回目の水洗便所の流れる音。
これはまだこの個室を出る合図ではない。
１つの用を足し終わった克士は、もう１つの用を足し始めるのだ。
――シュッシュッシュッシュッ・・
股間ですっかり硬くなった『それ』を、克士はこすり上げ始める。
それはサイズこそ克士の大きな体に見合う、若く元気のいい男性器だ。
勿論、克士に女性経験などなく、そこにぶつけたいがぶつけられない衝動がイラストに現れるのだ。
（・・・・・・）
まず、目の前の壁に描かれたものを瞼に刻み込むと、克士はゆっくりと目を閉じる。
するとそこに、それが克士の妄想と交じり合い、リアルな風景として動き始めるのだ。
《――ハッハッハ・・待ってろォ・・たっぷり出してやる》
《ドピュドピュッ！》
《あぁン・・イクぅ・・っ！！》
《オレが２番手だぁ〜》
《俺のも舐めてもらうぜ》
《はぁ・・はぁ・・お願い・・・もう、許して・・・》
《うるさい出すぞ、アッア〜》
《い・いやぁぁぁぁ〜っ！》
そこには見知らぬ男たちに輪姦される、あのバニースーツの少女の姿があった。
年は克士と同じ１６、７才くらいだろうか。
その肉体は男の理想を忠実に形にした絶妙のボディーラインを描き、愛らしいショートヘアも非現実的な均整の取れ方をしている。
もし実在すれば、間違いなくタレント事務所からスカウト責めにあう事間違い無しの美少女だ。
《もういやぁ・・誰か・・誰かぁ・・・》
悪夢のような陵辱を一身に受け続け、涙を流して助けを乞う少女。
克士は、それをしばし輪の外から静観するが、やがてそこに歩み寄ってゆく。
その顔に張り付いた牡の欲望が少女から最後の希望を奪うと、周りの男たちはゆっくりと『場所』をあけ、克士は悠々とメインディッシュに手をつけるのだ。
――シュッシュッシュッシュッ・・
《おらおらおらァ〜ッ！》
《ひぁぁっ・・・あっあっんん・・・》
《よし、他の奴のスペルマでドロドロの膣に、ボクのもぶちまけてやるからな・・・・くぅっ！》
《やっ・・いやっ・・・・・！》
――ドクドクッ！
それからしばらくして、克士が目を開けると世界は現実へと戻る。
便器を見ると今日も大量の精液が散っていた。
克士はそれを満足そうに見ながら、ティッシュで自分の怒張を拭き始める。
ここでのオナニーは克士にとって特別で、普段のようにすぐに冷める事はない。
３０分〜１時間も余韻が持続してくれる、素晴らしい行為なのだ。
（・・ふぅ、今日も最高だった・・）
部屋から出る前に、克士はもう一度、壁の落書きを隅々まで見渡してゆく。
明日には消されてしまうので、レスは残さず読んでおきたいのだ。
（ふむふむ・・）
そこには克士に対する賞賛の声も幾つか混じっている。
興奮が絶頂を越えた後は、下品なイラストや陵辱的なメッセージより、こちらの方が克士の興味を引く。
『Ｇａｌｅ様 キターー(漓��)ーー！！』
『Ｇａｌｅ最高！』
『ネ申が住んでいるトイレというのはこ・こ・で・す・か・！？』
『サイトとか持ってたら教えて下さい』
大体、書いている賞賛の意味合いは毎回同じだ。
だが、それでも克士にはそれが誇らしくてたまらない。
なお、時々『ＣＧサイトを持っていたら教えて欲しい』という内容のレスがあるが、これに関しては教えようにも持っていないのが現状だった。
以前は持っていた事もある。
性的表現のない年齢制限なしのＣＧサイトに愛らしい少女のＣＧを幾つか飾っており、そのレベルの高さから反響も割と多かったが、すぐ閉鎖した。
それは克士的に何か違うものだったのだ。
克士が求めるのは、見た人が己の欲望をもっとストレートにぶつけてくる、そんなコミュニケーションだった。
だが、それは克士がよく知るコアなアダルトＣＧサイト群ですら、どれ１つとして果たせておらず、克士はネット外に活動の場を求めるしかなかった。
そして色々考えた挙句辿り着いたのが、この下品極まりない便所の落書き。
最もストレートな男の夢を描く、便所のアーティストとなる事だったのだ。
――カチャカチャ・・
やがて、すっかり満足した克士は全ての処理を済ませると、ズボンを上げ、ベルトをかけ、ブレザーを羽織る。
そして、台の上においた学校のバッグに手を伸ばそうとしたところで、そこにもう１つ落書きを発見する。
そこには、こう書かれていた。
『Ｇａｌｅ様
いつも素晴らしいイラスト拝見させて頂いています。
私はもうすぐ５０になる中年男ですが、貴方様のイラストの大ファンです。
つきましては、もし宜しければ、女子高生のＨなイラストを描いて頂けないでしょうか。
やはり、年はとっても好きなもので・・。』
（ハハハ・・）
読み終わると、思わず笑いがこぼれる。
克士はなんとも微笑ましい気分になっていた。
恐らく２〜３０代くらいの男たちが『メインの客層』だと思っていた克士にとって、まさか４０代も後半の人物からこんなに丁寧な反応がくるなど思っていなかったのだ。
それに、ネット時代は頻繁に来たリクエストだが、こっちに活動の場を移してからは今回が初めてだ。
自分の３倍近い長い人生を生きてきた、人生の大先輩たるこの男性。
そんな彼が、恐らく世間体からくる恥ずかしさを我慢してまで、自分の絵を求めてくれたのだろう。
ふとそう想像すると、克士はすぐに彼に強烈な好意と親近感を覚えるようになっていた。
（よし・・じゃあ、明後日は気合入れて、この人のリクエストに応えるぞ！）
胸の奥に今までにないワクワクを胸に抱え、克士は意気揚々とそこを去るのだった。
□ □ □
時は過ぎ、次の週の金曜日。
春の空が夕焼けに染まる頃、尽望町の古書店街をゆく克士の姿があった。
どこか機嫌のよさそうな彼は、幾らか早足気味に駅へと降りる階段を目指している。
装着したイヤホンからは、相も変わらず愛らしい女性の歌声が漏れていた。
どこから見ようが締まりのない克士の外見。
だが何故かこの街と、かつて国内最大の電気街として名を馳せていた某オタク街だけにはすんなりと溶け込める。
決して自慢できない、彼の特徴の１つだった。
（さて・・もう、空いてる・・かなっ？）
毎回、下車はするが街には出ない克士が今、ここにいるのには理由があった。
例の個室が埋まっていたのだ。
この時間は比較的空いているのだろう。
今までは１回もこういう事はなく、しばし途方にくれたが、結局、本の町に足を運ぶ事に決めたのだ。
だが、そのおかげで思わぬ収穫があった。
もう入手不可能と思われていた、あるアダルト漫画が手に入ったのだ。
