<<8月18日(水)11:30 葦挽樹海>>
雨風に打たれ、怪しくざわめき続ける水面。
その姿を芽衣子はずいぶん久しぶりに見た気がした。
目の前に広がるのは、皆で泳ぎ、節子から怪談を聞かされた湖、黄湖だ。
とすれば、ここから湖畔沿いに行けばロッジに出られるはず。
ロッジまで出てしまえば、町へと抜ける一本道を彼女は知っているのだ。
(・・アンジュ・・)
だがそこで、芽衣子の中に一つの迷いが生じる。
本当に町まで助けを呼びに行けばいいのだろうか、そうすればアンジュは助かるのだろうか、と。
いつも自らを犠牲にして、自分のために尽くしてくれたアンジュ。
彼女の優しさが時にとてつもない危険を孕んでいる事を、芽衣子は知っていたのだ。
『ここで自分が町まで戻ってしまったら、もう二度とアンジュとは会えない』
不吉な予感が、雨と一緒に背中にまとわりついているかのようだった。
「め・・芽衣子・・!」
不意に後ろからかかった声。
振り向いた芽衣子の前にいたのは、自分とアンジュを置き去りにし、さっさと逃げたはずの節子だった。
芽衣子は彼女を睨みつけようとしてやめる。
結局、自分もアンジュを犠牲にして逃げてきたようなものなのだ。
「あ、あんたも・・町への帰り道知ってんだろ?・・とっとと逃げた方がいい・・」
「・・・・」
「・・し、死にたくなければ、ね・・」
節子の表情に浮かぶ畏怖は、先程までのものとは種類が違った。
例えていえば、それは人食い熊を目の当たりにした者の顔から、人食い熊に体を食い破られた人間を目の当たりにした者の顔へと変わっていたのだ。
「と、とにかくあたし行くから。じゃあな」
捨て台詞を吐くと、節子は湖畔沿いを駆けてゆく。
その後ろ姿が雨の中に見えなくなるまで、芽衣子はそれをぼんやりと眺め続けていた。
「・・節子先輩が町に行く・・」
そんな小さな呟きで、芽衣子はゆっくりと我に返る。
すると、脳裏を愛しい親友の顔が掠めて消えた。
芽衣子は身を翻すと、再び森の奥へと消えていった・・
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