【フェ・ベロンデの夜】
人馬と西風の月2日 20:00 ゴッタバル村



冷たい夜空を上へ上へと追いやるように、リド・クジャの熱気は吹き上がる。
あちこちに大きな炎が焚かれ、魔よけの装飾柱が立てられ、中央にはなにやら大きな正方形の舞台が施されている。
いつもより派手な皮を腰に巻いたオーガたちが高らかに歌を歌い、酒を飲む。
またその中にはシアフェル一行とは違う、幾人かの村の女たちの姿もあった。
今日は、一族に新たなる仲間を受け入れる『フェ・ベロンデ(受血祭)』の夜。
村は大きな賑わいを見せていた。

「ふぅ〜ちょっと食べるの休憩・・さすがにこれは多すぎるよ・・」
主賓のために用意された毛皮の絨毯の上、そんな事を言い、あははと笑うソネッタ。
そのすぐ横では、ミュラローアが複雑な表情をしていた。
このソネッタの妙な明るさが、無理して作っているものだとわかるからだ。

「ソネッタ、食べ過ぎたら出す。そうすると、また食べられる」
「あはははは・・ちょっとぉ、食事中に下品なこといわないでよ〜」
こういう適応は人一倍早いソネッタは、もうすっかりオーガたちとも打ち解けている。
いや、ジプシーとして育った彼女には、狭苦しかった城の中よりも、むしろこっちの方がふさわしい居場所なのかもしれない。
ミュラローアはまた、そうも考えていた。
それにこの先、シアフェルを守りながら逃げるのと、この村に残るのとではどちらが安全か、それははっきりしているのだ。
だから、ソネッタにはこの方がいいのかもしれない。
ミュラローアはそう理由をつけ、ソネッタを切り捨てる心の傷を和らげる事にした。

――オオオオオオオオオオオオオオオ〜〜ン!!

そこで突然響き渡るオーガの長の大きな雄叫びが、空気をビリビリと震わせる。
すると、何事かと驚くミュラローアとソネッタの周りで、オーガたちは一斉に歓声を上げる。
祭は今まさに、佳境を迎えようとしていた。

「これから、儀式始まる」
大きな杖を持った1人の老オーガがソネッタの前にやってくる。
彼はその大きな腕を振りかざして、ソネッタの視線を舞台へと誘う。

「選ばれし村の若者たち5人、あの上で戦う。そのあと、勝ち残った若者の立つ舞台にソネッタ行く。そこで血を捧げ、我らオーガの妻となる」
簡単に一通りの説明を加えると、ソネッタはコクリとうなづいて返す。
それを見た老オーガは、のそのそと舞台の方へと引き返していった。

――ドォーン!ドォーーン!ドォーーーン!

やがて、舞台横の太鼓の音を合図に、ソネッタをかけたオーガ同士の戦いが始まっていた。
岩をも粉砕するような拳が飛び交う熾烈な戦いに、舞台は次第に血に染まってゆく。
そんな光景を、ミュラローアはどこか遠いものに感じていた。

「ねえ、ソネッタ・・・さっき老人が言っていた『血を捧げる』ってどういうことかしら?殺されはしないと思うけど、大怪我とかさせられないかしら・・・?」
ソネッタを切り捨てる覚悟はできていたはずだった。
だがミュラローアは、それでもオーガたちのソネッタに対する一挙一動が、まるで自分の事のように気にかかって仕方がなかった。

「ん?・・ああ、えーとね。要は・・その、なんというか・・・、あの戦いに勝ち残ったオーガとあたしは夫婦になるわけで・・・その、『営み』をしろって・・ことよ・・・」
「・・あ」
次第に尻つぼみになってゆくソネッタの言葉。
2人は俄かに頬を上気させ、目を逸らし合った。
そして、その落ち着かない沈黙は、舞台上の激戦が終わりを告げるまで続いたのだった。

「ソネッタ、こっち来る。儀式の前に奥で化粧する」
先程の老オーガが再びやってくると、ソネッタに手を貸して立ち上がらせる。
「じゃあ、ミュー姉。行って来るね」
導かれるまま老オーガについてゆくソネッタの後姿が、舞台奥のテントの中へと消えて行く。
最後に覗かせた彼女の空元気が、ミュラローアの胸に爪を立てた。

ソネッタが化粧をしている間に、舞台周りはまた騒がしくなる。
正方形の4隅に大きな松明が、その外周には長さ20フィートはあるかと思われる木柱が立てられる。
柱の頂同士を繋ぐロープが舞台を囲み、そこにかけられた大きな赤い布がカーテンとなって舞台上をすっぽりと隠す。
そして、周囲の松明が一斉に消された瞬間、布に覆い隠された舞台が神秘的な赤い光で夜闇に浮かび上がる。
そこはまさに聖域だった。