妖精族の神官姉妹が古の魔物にグチョグチョに犯されまくるその漫画は、大御所的エロ漫画家のデビュー作であり、その後の業界の流れに大きな影響を与えた影の名作でもある。
そして、克士に性的な絵を開眼させたのも、他ならぬこの作品なのだ。
小学生時代、エロ本を求めて時折遠い古本屋に足を運んでいた頃、克士も一度だけ見た事がある。
当時、革新的だった絵柄と表現手法に一瞬で引き込まれた克士は、その真似をしながらエロを描き始めたのだ。
その後、その本は古本屋にすら見かけなくなり、克士は何故あの時に購入しておかなかったのかと何度も後悔したものだ。
だから、それが巡り巡って自分の手にやってきた喜びは、まさにひとしおだった。
――トットットットッ・・
そして無意識に弾む歩調で、克士は階段を下りていく。
今日２つ目の喜びを噛み締めに――
▽ ▽ ▽
――ガタン・・・ガチャ
向かった先。
今度は空いていた扉に身を滑り込ませると、何かに震える手で鍵をする。
レスを見るのとは別に、克士はこの時のワクワク感もまた、たまらなく好きだった。
上着をかけ、バッグを置き、いつものように腰を下ろす克士。
そんな彼を、今日も大量のレスが出迎えてくれる。
（グフフ〜・・どれどれ・・？）
今週の『Ｇａｌｅ』の作品は、例の中年男性のリクエスト通りに制服姿の女子高生のイラストだった。
横からのアングルで描かれたそのイラストは、後ろ手に縛られた少女が淫らに尻を突き出して喘いでいるというものだ。
Ｇａｌｅの絵のテーマはあくまで『汚してもらう事』なので、あえて男の姿は描かない。
だが、それは毎回誰かが描き足してくれるので、そこを考慮に入れた上でセックス中の少女を描くのだ。
前回はやや陵辱色の強い作品だったが、今回は淫乱さを前面に押し出して仕上げていた。
後背位で繋がる男が描かれるであろう場所に目線を合わせて振り向く少女は、直接顔にかかるボブカットの髪を振り乱し、顔を真っ赤に上気させ、うっとりとした眼差しで犬のように舌を出しながら喘いでいる。
今回は特に気合を入れただけあってレスの多いその作品。
その右下には小さく『Ｇａｌｅ』というサインと、更に小さく『↑の中年男さんに捧ぐ』というメッセージを入れていた。
（ふむ・・気合の入れてる／入れてないに関わらず、女学生モノは毎回人気あるんだよなァ・・）
今回の絵はいつも以上に汚されており、『Ｇａｌｅ』こと克士の欲望を満たしてくれる。
予定通り、制服少女の後ろには技術も品もない画調で男が描かれており、野太い男根を太ももの奥、角度的に見えないが、女泉のあろう部分へと突き刺している。
結合部にはいつものように『ドビュー！』と射精の擬音が入れられ、男と少女の口元にあるふきだしにも、それぞれ『ウッ、イク！』『イイ、妊娠しちゃう〜』と書いた男の欲望が形になって添えられている。
また、周りを取り巻く男根イラストの数も多い。
そこから飛び散る幾つもの雫が少女目掛けて降りかかり、『ピチャッ』とか『ネトッ』とか、いつもより細かい擬音演出が施されている。
それ以外のメッセージによるレスもノリノリのものばかりだ。
「・・・ウゥッ！！」
――ドクドクッ！
結局、克士はその勢いに乗せられるまま、頭の中でその女子高生を犯し終えてしまっていた。
この日のために１週間もオナニーを経っていただけあって、快感も精液の量も半端ではない。
だが、余韻の中で必死に呼吸を整える克士は、やがて、１つ大切な事を見逃している事に気づいていた。
それは、あの中年男性のレスを探す事だ。
まあ、向こうの都合や性格もある。
レスが来ていない可能性も十分考えられるが、やはり今回一番楽しみにしているものだ。
早速、壁のレスを１つ１つ細かくチェックし始める。
（――あった！）
それは、前回と同じく荷物台の上辺りに見つかった。
『Ｇａｌｅ様
素晴らしいイラストとメッセージ、誠に有難うございます。
最近、色々あって落ち込んでいたのですが、
この可愛らしい女子高生に性欲をぶつける事が出来、
元気が出るどころか若返った気さえします。
今、本当に言葉では表しきれないほど感動しております。』
（・・・・・・）
克士はしばし、何も考えられなくなる。
今まで絵を描いてきて、ここまで感謝された事など１度たりともなかった。
それは恥ずかしそうな小さな文字では書かれていたが、そこに込められた想いはひしひしと伝わってくる。
この丁寧な文体から察するに、いつもは真面目な人なのだろう。
『いろいろあって落ち込んでいた』というのは、会社の人間関係だろうか、家庭問題だろうか。
それとも、リストラでもされたのだろうか。
きっと、このレスを書いた時も肩を落としてここにやってきたのだろう。
そんな彼を、自分の絵で少しでも元気付けられたのならば、克士にとってこれほど誇らしい事はなかった。
次もこの人を励ます絵を描こうと心に決める。
（・・・ん？）
だが、メッセージにはまだ続きがあった。
少し間隔をあけて、更に小さな字でまたメッセージが書かれている。
『土曜の夜１０時、ここに私からのお礼を置いておきます。
どうかお納め下さい。』
（お礼・・・？）
さすがに克士も少しギョッとする。
それが何なのか、なんとなく察するものがあったからだ。
この少し過ぎたくらい真面目な相手の性格からして、それは金銭である可能性が考えられた。
そうだとすると、それは素直に喜べるものではない。
いかに克士といえど、自分の落書きを金銭で買ってもらおうなどとは思っていない。
見て貰い、感想の１つでもくれれば、それで幸せなのだ。
謝礼に金銭というのは、いくらなんでもやりすぎだ。
とはいえ。
相手が時間まで指定して『置いておく』と言っている以上、その時間に自分が行かなければ、心無い他人の手にそれが渡ってしまう危険性も高い。
それこそ、一番あってはいけない最悪の事態だ。
とりあえず、それが考えすぎである事を祈りつつ、克士は明日、指定時間よりやや早めにここを訪れる事にした――
□ □ □
『尽望町ォ〜、尽望町でございまァ〜す。お降りの方は――』
夜１０時、土曜日の尽望町駅。
古書店街からは灯りが消えると、そこは利用価値のない眠った街と化す。
地下鉄に乗る人はまばらにいるが、降りる人はほぼ皆無だ。
そんな中、電車から鉄砲玉のように飛び出すのは私服姿の克士だ。
（やばい・・あと１０秒もない！完全に間に合わない！）
本来なら、克士は約束時間の２０分前には到着している予定だった。
もし、謝礼が予想通り金銭だった場合。
