□ Page.12 『Joker』 □
次の日の帰り道。
いつもの道を、舞子は1人歩いている。
空はさわやかに晴れているが、昨晩の豪雨のせいで足元はぬかるんでおり、ところどころに水溜りが残っている。
(昨日は・・・・スゴかったな・・・・・いろいろと・・・)
結局、昨日家に戻ったのは深夜1時半を回った頃だった。
公園の公衆便所の中で淫靡な営みを終えた後、そのまま雨の中を戻ったのだ。
さすがに大目玉を予想していたが、幸運なことに両親が戻ってきたのは舞子より更に後だったので、ことなきを得たのだった。
(・・でも、おかげで今日はすごく体調がいい・・)
そして、前回の時と同じく、今日は朝からすこぶる調子がいい。
羽のように体が軽く、空気や食べ物がいつも以上においしく感じられる。
そして、例の腕の火傷も嘘のように完治していた。
(・・あの触手のおかげ・・かな・・・・・まぁ、恥ずかしいけど・・・)
あのおぞましい謎の生き物だが、舞子も今になっては、もうほとんど嫌悪も恐怖も感じない相手となっていた。
昨日の一件で、舞子はすっかり『彼』を共存の相手として認識していたからだ。
「・・・はぁ」
無意識に怪しい方向へと進む思考を払い去るように、舞子は立ち止まり空を仰ぐ。
いつでも最も雄大な空は、ただ静かにそこに広がっていた。
「お?岡本ちゃんやーん」
その時、真後ろから聞こえてくる呼び声。
それは関西人独特のイントネーションを帯びている。
舞子の知る限り、知り合いの中でこの言葉を使うのは1人しかいなかった。
――叶浦はじめだ。
顔が、こわばる。
「ちょっと、そこのコンビニまで一緒にいかへん〜?」
歩調を速め、すぐ横まで追いついてきたはじめは、いつもの人なつっこい笑顔で舞子を覗き込む。
だが、対して舞子は返事をするどころか、硬い表情のまま振り向きもしない。
はじめのこの笑顔がフェイクであることを知っているからだ。
「チキンラーメンの買い置きがなくなってしもうたのよ。補充にいくとこやねん」
「・・・・・・」
「ウチ、昔っからチキンラーメンっコやったからな。2日にいっぺんは食べてへんと禁断症状起こすんやで?」
「・・・・・・」
「なんや・・・岡本ちゃん、どないしたん?また・・・何かあったんか??」
舞子は思わず拳をぎゅっと握る。
昨晩自分を陥れた人間と同一人物とはとても思えない完璧な猫かぶりが、余計に神経を逆撫でするのだ。
いろいろな意味で、はじめ相手に無視をし通すのはもう難しくなっていた。
静かな怒気を込めた瞳をはじめの方へ滑らせる。
「・・・自分の胸に聞いてみたらいいんじゃないの?」
「えっ?何?何?もしかして、ウチ、何か岡本ちゃんが気を悪くするようなことしてもーた・・・・?」
この期に及んでシラを切り通すはじめ。
あまりの自然さに、一瞬、昨晩の人物とはじめは別人なのかと思ってしまう・・が。
《なあ、叶浦・・・胸とか揉むのは、大丈夫か?》
《ああ、しつこく乳首つまんだり、あんまり強く揉みすぎなければOKやで》
舞子の耳は動かぬ証拠を聞き逃していなかった。
それに、声色やしゃべり方も、間違いなく敦とはじめのものだったのだ。
「――昨晩、私意識あったんだよ!」
「・・・・・・」
修羅場を覚悟し、舞子は一気に核心に迫る。
そこにできた沈黙は、ほんのわずかだった。
「・・何や、そうやったんか」
一瞬、呆気にとられたような表情を見せたはじめだったが、すぐにそれは豹変する。
それは例えるならば無邪気な嘲笑者。
どこか狂気すら漂わせる今のはじめは、とてもつい先程までの彼女と同一人物だとは思えない。
そして、それこそ昨晩敦と一緒にいた時のはじめであった。