「オオオ〜!!我等が母なるリド・クジャ!!」
雄々しく、しかし厳かに、老オーガは儀式へと誘う文句を唱え始める。
「ペグネの頂、マイロマの底、エンデュアの赤き川を宿せし炎の主よ!!誉れ高き勇者イントゥクの誓いに習い、ここに受血の儀フェ・ベロンデを執り行う!!」
老オーガが手にした杖を高く掲げると同時に、地響きを起こすような大歓声が儀式の主人公たちを称え、迎えた。

両者が舞台入り口に現れる。
薄布一枚だけを纏ったソネッタは全身に白粉で文様を施され、どこか虚ろな目つきで現れる。
オーガたちの話によると、儀式前の花嫁は、行為を円滑に行うために依存性のない媚薬の一種を仕込まれるらしい。
ゆらりと立ち星空を見上げるその姿は、もはや神秘的という表現以外では表せない。
既に、つい先程まで自分と一緒にしゃべっていた彼女ではなくなっているソネッタに、ミュラローアは罪悪感と不安と寂しさ、そしてかすかな羨望の念を覚えていた。

一方、オーガの方は先程受けた傷の手当ても返り血をふき取る事もしていない。
その一糸纏わぬ姿は、雄としての力強さに満ち溢れている。
だが、興奮冷めやらぬ荒い吐息を纏う彼の下肢を見、ミュラローアはゾッとする。
無意識に又をギュッと閉じていた。
思わず凝視してしまう視線の先にそそり立つのは、誰の目からもあきらかに人間のものではないと判断できるサイズの男性器だ。
忌まわしき記憶の中、しかも恐らくは幼い心が強調して形どるそれとすら全く比較にならない。

(あれが・・入るの?・・・・無理よ、あんなの・・死ぬわ、死んじゃう・・)

ミュラローアの顔からさあっと血の気が引いてゆく。
恐怖に見開かれた瞳に脂汗が落ちる。
その体はあからさまなぐらいにガタガタと震えていた。

――ギシッギシギシッ・・

ミュラローアの脳裏の一番奥にある重く閉ざされた扉が、軋んで不気味な音をたてる。
ゆっくりとゆっくりと開き始める。
そして、全てをゆっくりと呑み込んで行く――

――ギィィィィィ・・

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

「お花、売ってきた・・」

子供らしからぬ抑揚のない言葉。
それはこの幼い花売りの少女にとって、地獄の扉を開ける呪文に他ならなかった。
全ての雨戸が閉ざされ、外から完全に隔離された闇満ちた家。
むせ返るような、安っぽい酒と香水の匂いの立ち込める家。
毎日、乱暴に執拗に、自分を虐め傷つける悪魔の棲む家。
そここそ、ミュラローアが毎晩帰る唯一の場所だった。

「・・・?」
しかし、今日は何かが違っていた。
空気に溶ける違和感。
幼い心はそれを敏感に感じ取っていた。

「パパ?売ってきたよ・・?」
「お?・・ああ、ご苦労さん」
「・・・・?」
いつものように、古い木のテーブルの後ろから恐ろしい眼差しが娘を迎える。
だが、その口が『ご苦労さん』などと発音するのは初めてだった。
かすかに首をかしげるミュラローアから売上を受け取ると、彼女の父ダルクはずんぐりとした体を椅子から持ち上げる。

「ミュラローア、今日はお前にいいものがあるんだ」
「いい・・もの?」
「そうだ。さあ、こっちにこい」
のそのそと奥の部屋へと消えてゆく父を、ミュラローアは不安な足取りで追う。
ダルクは妙ににやけ面だったが、改めて警戒せずともそれはいつもの事だった。

「あ・・・」
ダルクの寝室にやってきたミュラローアは、薄汚いベッドの上に折りたたまれた深いワインレッドに一瞬目を奪われる。
それは彼女の羨望の的、ドレス。
町で金持ちの家の娘がひけらかしているような高級なものではなかったが、それでもミュラローアには喉から手が出るくらい欲しかったものだった。

「これ・・・?」
「今日はお前の誕生日だからな、やるよ。着てみろ」
「あ、うん・・っ!」
ミュラローアは飛び掛るようにドレスに向かう。
薄汚いボロを脱ぎ捨て、新品のドレスに体を通してゆく。
新しい布の柔らかさ、数年ぶりの肌触り。
自然と息が弾む。
ずっと昔に忘れた感覚が蘇る。
毎日虐げられ、死人のようだった幼い娘が、年相応の表情を取り戻し始める。
丸々肩が出るデザインや想像以上に短いフレアスカートにドギマギしたり、背中のボタンをとめるのに一苦労したり、ミュラローアにはドレスと語らう一挙一動が楽しかった。
最後にリボンのカチューシャをつけ、粗雑ながら着付けが終了すると、ミュラローアはそこをくるりと回ってみせる。