先に男子便所に入り、それらしき人を見つけて、止めさせるつもりだった。
しかし、家でテレビを見ているうちにすっかり時間を忘れてしまい、このような事態と相成ったのだ。
――タッタッタッタッ・・
何も考えずに階段を駆け上がる。
目指すは駅の公衆便所だ。
――タッタッタッタッ・・
平日・休日関わらず、この時間になると、この駅にはほとんど人がいなくなる。
途中で例の中年男性とすれ違う可能性がある事などすっかり忘れていた克士だったが、結局、目的地に着くまで誰１人として見かける事はなかった。
（ハァ・・ハァ・・ハァ・・）
とりあえず入り口まで来ると、克士は前傾姿勢となり、そこで息を整える。
ここから見える範囲には人の姿はなく、また個室も全て開け放たれている事から、そこは無人らしかった。
克士は一度うつむき、そのまま完全に呼吸を戻す。
だが、ここまで来て、もう１つの別の可能性がある事を克士は思い出していた。
あの中年男性のメッセージが単なる冷やかしであり、ここまで来たのが無駄足であるという可能性だ。
常識的な観点から言えば、むしろそれが一番高確率かもしれなかった。
（ハァ・・とりあえず、見るだけ見ていくか・・）
やがて克士は平常を取り戻すと、一番奥の個室へと向かう事にした。
便所内は週に１度の掃除を終えてから半日も経っていないからか、いつもほどの異臭はなく、ワックスの香りが漂う。
だが、床はまだ幾らか湿っており、湿気だけはいつも以上だ。
克士が例の個室に入ると、台の上には特に何も乗ってはおらず、全ての落書きが消えた綺麗な便所の壁が克士を出迎えてくれた。
（そりゃまぁ・・こうだよな、普通は・・）
１つため息。
それは金銭謝礼がなかったという安堵というより、肩透かしを食ったからというのが強かった。
当初の心配が当たらなかったのはいい事ではある。
しかし、見た事もないとはいえ、強烈な好意と親近感を覚えていた相手が、実際には存在しなかったという現実は、大きなショック以外の何者でもなかったのだ。
実のところ、克士の中には小さな期待もあった。
それは勿論、金銭など受け取る事ではなく、もしかしたら例の中年男性と知り合いになり、仲良くなれるのではないかというものだ。
例え年代はかけ離れていても、自分の絵を心から好いてくれる相手となら上手くやれそうな自信もあった。
だから、克士の落胆振りは大きかった。
――カチャ。
瞬間。
すぐ後ろで扉の閉まる音。
克士はドキリとし、しばし硬直状態となる。
（・・だ、誰だ・・・後ろに誰がいる・・・？）
何一つ、いい予感などなかった。
例え、後ろの人物が例の中年男性だったにしても、この登場の仕方は明らかに変だ。
もしかしたら、いつも落書きする自分を懲らしめるために、駅員が張り込んでいたという可能性も考えられる。
もしくは既に自分とは何の関係もなく、変質者や通り魔などの危険人物。
最悪、幽霊や怨霊の類――
（・・ど、どうしよう・・・）
体中から脂汗が拭き出し、呼吸がじわじわと浅くなってゆく。
恐怖から来る振るえと、胸の鼓動だけがかすかに体を揺らす。
克士はどうしても振り向く事ができなかった。
――カチャカチャ。
――カチャカチャ。
克士の耳に再び聞こえてくる２つの金属音。
その双方ともが先程のものとは違い、また今度は腰元周りにも何かの感覚を伴う。
（・・え？）
克士はまた強烈な違和感を覚えていた。
見開かれた視界の底辺部に何かが映っているのだ。
それは誰かの手だ。
何かをされている。
（ハァ・・ハァ・・・・よし・・ゆっくり、振り向こう・・それしかない・・・）
今、少しでも相手を刺激する事は非常に危険である気がしたが、それでも克士はそう決める。
静かに覚悟を決め、ゆっくりと振り向いてゆく。
だが、相手の行動速度がそれを上回った。
――バサッ。
――カチャン。
今、克士の中では、全ての反応が遅れていた。
冷静さを失っている克士は、それが何の音であるのかを懸命に認識しに行く。
すると、次はそれを上回る速度で下半身に何かうっすらと、しかし鮮烈な感覚がやってくる。
そして、それが下半身に纏った全てを脱がされたものだと悟った時には、克士の最も敏感な部分は何かの接触に晒されていた。
「・・ひィッ！」
克士は思わず小さく悲鳴を上げる。
そして、反射的に振り向いた先にいたのは――自分の腰元にしゃがみこむ少女の姿だった。
下半身に感じる感覚は、彼女が後ろから手を廻して克士の男性器をまさぐっているものだ。
「・・・・・・」
少女は手の動きを止めると、無言のままゆっくりと克士を見上げ、視線を合わせる。
間違いなく美少女の部類には入るが、どこか不気味な印象のある少女だった。
年の頃は克士と同じくらいだろうか。
顔の１／４が前髪に隠されたおかっぱ頭の少女は、中学生か高校生らしく、どこかの学校のブレザー服を着ている。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
このまま永遠に続くのではないかと思わせるような、ただただ長い静寂。
全く言葉も交わされないまま、２人が向き合ってもう１分近くになる。
お互い、微動だにしない。
克士は動けず、少女は動こうとしないのだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
もうすぐ２分が経過する。
しかし、この個室の中の風景はどこも変わってはいない。
奥を読ませないポーカーフェイスのまま自分を見上げる少女を見つめているうちに、克士はある違和感を覚え始めていた。
この少女。
以前、どこかで会った事があるような気がするのだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
もう３分になる。
克士の頭を巡るのは困惑した意識の濁流だけで、この少女が誰なのかは未だにわかっていない。
「あの・・」
混乱の中、何がどう作用したのか、克士の口からそう声が出ていた。
少女は返事代わりに幾らか頭をかしげる。
「えっと・・・君・・・その・・・」
だが、中々言葉が出てこない克士を見ているうちに、少女は構わず行動を再開する。
男性器をまさぐる逆の手を克士のボディラインに沿ってこすり上げつつ、自らも立ち上がる。
――ぺろっ・・
「・・・・・！」
首元にゾワゾワッと強烈な感覚が駆け抜け、克士は再度ビクリと震え上がる。
少女に舐められたのだ。
そして振り向いた先、それもすぐ近くに、また先程の顔があった。