「・・ま、それならウチにいろいろ言いたいこともあるやろな。そこの神社でゆっくり話さへん?」
▽ ▽ ▽
時々はじめと敦が会議に使っている、村の外れの神社。
背面に山肌を背負い、周りを深い緑に囲まれたここは、空気も爽やかで雰囲気も悪くないが、何故か訪れる人は少ない。
「・・何で、あんな酷いことしたの?」
それが、舞子の一言目だった。
これは今のはじめに対してでは、何の意味も持たない問いかけだ。
何故なら、はじめはある種、芯からの愉快犯だから。
だが、今のはじめ相手ですら良心を期待してしまう辺りが舞子だった。
「私、はじめちゃんのこと信じてたのに・・」
「んん〜・・ちぃとばかし誤解されてんねんな。うちかて岡本ちゃんのことは好きやし、酷いことしたつもりはあらへんで?」
「いきなり薬嗅がせて、男子に体触らせるののどこが酷いことじゃないっていうの!?」
「ん?薬はともかく、それ以降のことって、岡本ちゃんにとっては怒るような内容やったん?」
「ど、どういう意味!?」
「え?岡本ちゃんって結構ムッツリに見えるやねんけどなぁ。内心じゃ、結構ドキドキのノリノリだったんちゃうぅ〜?」
「そ・・・そんなわけないでしょっ!」
力強く言い切ったつもりだったが、語尾が縮む。
それに加え、異様な心拍数の変化・体温の上昇。
これでも舞子にしては改心の嘘だが、それを見破れないはじめではなかった。
「嘘やぁ〜。顔に嘘やて書いてあるでぇ〜?」
「・・書いてないってば」
「えぇ〜、『はよ、初体験したいわぁ〜!』ってデカデカと書いてあるねんけどなぁ?」
「・・・・・っ」
舞子は沙弥の件について色々相談していた都合上、はじめとは結構踏み込んだ内容の話もしていた。
だから、今ここで上手く嘘をつこうにも結局は筒抜けなのだ。
それに話術自体もはじめに分がある。
正攻法でのやりとりなら、もう勝負は見えていた。
「なぁ、岡本ちゃぁ〜ん?高田ってああ見えて、結構ええ男やで?腕っ節はずば抜けて強いし、顔もまあ悪くないし、何より今時珍しいくらい一途や」
「・・なっ、何が言いたいのよ?」
「ウチ、前から高田に相談受けててな?好きで好きで仕方ないコがおるから協力せぇってゆうんや・・・モチ、岡本ちゃんのことやで?」
「・・・・・・」
「せやから、ウチ色々と手ぇ貸しとったねん。昨日のもそうやし。あと、前に岡本ちゃんのパンツ盗んだのもウチや」
「・・・・・!」
「その時なんか、高田の奴、ウチから受け取った瞬間におおはしゃぎでしゃぶりついとったでぇ?特に『染みの部分』中心にな。いやぁ・・なんっちゅ〜か、もう可愛かったわぁ、あん時の高田・・」
はじめは更に踏み入った内容の攻勢に出る。
舞子はやや節目がちにはじめを睨みつけているが、段々と活発になってゆく生理現象を抑えることはできない。
みるみる紅潮してゆく舞子をじっくりと観察するように覗き込むはじめは、まるで鼠をいたぶって楽しむ猫だ。
愉快犯の笑みには恍惚の色すら浮かんでいた。
「なぁ〜・・どうなんよ、岡本ちゃぁ〜ん?周りの連中に大きく1歩リードできるチャンスやん?・・どうや?この際、高田と1発オ○コキメてみるちゅうんは?」
「そ・・・そんなのダメだよ・・」
「世界、変わるでぇ〜?」
「・・高田なんか、ほとんど話したことすらないし・・」
「アホやなぁ、岡本ちゃ〜ん・・・わからへんか?そこでの判断が、勝ち組と負け組を分けるんやで?それに、チャンスはそう何度も来るもんやあらへんで・・・?」
はじめの話術は悪意に満ちているが、そのくせ巧みだ。
舞子に関する手持ちのデータを上手く利用し、あちこちからガードを突き崩しにかかる。
