□ Page.16 『キッカケ』 □
傷だらけにされた舞子と沙弥が、その友情を取り戻した日から2日が経った。
「ねぇ、裕美子〜。帰り、ちょっと本屋寄ってこ〜?」
「おっけ。今日、ちょうど欲しかったマンガでてるはずだし〜」
「あれぇ?何か集めてたっけ?」
「ほら、『ラヴデビ』描いてた人の短編集が確か昨日発売日だったはずなのよ」
「私、あっち系は読まないなぁ〜・・」
学校の1日の行程の最後たる掃除を終え、クラスメートたちが慌しく帰り支度を始める中に舞子の姿があった。
「本屋、舞子もくる〜?」
「え?あ、私は今日はいいや・・」
「そ。じゃ、また明日ね〜」
蜘蛛の子を散らすというべきか、学業の呪縛から解き放たれた生徒たちの引き際はすばらしい。
すぐに教室は舞子だけとなった。
「・・ふぅ」
そのため息は自己嫌悪。
『なんで、私が今ここにいるんだろう?』
それが、その内容だった。
舞子と沙弥は昨日、学校を休んだ。
沙弥は今日も休んでいる。
これは当然といえば当然だ。
あれだけの事件の直後だから、笑顔で学校に出て来いという方が無理というものだろう。
しかし、舞子は今学校にいる。
(・・まじですか、私・・・?)
たったの1日だ。
あんな暗い森の中で泥にまみれながら、凶暴な男たちに押さえつけられ、レイプされ・・で、2日で復活。
常識的にありえない速度で、舞子は一応最低限、表向きだけは立ち直りを見せていた。
昔からそうなのだ。
棗に腕を焼かれた時も然り。
昔、知り合いの家のブルドッグに足を噛まれて病院に担ぎ込まれた時も、次の日にはもう普通に遊んでいた。
とはいえ、さすがに今回の立ち直りの早さには舞子も笑うしかなかった。
(沙弥はきっと今も泣いているのに・・私、だめじゃん・・)
舞子は窓から外を眺める。
青空は、これ以上ないくらい青い。
「・・・・・・」
あのあと、一連の事件に関しては、沙弥の強い要望により口外しないことに決めていた。
沙弥は騒がれるのを覚悟で男たちに復讐するより、耐えて忘れる道を選んだのだ。
それに男たちも『狩人』の手により、最低限の報復は受けている。
「・・・・・あ」
ぼーっと眺めていた青空の下、舞子は校庭の隅に『ある人物』を見出していた。
視線を手元に戻すと、少しだけ巻き込んでいる上履きのかかとを直す。
――ガラガラガラ・・
そして、教室は完全に空になった。
▽ ▽ ▽
校庭の隅、水道の横に立つ1本の大木。
それは特別なものでもなければ、学校に代々伝わる逸話があったりもしない。
だが、舞子はなんとなくこの木が好きだった。
大木な割に迫力もなく、目立たず、そこにあり続ける。
それはまるで『私は人畜無害です』といっているようで、舞子も似た者意識を覚えているのかもしれない。
舞子はそんな木の下に腰を下ろす『彼』――いや、『狩人』の姿を見つけた。
舞子が近づくや、すぐに向こうも彼女を捕捉する。
その顔は相変わらず不気味にニタついているが、頬に貼られた大きな絆創膏が、彼の『近づきがたいオーラ』を払い去っていた。
「こんにちは」
「いよう」
まず、それだけ交わすと、舞子も『狩人』――高田敦の横に腰を下ろす。
「あの・・・有難うね、助けてくれて」
「いや、1匹逃がした。ま、そのうち見つけ出して殺すけどな」
「あははははは・・」
「くっくっくっ・・」
片や人畜無害な草食獣、片や凶暴極まりない肉食獣だが、その両者のやりとりは微笑ましいくらい自然であっけない。
どこか、クレヨンで描いた太陽が似合う光景だ。
「あの時、ちょうどあの辺りにいたの?」
「ああ、親父に買い物頼まれた帰り。お前の声が聞こえたからさ」
「ふ〜ん」
それは何故か、妙に嬉しい言葉だった。
舞子は少しだけ頬を染め、視線を空に泳がせる。
すると、敦に関するある記憶が思い浮かぶ。
それは『あの日』の前日に見た夢だ。
どんな内容だったか、はっきりとは覚えてはいない。
だが、そこに自分と敦が登場していたことと、酷く卑猥な内容だったことだけを思い出せる。
(・・・!)