黙っていれば１時間でも見つめ合わされそうな、それは美しい無表情。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・くす」
だが、今度は違った。
笑み。
やや上目遣いに克士を見る少女は、明らかに無表情を崩した。
そして、次の瞬間。
そこから、どこか催眠術のようなゆっくりと、そして反応し難い動作で、彼女の顔は０距離への接近を果たす。
「・・・・・ん」
「・・・んむっ！？」
克士が認識した瞬間には終わっていたその行為。
それはたしかにキスだった。
その証拠がたった今、克士と少女の唇を繋ぐ空間から切れて落ちたところだ。
「・・・・・・」
――カチャカチャ。
一言も言葉らしい言葉を発さず、克士を翻弄し続ける少女。
今度は、彼女はするりと克士の前に回ると、そのまま壁に背を預ける。
初めて彼女と距離が開くと、克士は改めてその全身を見回す。
見れば見るほど、不気味な美しさを持ったブレザー服姿の少女。
しかし、克士は彼女の足元に強烈なインパクトを発見する。
「・・え？・・・・鎖？？」
彼女の足首から和風便器の傍らにある鉄パイプ、その間に細い銀の鎖が伸びていた。
よく見れば、それは鎖ではなく手錠だ。
「・・ど、どうしたの、その鎖・・？」
「・・・・・・」
心配そうな克士の声に、彼女はただ首を横に振るだけだ。
そして、視線だけは先程から変わらず克士だけを見据えている。
「・・だ、誰かに・・・」
克士の言葉はそこで途切れる。
とある少女の行動が、それを途切れさせたのだ。
少女の細やかな両手は、自らのミニスカートの裾をするすると持ち上げてゆく。
次第に露になってゆく白い太ももに、克士は言葉を捨てて見入っている。
克士の言葉を少女の沈黙が支配していく。
「・・・あ」
ついにスカートの裾から純白の布が姿を見せ始めた瞬間、克士は思わず小さく声を上げた。
それは、ほんのわずかな間ではあったが、その『見えるか、見えないか』という究極の誘惑から解き放たれた声だった。
「・・・・・・」
そこで一度、裾の動きは止まった。
少女のショーツは、それが『何か白いものである』という事を認識させる程度しか見えていない。
克士は無意識に視線を上げた。
『全て見たい、触りたい』
今度は、そんな第２の誘惑が克士を突き動かしているのだ。
そして、克士が顔を上げた先に、何かを誘う笑みが舞った――
「はぁ・・・はぁっ・・！」
硬く膨らんでゆく下半身とは逆に、今、克士はやっと硬直から解放される。
グチャグチャな思考は置き去りに、ともかく湧き上がる行動を優先させたのだ。
「・・・・んむっ」
「・・・・ふン」
今度は克士からキスを挑む。
強引で不恰好なキス。
わけもわからないまま、相手の口内に舌を入れる。
少女がそれに合わせようとするが、何故かすぐに離れる。
そして、乱れた吐息もそのままに少女をしばし見つめる。
「ハァ・・ハァ・・」
かと思えば克士は突如、ガバッと音がしそうな勢いでその場にしゃがみこむ。
今もミニスカートの裾を掴む彼女の両手を掴み、ゆっくり引き上げると、それを食い入るように眺め出す。
そこから漂う女の匂いに誘われるように、両手でそれを脱がしだす。
露になってゆく秘境に黒い茂みが見え始めると、次は頭部全体がそこに引き寄せられていった。
「ハァ・・ハァ・・」
微妙に狂った本能だけが一人歩きする。
やがて姿を現す少女の器官に、克士は獣のような吐息を浴びせながら柔らかに噛み付いてゆく。
そこから漂う牝のフェロモン、タラタラと溢れ出す淫液をわずかたりとも逃すまいと、唇を使い完全に密封してゆく。
舌先がそこに触れると、克士の思考は更に麻痺していった。
「・・そのまま、おしっこするんだ」
一度、少し口を離したかと思うと、克士はそれだけ言って、また同じ場所へと食らいついてゆく。
それは、どちらかというと命令に近い響きだ。
「・・・・・っ」
対するは、相変わらずのポーカーフェイス。
少女は少しだけ細めた目線を逸らす。
――ちょろちょろちょろちょろ・・
克士の舌先に、ゆるゆると熱い液体が触れだす。
そしてそれは、歯にも舌にも防がれる事なく、それは重力に従って克士の喉を滑り落ちてゆく。
その液体の味はわからないが、ともかく嗅覚をツーンと強烈なショックが襲った。
「・・・ぶはっ！」
思わず頭を離して咳き込む克士。
その中に、怒りにも似た別の感情が噴きあがる。
無意識にそれをぶつける対象を探すと、すぐ目の前に少女の顔が現れる。
自分が立ち上がったという事すらわかっていない克士は、そこに続く自らの行動もやはり認識できない。
――ちょろちょろちょろ・・・
――グチュ・・・
――ぷしィッ！
「・・・・んぅっ！」
克士の下半身に熱さ。
何かに包まれていくような感覚。
少女の顔がかすかに歪み、小さく声を上げる。
対する克士も、何かの苦しみに耐えているかのようなのような表情をしているが、その実体はもっと別のものだ。
自らの太ももからふくらはぎへ、ピチャピチャと何かが零れ落ちていく感覚を覚えながら、克士は何かに取り憑かれたように体を揺すり始める。
「・・ンアァッ・・」
「・・・・・っ！」
――グチュゥ・・
――ぷしィッ！
――グチュ・グチュゥゥ・・・
――ぷッ・ぷしィィッ！
体中に感じる熱に克士は喘ぎ続ける。
だが、それは逃げたくない感覚だった。
むしろ、ズルズルと引きずり込まれていきたくなる感覚だった。
「ハァ・・・ハァ・・・」
「・・ふっ・・・ふーっ・・・」
ふと視界が捉える少女の顔は、もはやひびの入ったポーカーフェイス。
じっとりと汗をかき、うっとりと頬を桜色に染め、悪夢にうなされるような甘い息を吐く。
半開きになった眼差しは虚空を泳ぎ、口内は溢れ出す唾液で泡立ち、そのままその一部を外部に垂れ流している。
「・・・綺麗だ・・・」
克士は少女の唇から溢れる透明な果汁を舐め上げる。
するとその瞬間、甘美な猛毒でも飲んでしまったかのように、克士は呻き声を上げる。
「・・・う・・っ！」
少女もそれに呼応するように、途切れそうな高い声で小さく叫ぶ。
「・・・・あ・ぁぁ・・！」
――ぷッしィィィィィ・・・ッ！！
――ちょろちょろちょろ・・・
天にも昇るかのような脱力感。
頭の中が強烈な光に呑まれていくような感覚。
そこに少女への膣内射精があった事に克士が気づくのは、長い長い余韻の後の事だった――
□ □ □
『えぇ〜、では各部の代表の方々は、書類の提出をお願いします』