「でも・・・でも、やっぱりそういうのって間違ってるよ!」
「間違うとるって・・どう間違うてるんや?」
「よくわからないけど・・そういうのって、お互い時間をかけて関係を・・・」
「ちゃぁ〜〜〜〜っ、全くわかっとらん!そんなんやから、いつまで経っても処女なんよ!レトロなお綺麗路線の少女漫画の読みすぎちゃうか?」
次第にアップテンポになってゆくはじめの口ぶり。
大げさにゼスチャーまで加え、はじめは一気に畳み掛けようとする。
だが、いざ詰めの段階で調子に乗りすぎてしまうのがはじめだった。
「氷川ちゃんなんかすごかったでぇ〜」
「え・・・・?」
「独自のルートでな、色々調べさせてもろたんよ・・そしたら氷川ちゃん、めっちゃ過激なことしとるやん。ありゃ、さすがのウチもドキドキもんやったわぁ〜♪」
『敵は我が手中にあり』とばかりに、キャラキャラと勝ち誇ったように笑いながら面白おかしく話すはじめ。
だが、舞子の顔が今までとは違う強張り方になってきていることに、彼女は気づいていなかった。
「知っとるか?氷川ちゃん、男たちの飼い犬やねんで。そいつらのことを『ご主人様』なんて呼んでて絶対服従やねん。こないだなんか、ちょうどこの脇の林の奥で、男たちにスカートの下からこぉんなぶっとい浣腸射たれてな、脂汗だらだら流しながら色っぽい喘ぎ声だしとったんやでぇ?いやぁ〜、その先はあえて語らんけどな、あれは見物やっ・・・・」
「――沙弥のことを悪くいわないでッッ!!!」
そこで状況は一変する。
はじめが言葉に混じらせ吐き出していた扇情的な熱は、鋭く冷たく言い切られた舞子の言葉の前に吹き飛んでしまったのだ。
2人の友情を侮ってかかったのがはじめの失敗、彼女は言葉通り舞子の逆鱗に触れてしまったのだった。
はじめを睨みつける舞子の眼差しにも、もう戸惑いの色などなくなっていた。
「・・・あちゃ・・・ウチとしたことが、ま〜たやってもた・・・・失敗失敗☆」
落語家よろしく自らの頭をペシッとやるはじめの前で、舞子は切り捨てるように踵を返す。
「あっ・・ちょいまち、どこいくねん?」
「もう、はじめちゃんなんか当てにしない。私、これから沙弥のところに行って直に説得するわ!」
「やめときぃ〜って、こじれるだけやでホンマ・・・大体、この時間はどっかでパンパン犯られとるやろ・・家になんぞ行ってもおらんおらん」
いっていること自体は正しいが、相変わらず悪びれた風もないはじめの態度。
温和な舞子をこれだけ怒らせた人間は初めてだった。
「もう絶好よ!これ以上私に話しかけないで!!顔も見たくない!!」
1カ月前、沙弥にいわれたナイフのような言葉を、今度は舞子がはじめに浴びせる。
だが、はじめはどこに根拠があるのか、こんな言葉を返してきた。
「それはあかん。これからも、ウチとはよろしゅーやってもらうで――」
――キィィィィィィィィィ・・・ン!
「・・・えっ!?」
その瞬間、舞子は頭の中に異物を挿入されたかのような感覚を覚え始める。
頭の中心で、何かが激しく振動している。
まず首元が硬直し、次第に顎が上がり顔は上を向いてゆく。
続いて唇や舌も痺れて感覚がなくなり、そして最後に意識が遠のいてゆく。
「・・・あ、あにお(何を)・・・?」
それが、舞子が完全に気を失う前の最後の言葉だった。
「これはなぁ・・使いすぎると脳に障害をきたす可能性があるんで、あんま使いとうなかったんやけど・・ま、大丈夫やろ。もし万が一壊れてもうたら・・そん時ゃ堪忍しぃや、岡本チャン♪」
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