「おお・・似合うじゃねぇか」
「ありがとう」
「うんうん、お前ももう12歳、大人の仲間入りだ。それなりの格好はしてねぇとな」
「ふふふ・・」
毎年何をやるわけでもなく、ミュラローアは自分の誕生日などほとんど忘れていた。
自分の誕生日など、もう誰も祝ってくれない意味のない日だと思っていた。
それが、一番ありえない相手が何よりも大切な酒代を削ってまで祝ってくれたのだ。
完全に闇に落ちたと思っていた未来に、ミュラローアは一筋の光が挿した気がした。
夢のようだった。
夢ならば、覚めて欲しくないとさえ思った。

――その一瞬だけは。

「・・・・・・」
その瞳に爛々とした光を帯びさせ、ダルクは吸い寄せられるように我が娘に歩み寄っていた。
音もなく。
足よりも先に手が、手よりも先に吐息が、吐息より先にその視線が先走っていた。
ミュラローアの小さな体を、大きな影が呑みこんでゆく。

「えっ・・何、パパ・・・・?」
ゴツゴツした大きな手で捕まれて戸惑うミュラローアの両肩に、ダルクはふっと力をかける。
まるでドミノを倒すかのように、そこに我が娘を押し倒す。
いつか母となる時のために形を成し始めてきた胸を曝け出させ、しわ1つなかった新品のスカートを乱暴にずり上げる。

「いやっ!何するの?パパ!!」
「う〜るせぇ!お前ももう大人なんだ、大人のたしなみって奴を教えてやろうってんだよォ」
「や、やだっ、いいよ!お願い、やめて!」
「おとなしくしやがれ!我侭いってんじゃねェぞコラ!」
そして、ダルクはいつものようにその掌を振り下ろす。
頬を2回3回と張られていくうちに、ミュラローアはまた死人の顔へと戻ってゆく。

『夢など見るだけ損をする』

幼い心に痛々しい教訓を刻まれたあとは、これ以降の生活において新たなる日課となる、更なる責め苦が待っているのだった――

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

――どうしたか?
――ミュラローア、大丈夫か?

(・・・・えっ?)
ミュラローアが我に返ると、心配そうに覗き込む2匹のオーガの顔がすぐ眼前にあった。
思わず身をビクつかせるが、敵意の欠片もないオーガたちの優しげな表情が彼女をすぐに落ち着かせた。

「あっ、あ・・大丈夫です。すみません、ちょっとぼーっとしていて・・」
「そうか、大丈夫、よかった」
「それよりミュラローア、見る」
片方のオーガが覗き込んでいた巨体をかわし、ミュラローアの前を空ける。
すると聞こえてくるのは広大な静寂の中、空に解けて行くような2つの息遣い。
見えるのは地熱に揺らめく赤い聖域の中、情熱的なダンスを踊る2つの影。
ミュラローアはしばし呼吸すら忘れて、それに見入っていた。

舞台を覆うカーテンのせいで、中を見通すことはできない。
だが、そこでオーガとソネッタが何をしているかは一目瞭然だ。
それはミュラローアにとって、最もおぞましい行為であるはず。
しかし、何故かミュラローアの防衛本能は何の反応も示していなかった。

「―――――!」
「――――――――!」
赤い布に浮かび上がる影絵が、この場全体を支配していた。
大きな手が小さな腰を掴み直すたび、時間の流れがちょっとだけ遅くなる。
腰から突き上げられ、大きなお下げが跳ね上がるたび、時間の流れがまたちょっとだけ遅くなる。
やがて、2つの肉体が同じタイミングで身を震わせると、時間の流れは元に戻る。
そして再び、唇を重ね、肉体を重ね、また少しずつ遅くなってゆく。
何度も何度も、延々と繰り返される。
それは、まさに悠久の時の流れに他ならないものだった。

「綺麗・・・」
不意にミュラローアの口をついて出た言葉。
それは意思ではなく、本能の発した言葉だった。

「ソネッタ、大地のよう、強い」
「ソネッタ、いい花嫁になる、皆、ソネッタ大好き」
オーガたちの言葉が妙に心地よく、ミュラローアは遠い眠気に揺られながら、同僚との別れの夜を過ごしたのだった。


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