都内最大の規模を誇る聖デラルゴ学園。
その高等部校舎Ｃ棟にある視聴覚室内。
あまり頻繁には使われないはずのこの教室だが、今日は日曜日だというのに沢山の生徒たちがそこに集まっていた。
中央では『生徒会』と書かれた腕章をしている数人の生徒がおり、何やらホワイトボードに何かを書いたり、指示を出したりと大忙しだ。
そこを遠巻きに取り囲む席の１つに、克士の姿があった。
（ふぅ・・・）
話は一応聞いているが、どこか上の空。
今日の克士はため息が多い。
その原因を辿れば、それは昨日の夜に遡る。
そこに、克士にとっての大事件があった。
（ボク・・とうとう女の子とヤッちゃったんだ・・）
克士はしみじみとその記憶を思い出す。
人のいない夜の尽望町駅。
男子便所の中で出会った、制服姿の見知らぬ少女。
どこか不気味な雰囲気こそ持っていたが、彼女が克士の初体験の相手となった。
誘われるまま、わけもわからないまま、克士は何かに操られるように少女に挑んだ。
指示通り、尿を垂れ流したままの少女の膣に自分自身を突き込み、官能に任せるまま精を放ったのだ。
（あれって、やっぱり・・・膣出し・・・だよなぁ・・・）
膣内射精の記憶。
結局、行為のあと、克士は怖くなってそこを走り去っていたが、今はそれを後悔もしていた。
最初に誘ったのは明らかに少女の方であるし、彼女は最後まで責めるでも、脅すでも、泣くでもなく、ただうっとりとし続けていたのだ。
あのまま残っていれば、第２回戦だってさせてくれたかもしれない。
それに、せめて名前と連絡先だけでも聞いておけばよかったと、克士は首をうなだれた。
（昨日のは人生に一度の幸運だったのかもしれない・・もう、あのコには逢えないんだろうなあ・・）
目を瞑れば、まぶたの裏には今も鮮明に少女のアップが浮かび上がる。
結局、言葉らしい言葉は一言も交わすことはなかったが、無言で自分を見つめてくる少女を見ているだけで、克士は官能の宴へと導かれていのだ。
それはまるで、男とセックスするためだけに生まれてきた存在。
今の克士からすれば、これ以上ない理想の相手だったのかもしれなかった。
もう２度と逢えないかもしれないという想いが、記憶の奔流を作り出し、それが無意識に感情を高ぶらせてゆく。
――シュッシュッシュッシュッ・・
「あのー・・・先輩？」
すぐ至近から聞こえた声に、克士は意識を取り戻す。
気がつけば、克士の陣取る机の前に、生徒会の腕章をつけた１人の女生徒の姿があった。
「あ・・」
その小柄な少女を見て、克士は心の中で小さな苦笑いを浮かべる。
肩まである髪をツインテールに下ろし、楕円形レンズの淵なし眼鏡の下には、品はあれどきつい眼差し。
いつも服装には一切の乱れがなく、姿勢もしゃんとしている。
その外見からは『ええ、優等生ですが・・何か？』という、静かなるプレッシャーを放っており、１年生の証である赤いラインが入った名札には『御美倉』とある。
克士の記憶が正しければ、その少女の名前は御美倉架乃（おみくらかの）。
学年が違うために校内で顔を合わすことはめったになく、まともに話した事すらないが、克士は彼女が生理的に苦手だった。
「・・はい、プリント」
「・・・・・・」
克士の手から今年度の予算編成に関するプリントを受け取ると、架乃は何か侮蔑に近い視線を残し、さっさと行ってしまう。
（ふぅ・・なんか、今日は一段ときついなぁ、彼女・・）
１つため息をつくと、なんとなく視線を落とす。
その瞬間、克士はうなじの辺りから血の気が引いていく感じを覚えていた。
たった今、無意識にプリントを差し出したのは左手。
そして今、無意識にズボンの上から股間をこすっているのは――右手だ。
昨日の少女の妄想が、未だ右手に毒を残したままだったのだ。
（・・・うわ、最悪だ・・・ただでさえ、オタクとして軽蔑されてそうなのに・・・）
克士は心中で男泣きしていた。
元から彼女と仲よくなれるなどとは微塵も考えてはいなかった克士だが、これは幾らなんでもマイナスイメージが大きすぎる。
これで、これからは廊下ですれ違うたびに、あの絶対零度の視線を受ける事になるのだ。
（・・・はぅ）
ガックリと肩を落とすと、克士は激しく肩身の狭い思いで、それ以降の会議に臨んだのだった――
▽ ▽ ▽
――ガタン・・・カチャ。
克士が入ったのは、例の便所の個室だ。
時間は午後７時前で、ここにも他の利用客の姿がまだちらほら見えている。
「ン・・ンン・・・・」
実際はズボンすら下ろしていないが、わざとイキんだ声を上げ、厄介な腹痛にでも襲われている風を装う。
これが便所内にまだ人がいる時に『作業』するための、克士流の手法だった。
（ふぅ、始めるか・・）
ズボンの裾や膝が床につかないように気をつけながら、しゃがみこんだ克士は壁に鉛筆を走らせ始める。
本当は、今日はここには来ないつもりだった。
昨日の今日でここに来ても、彼女に逢えないどころか、何かトラブルに巻き込まれるのではないかという不安があったからだ。
しかし今の克士は、ともかく御美倉架乃との例の出来事を忘れたい、その一心なのだ。
学校からここまで、克士は逃げるような気持ちでやってきていた。
「ンン・・・・・！」
――カシ・・カシィ・・・カシカシ・・・
（よし・・できた）
イキみ声で鉛筆の音を掻き消しながら、作業は流れるように進み、早々と完成を迎えていた。
しかし。
（・・・・・し・・しまった・・）
完成した作品を見直すや否や、克士はいかんともし難い表情になる。
しばし、克士はどこか呆けた顔で壁を睨み続ける。
制服姿のツインテール髪の眼鏡っ娘が、ショーツも半脱がしのまま俗に『まんぐりがえし』と呼ばれる状態で少女の器官を曝け出し、顔を恥じらいに染めて喘いでいる。
そこに描かれたのは、そんな絵だった。
（やっべ・・・これ、思いっきり御美倉さんじゃん・・・）
その小柄な少女の着る制服は完全に聖デラルゴのものであり、名札に名前までは描いていないが、生徒会の腕章はしっかりとつけてしまっていた。
更に愛らしい表情で喘いでこそしているが、デフォルトは少々きつそうな真面目少女。
それは描かれた架乃本人が見ても、それが自分であると認識できる完成度だった。
（・・どうしよ・・・っかなぁ・・・）
何とも漫画的な沈黙。
心の底からふつふつと困り笑いが込み上げるが、克士の腹は既に決まっていた。
（まっ・・そうだな・・・今回は、御美倉さんゴメンナサイって事で・・・・）
かくして尽望町駅の巨匠Ｇａｌｅは、わけありの新作『御美倉架乃の憂鬱（勿論タイトル無記入）』を仕上げると、最後にサインを入れ、また逃げるように家路につくのだった。
□ □ □
――ガタン・・カチャ。
金曜日の学校帰り、尽望町駅公衆便所。
いつもの音と共に、巨匠Ｇａｌｅの御満悦な時間がやってくる。
今日に限っては多少わけありではあったが、それもまた克士の中で新しいドキドキとなっていた。
――カチャカチャ・・バサ。
（うわ・・・）
ズボンと下着を下ろしてしゃがみこむや、克士の顔に、また微笑ましい困り笑いが浮かび上がる。
今回もＧａｌｅアートは大盛況を博していた。
まず、イラストの架乃の股間。
デッサンどころか角度まで明らかにおかしいが、そこには野太い男根が深々と突き刺さり、『オラ！孕め！』『ビュッビュッ！』という台詞と擬音が、今回は轟音や叫び声を入れる時に使われるトゲトゲのふきだしの中に描かれている。
だが、克士的に問題なのは次だった。
イラストの架乃の口元から出る、珍しく形のいいふきだし。
そこに
『あぁんっ、せんぱぁ〜い！』
とあった。
（・・うむぅ・・こやつ・・わかっておるわ・・）
Ｇａｌｅのイラストにレスをつける人間は、大きく分けて２種類いる。
『萌え』というものがわかる人間と、わからない人間だ。
克士は両方とも好きではあるが、実際ほとんどは後者であり、前者は少ない。
また、男性器のイラストやふきだしを描く人間の割合は、それ以上に前者が少ないのだ。
だから今回のこのふきだしは珍しく、その上コンセプト（？）まで見透かされ、ドキリとさせられるものだったのだ。
（しっかし・・実際、これはまずありえないケドネ・・・あの御美倉さんが・・・ハハハ・・・）
――ジャアアアアアア・・・・！！
やがて『大』の方の用を足し終わると、克士はそのままブリーフとズボンを上げ始める。
いつもなら、このあとオナニーに雪崩れ込むのだが、今回は何となく架乃に悪い気がして断念したのだ。
（・・さて、今日は古本屋でも見ていくかな・・・・って、おぉ？）
上着を羽織り、バッグを手に取る――ところで、また克士は例のレスを発見する。
あの中年男性からのメッセージだ。
正直、克士はもうこのレスがくる事はないと思っていた。
結局、これはただの冷やかしだったのだから。
先週の土曜の夜、ここに彼からの謝礼らしきものはなかったのだから。
（ま・・・それどころじゃないイイコトはＧＥＴしたけどね・・・・で、なになに・・？）
脳裏に蘇ってくる記憶に鼻の下を伸ばしつつ、克士はそこに目を通していく。
『Ｇａｌｅ様
先週のお礼は気に入って頂けたようで、何よりです。
今週のイラストも、また私好みの可愛らしい女子高生ですね。
もしかして、意識して描いて下さったのでしょうか。
とにかく、おかげさまで本当に元気が出ます。
また今週の土曜日にも、同じ時間にお礼を置いておきますので、
どうぞ、お楽しみください。』
（・・・・？）
克士は思わず首をかしげる。
『ひっかかったな、バーカ』的な内容のレスを予想していたが、そうではないらしかった。
また、シラを切って更に冷やかしている文章にも見えなくはないが、何かが引っかかるのだ。
どうあれ、それはすぐには理解できない内容だった。
（どういう意味だ・・？）
わからないのは最初と最後の行だ。
『先週のお礼は気に入って頂けたようで、何よりです。』
これはその『お礼』とやらを、克士が受け取った事になっている一文。
しかも、その反応までわかった上で書いているように見える。
だが、やはり克士は、何もそれらしきものを受け取った覚えなどない。
『どうぞ、お楽しみください。』
もし『お礼』が、克士の予想通り金銭であったなら、相手はこうは書かないだろう。
それに、克士的に『お楽しみ』という言葉は、悲しくも卑猥なものにしか繋がらない。
それが当たっているとすれば、エロ本かそれに近いものを置いてあった、という事を意味する文章なのだろうか。
（・・・・いや、まさか・・・・）
――灯台下暗し。
その瞬間。
克士の中に、最も近くにあるが、最も存在しえないある推論が浮かぶ。
（これ・・・もしかして、あのコの事なんじゃ・・！？）
克士のひらめきは色々な意味で危険なものだった。
しかし、もしそうならば、この文章は全て納得がいくのだ。
あの少女が援助交際でもしているならば、例の中年男性に報酬をもらって克士に体を売った・・という事も十分考えられる。
また、更に危険な考えではあるが、中年男性があの少女に対し、何らかの絶対的権力を有している関係・・であるとも、決して考えられなくはない。
何よりあの時、彼女の足についていた手錠が怪しすぎた。
（・・と、いう事は・・）
克士の２つの予想のうち、もしも後者が当たっているとすれば、それはあの少女との再会を意味するものである可能性が高い。
何かの危機感が先程から胸を離れないが、それ以上に激しく、克士の心臓は早鐘を打ち始める。
（・・・あのコに、また逢えるかもしれない・・・！）
克士の中では、あの少女は初体験の相手として特別階級の位置づけを得ている。
それに、もう２度と逢えないと思っていたからこそ、もし逢えるならその喜びは倍増する。
先週の素振りからして、あの少女が克士に特別な思いを寄せている可能性は限りなく０に近く、それは克士本人もちゃんと認識している。
だが、克士にはそれでもよかった。
あの少女に再会できるなら、何でもよかった。
□ □ □
『尽望町ォ〜、尽望町でござい――』
土曜１０時の地下鉄尽望町駅。
誰一人として降りる客のない地下鉄から、克士が飛び出してゆく。
アナウンスの声すら置き去りに、克士は胸を躍らせて階段を上ってゆく。
『また、あの少女と逢えるかもしれない』
昨日出したそんな推論はあくまで推論であって、勿論確定しているわけではない。
それどころか、その的中率は決して高くはない。
だが、そのわずかな確率も、今の克士の中では何百倍にも膨れ上がっていた。
この駅の構内。
おかしいくらい人のいない事に気づこうともせず、自動改札を抜けて、一路公衆便所へと向かってゆく。
「ハァ・・・ハァ・・・」
前回と同じように、まず便所の入り口で息を整える。
ちらりと覗いた内部には、前回と全く同じ風景があった。
そこに人の姿はなく、全ての個室のドアは開いている。
昂ぶり。
呼吸が収まってくる代わりに、胸の鼓動は高ぶってゆく。
――カッ。
やがて１歩目を踏み出すと、克士はスイッチが入った機械のごとく一斉に稼動し始める。
一番奥の個室。
意を決する時間さえくれず、克士の体は独りでにそこへと滑り込んでゆく。
そして、振り向けばそこに――少女の姿があった。
「・・・・えっ？」
克士の顔に浮かぶのは、やや間の抜けたような驚愕。
そこに、克士の予想とは全くかけ離れた人物が立っていた。
「・・・なんで・・君がここに・・・？」
そこにいたのはあの少女ではなかった。
たしかに『制服姿の少女』ではある。
この間と同じように、その片足は手錠で繋がれている。
しかし、あの少女より小柄で髪型はツインテール、ややきつめの眼差しとふちなし眼鏡。
そして、着ている制服は克士の学校のものであり、腕には腕章までついている。
そう。
それは聖デラルゴ学園高等部１年、生徒会役員でもある御美倉架乃だったのだ。
「い・・・一体、何があったの？」
――カチャカチャ。
――ガタン・・カチャ。
克士の言葉に呼応したのは、扉と鍵の締まる音だった。
架乃が尻で扉を押し込み、後ろ手で鍵をかけたのだ。
そして、上目遣いに克士を覗き込む。
「ちょ・・・ちょっと、御美倉さん・・・？」
「・・・・・・」
「・・・ね、ねぇ・・」
「・・・・クス」
どこか変だった。
先程から、架乃は何も答えない。
表情もほとんど変わらない。
ただ、時折挑発しているかのような笑みを浮かべている。
（ど・・どういう事なんだ・・・この反応は、まるで彼女じゃないか・・・）
克士は、この間とはやや異なる困惑の中にいた。
今、目の前にいるのは、間違いなく克士の知り合いの少女だ。
よく似た他人では決してない。
しかし、どうしてもそれが同一人物だとは思えなかった。
「・・クスクス」
纏っている空気が違うのだ。
克士の知る架乃は事務的で冷たく、自分の事を軽蔑しているはずだ。
だが、この架乃はもっと妖艶で淫靡で小悪魔的で、まるで催眠術で操られているかのような印象すらある。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。
（・・これって、もしかすると・・・・・・よぉし！）
「・・ねぇ、御美倉さん」
「・・・・・・」
克士はもう一度彼女の名を呼ぶ。
今度は疑問系ではなく、普通に。
すると架乃は架乃は小さく顎を上げ、少しだけ目を見開いて反応する。
確かに反応する事だけを確認すると、克士は静かにこう続ける。
「ボクの・チンコを・しゃぶるんだ・・」
そこにしばしの静寂が訪れる。
両者一歩も動かず。
前回にもあった奇妙な硬直状態だ。
脂汗。
克士は思わずごくりと喉を鳴らしていた。
克士が下した判断は、かなり危険な諸刃の剣だった。
もし、思惑が外れていた場合、もう軽蔑されるどころでは済まされない最悪の事態となる。
だが、静寂に耐え切れず、危なく克士の意識が飛びそうになったその時だった。
「・・・・・・」
――カチャカチャ・・ジィィィィ・・
克士の視界はすぐ目の前でしゃがみこむ架乃の姿を捉えていた。
腰の辺りにこそばゆい感覚。
そして、克士の最も敏感な部分に伸びてくる小さな手の感触。
やがて、股間のモノが外気に晒され、そしてすぐに生温い熱に呑み込まれてゆく。
「・・・・オォ・・・・ッ！」
克士はブルブルッと身を震え上がらせる。
ゆっくりと見下ろす先。
自らの肉棍は、そのほとんどが架乃の小さな口の中へと消えていた。
――ネロォ・・ッ
「・・・ンホォォォ・・！」
ゆっくりと前後し、克士の分身を愛撫する愛らしい唇。
その中で、小さく熱い舌が亀頭をぺろりとやるたびに、克士の肉体に小さな波が駆け抜けるのだ。
――ジュ・・ジュババッ！
「・・・ハアァァ・・・！」
かと思えば、次は吸い上げ攻撃。
克士の快楽神経全てを手玉に取るように、架乃は妖しく蠢いている。
「ハァ・・ハァ・・ハァ・・」
何かに溺れていくような感覚。
自分の意思で呼吸ができない。
溺れるものが水面の藁にすがるかのごとく、克士の手は虚空を彷徨い。
――そして架乃の頭を掴む。
「・・・ンオオオォォォォ・・！！」
――ビュクッ・ビュクビュクッ・・・！
「・・・ぁ・・ぶ・・」
突風のような絶頂が克士を襲い、架乃の喉奥めがけて熱い滾りが流れ込む。
克士は無意識に力一杯手を握りこみ、掴んでいた架乃の頭から２、３本の毛を引き抜いてしまう。
その瞬間、かすかに制御を離れた架乃の口内で、歯の何本かが男根に触れると、そのショックで尿道に残っていたわずかな精液まで吹き出していた。
「・・・フゥ・・・フゥ・・・」
「・・ん・・ンむ・・・」
自らの放ったものを美味しそうに飲み込む架乃を、克士は愉悦の顔で見下ろす。
原理こそ全くわからないまま。
だが今、たしかに自分が架乃の主人となっている事を、克士は認識していた。
今の御美倉架乃は、克士にとっては『御美倉さん』ではなく『架乃』なのだ。
「・・・・架乃」
「・・・・・・」
「・・立ち上がってオナニーするんだ」
「・・・・・・」
架乃の反応は何故か全て微妙なアイコンタクトだが、克士にはそれで十分だった。
何故なら、今の架乃が返す反応はたった一つ、『御意』だけなのだから。
「・・・んっ・・」
自ら、ミニスカートの下に指先を滑り込ませ、架乃はショーツ越しに柔穴をまさぐる。
ジュワリと音を立てるそこは、既にすっかり潤っており、愛液は指で押し潰されるたびに泡を吹く。
「ウフフ・・可愛いよ、架乃・・」
静かに満たされていく、克士の支配欲。
架乃にそのまま１８０度回転させると、克士は脇の下から手を回して小ぶりな胸を愛撫する。
ブレザーの上からだと微妙にしかわからない、その柔らかな感触は、無性に克士の探求心をくすぐる。
ブレザーを、ブラウスを、そしてブラジャーをと順に掻き分けてゆくと、そこに汚れなき小さな天使のようなバストが覗く。
その先端にある両の小粒を克士がつまむと、架乃は小さく甘い悲鳴を上げた。
「・・架乃、オナニーはもういいよ」
「・・・・・っ」
「今度はそのオマンコで、ボクのスペルマを受け止めるんだ・・」
脊髄に何やらウズウズしたものを感じ始めた克士は、架乃に次の命令を下す。
つい先程発射したばかりだというのに、もう克士の欲棒は若いエナジーでみなぎっている。
架乃への命令内容は、その処理だ。
「そう、壁に手をついて、腰を突き出すんだ・・あ、片手はこっち。そうそう、こっちを見ながらしよう。架乃の可愛い顔を見ながら射精したいからね」
「・・・・・っ」
「フフフ・・可愛いね、架乃・・・・・挿れるよ・・」
――クチュゥゥゥゥ・・・
「ンンンンンォォ・・・・ッ」
「は・・・・ぁっ」
淫靡な水音を立て、小さな魅窟が男の大岩に塞がれてゆく。
克士の先端はゆっくりと前後するたび、吸い付かれ、こすりあげられ、締め付けられ、歓喜の悲鳴を上げる。
それは架乃の肉体が腕によりをかけて作った、最高のご馳走そのものだ。
「・・架乃のオマンコ、とっても美味しいよ」
――クチュゥゥゥゥ・・・
「・・・ん・・んんっ・・」
甘美な肉の味にすっかりほろ酔い加減の克士は、ずり落ちた眼鏡の上、伏せ目がちにこちらを見つめる架乃の顎をさする。
とろけるような架乃の微笑は、忠誠を誓う主に心酔する奴隷の微笑だ。
やがて己の肉体の中、何かの気配を感じ始めた克士は、上半身を覆いかぶせるように倒し、架乃の顔を至近から覗き込む。
「・・・架乃？」
「・・・・・？」
緩やかながら深い腰の動きをそのままに、２人はしばし互いの熱い吐息を交えさせる。
「いいかい、架乃・・・・ボクのスペルマで、受精するんだ・・」
「・・・・・っ」
「・・・いいね？」
最後の念押しに扇情的な奴隷の眼差しが頷いた瞬間。
その行為はゆっくりと美しく、終焉を迎えるのだった――
□ □ □
「か・・・じゃない、御美倉さん」
それは雨の日の聖デラルゴ学園。
月曜日の昼休みの事。
校舎内、１年生エリアの廊下で探していた相手を見つけた克士は、早速声をかけていた。
「・・・はい。何でしょう、先輩？」
振り向く架乃は、昨晩とはうってかわってシャンとしている。
内に氷の針を忍ばせたような、ある意味、完璧すぎる事務的対応だ。
ほんのわずかな笑みすら見せない。
そこに敵意はあったとしても、好意は間違いなく存在しない。
それは『いつもの』御美倉架乃だった。
「・・えっとぉ、変な事を聞いて悪いんだけど・・」
「・・変な・・・事・・？」
眼鏡の下にいぶかしげな眼差し。
克士の怪しい切り出しに、明らかに引いた反応。
遠まわしに言えば言うほど引かれると悟った克士は、単刀直入に切り出す事にした。
「あ・・いや・・えっと・・昨日の夜１０時ごろなんだけど・・・・」
「・・・・・？」
「・・・どこにいた？」
「・・・・え？」
そこで架乃はまた少し引く。
『この人、何を考えてるの・・？』
その表情からは、彼女の心中が容易に察する事ができる。
全身を針でつつかれるような居辛さに苦しみつつも、克士は答えを待つ。
どうしてもはっきりと確認しておきたかったのだ。
――昨日の架乃が、今、目の前にいる架乃であったのかどうかを。
「・・・・その時間は、家にいましたけど・・」
やがて、返ってきたのはそんな答えだった。
常識的観点から見れば、その答えはあきらかに矛盾している。
だが、それは克士の予想通りのものだった。
「そ、そうか・・」
「・・あのぅ・・失礼ですけど、そんな事聞いてどうするんですか？」
「・・えっ、いや・・別に・・・特に・・・」
お礼だけ言って、さっさと切り上げようかと思っていたところへ、架乃の鋭い切り返し。
思考が乱され、克士はしばしあたふたと言葉を探す。
（ど・・どうしよう・・今更『なんでもない』って言っても、絶対怪しまれるしなぁ・・だからといって他に・・・）
だが、静かに向けられた架乃の眼差しが、まるでメデューサのように克士を束縛する。
時間が経てば経つほど気まずくなってゆくこの状況の中、これは最悪のペナルティだ。
「――架乃」
そこに、期せずして助け舟。
その声を辿ると、そこにウェーブのかかったロングヘアが美しい女生徒の姿がある。
２年生である彼女は、名を羅門祥子（らもんしょうこ）といい、同級生女子の中で克士が最も苦手としている相手だ。
先輩後輩という隔てがない分、祥子は架乃より率直に敵意をぶつけてくるのだ。
「あ、羅門先輩、こんにちは」
「架乃・・今、ちょっといい？」
「・・あ、はい。じゃあ・・そういう事ですので蛭子先輩、失礼します」
「あ、いいよいいよ、そいつになんか頭下げなくても」
「あ、あはは・・と、とりあえず、呼び止めてごめんね・・」
さっさと架乃を連れ去る祥子の後ろ姿に、克士はとりあえず胸を撫で下ろしていた。
「（・・・ふぅ・・・）」
待ちかねた重圧からの解放に、先程から幾つもの大きなため息が漏れている。
２年生エリアに向かう道すがら、克士はあの公衆便所の出来事について考えていた。
・Ｇａｌｅ、即ち自分の絵の大ファンだという、例の『中年男』の正体。
・先々週の土曜日にセックスした少女に、何故か見覚えがあった事。
・今、少し話していた架乃と、一昨日セックスした架乃。
・そして、別人であるはずのその２人の少女の性格というか反応がほとんど同じだった事。
このうち、まず２つめは一昨日の夜に思い出していた。
初対面のはずのあの少女に見覚えがあったのは何故か。
それは彼女が、Ｇａｌｅが便所の壁に描いたイラストの少女に瓜二つだったからだ。
そして、それが何を示すのかが３つめ、一昨日セックスした肉奴隷の方の架乃へと繋がる。
先々週の日曜日、Ｇａｌｅが便所の壁に描いたイラストは御美倉架乃、ほぼそのものだった。
更に、１つ決定的だった事柄がある。
肉奴隷架乃が胸につけていたバッジには、イラストの架乃がそうであったように、何も名前が刻まれていなかったのだ。
そこから、次は４つめ。
肉奴隷架乃とあの少女の反応がそっくりだったのは、その２人ともが何らかの人知を超えた技術により作り出された『同一の存在』であったからと考えるべきだろう。
これらの経緯から、最後に１つめ。
例の『中年男』の正体は、恐らく人ではない超常的な存在。
それはこの街に潜む『人ならざるもの』の１つなのだろう。
（と、なれば・・結論的に・・やっぱりボクは、この魔都と関係を持ってしまった・・という事なんだろうな・・）
小さな震えが克士の背筋をすり抜けてゆく。
だが、それはすぐに大きな１つのため息の中に消えていくのだった。
□ □ □
土曜日の夜１０時。
何故か全く人を見かけない地下鉄尽望町駅。
男子用公衆便所内。
今日も独特な異臭が漂い、不潔感が湿気に乗って漂っている。
だが、そこは現実世界の片隅に存在する非現実世界。
魔都の魔都たる場所の１つ。
そして、今宵も魔都から招待され、そこに１人の画家が訪れる。
そわそわする足取りで、一番奥の個室へと入ってゆく克士の姿があった。
「さあ、今日もそのオマンコでボクを楽しませるんだよ――――――祥子」
→進む
→戻る
→魔都物語のトップへ
|