その瞬間、心臓がどす黒い手に握り潰されたような感覚。
舞子は危うく恐怖と激痛の記憶を呼び起こしそうになってしまい、慌てて正気を取り戻す。
「そ・・それにしても高田って、呆れるくらい強いよね・・」
「バッカ、キャリアだよ、キャリア」
舞子がそういうと、敦は意地悪な猫みたいな笑みを見せる。
『ニシシ・・』というやつだ。
だが、その顔には何か決定的な違和感があった。
「・・・あっ!?」
そして、舞子はそれに気づいた。
つい数日前に見た時にはあったものが、なくなっているのだ。
「高田・・・その歯・・・」
前歯が2本ほど欠けている。
その原因が、あの夜の稲垣の一撃によるものであることは明白だった。
舞子の顔から、柔らかさが失せてゆく。
「ああ・・べっつにィ?俺らの世界じゃよくあることだし」
「よ・・・よくないよ・・・!」
敦の歯を、舞子は歯医者よろしく覗きこむ。
よく見れば被害は2本だけでなく、他の歯も少し欠けている部分があった。
さすがに触るわけには行かないのでわからないが、もしかしたら他の歯もぐらついているかもしれない。
『これは全部永久歯だ』とか『たしか、前歯には保険がきかない』とか、そんな言葉が頭の中をぐるぐると回る。
「ご・・・ごめんなさい・・・」
「いや、だから別にいいって」
「ごめんなさい・・・私のせいで・・・」
舞子は、少し前にも誰かからいわれたような台詞を漏らす。
立ち直ったばかりの舞子は、再び足を溝に取られていた。
しかも、これは非常に厄介な溝だ。
他人のせい、もしくは自業自得で自分が傷つくのはいいが、自分のせいで他人が傷ついた場合は別だ。
例の驚異的な精神的回復力すら役には立たない。
「どうしよう・・どうしよう・・・・・」
「おっまえさァ・・人の話聞いてるのか?いいっつーに・・」
「どうしよう・・・私、どうしよう・・・・う・うぅぅ・・・」
「・・って泣くなよ!俺が悪いみてぇじゃねーか!」
「ごめんなさい・・・悪いのは私です・・・」
「・・・ハァ・・・」
こんな舞子には、さすがの敦もため息を漏らす。
血で血を洗う世界を歩いてきた敦に、女子のこういう部分は理解できないのだ。
だが、好きな女の子が目の前で泣いていようと、決して守勢に徹したりしないのが敦だった。
「私どうすれば・・・どうすれば・・・」
「・・じゃあ、そんなにいうならさ、岡本?」
「・・・・・?」
舞子は敦が見つからない答えを提示しようとしているのだと気づき、泣き顔で彼を見上げる。
「俺に1発犯らせろよ」
いった直後に後悔が敦を襲う。
今の舞子の乙女心に対して、その言葉がどれだけ鋭利な刃物になるか、敦も気づいていたはずだった。
だが、つまらないプライドを張るために強気に出すぎたのだ。
「・・・・・・!」
一瞬、瞳孔が開いたかのようにも見えた舞子の瞳。
恐ろしい魔法にかかったかのごとく、彼女の中に『あの記憶』が蘇ったのだ。
「わ・・悪ぃっ・・・今のなし!なし!!」
らしくないオーバーアクションでの否定の素振り。
さすがの敦も、今ばかりはプライドなど二の次だ。
かっこわるい部分を曝け出してでも、なんとか舞子をなだめようとする。
だが、もう遅かった。
「ううん・・いいよ」
それは敦が常日頃から鼻血を噴かんばかりに望んでいた言葉だったが、貰うタイミングが最悪だった。
嬉しさよりも後悔が先に立つ。
だが、舞子の言葉にはその先があった。
「でも・・その前に1つ聞かせて欲しいの・・」
「な・・な、なんだよ?」
「あの・・・さ、すごい変なこと聞くんだけど・・」
舞子は一度視線を逃がし、また戻す。
「高田ってさ・・もしかして、私のこと、好きだったりする?」
「えっ・・・」
それは2日前、はじめから聞いていたはずの内容であったが、今の舞子の記憶からは抜け落ちていた。
「なんか、いつも気がつくとこっち見てる気がするし。あと、一昨日の時とかも・・・」
「あ、いや・・」
「あっ・・い・いいのっ。違ったら気にしないで!単なる自意識過剰・・あはは・・・」
引きつってはいるが、舞子はあの独特の憎めない困り笑いで咄嗟にお茶を濁す。
『私は人畜無害です』
校庭の片隅に立つこの木より、数段上の笑顔。
だが、まさにこれだった。
敦はすぐ目の前にあるこの笑顔を見て、自分の気持ちを再確認していた。
敦が惚れたのは、まさにこの舞子のこの笑顔だったのだ。
『岡本のこの笑顔を守りたい。自分だけのものにしたい』
それが敦の最も純粋な想いの形だった。
「あのさ・・岡本。頼むから、怖がらずに聞けよな」
「・・え?」
「悪いけど俺、ずっと前から岡本のこと好きだぜ?ヌく時だって、お前以外オカズにしたことねぇしさ・・」
「う・・・・うん・・」
「今のお前にいうのもなんなんだけど・・俺は正直、お前と犯りたい。他の女なんかどうでもいいんだ。俺には岡本だけなんだ・・」
酷く不器用な愛の告白。
それは本当にどうしようもないくらい下品で不器用だ。
だが、舞子に対してなら、それでも十分だった。
「うん・・・有難う」
「で・・でもな、それとこれとは別。ともかくさっきのはなしだから!」
「ううん・・いいの」
そういって彼女が見せた笑顔は、少しだけ安らかなものになっていた。
「高田、エッチしよ?」
その瞳には優しさの裏に秘めた強さ。
か弱くも確かな輝き。
それは何かの決意の輝きだ。
「・・む、無理すんじゃねーよ!お前、怖くねぇのかよ!」
「――怖いよ。でも、今逃げると・・ずっと勝てない気がする。もうエッチな本を見てにやけることも、エッチな想像をしながら・・その、オナニーとか・・することも、できなくなっちゃう・・」
「お・・岡本・・」
「私ね、本当はすっごいすっごいエッチなんだよ。もうね・・なんというか、救いようがないくらい・・いっつも、変なことばっか、考えてる・・でも、さすがに今はそれをするのも怖くて・・それに、何より、この先もう二度とできなくなるんじゃないかと思うと、もっと怖くて・・」
「あ・・ああ・・・」
「だから・・高田が私のこと、好きだっていってくれるなら・・『一緒に』エッチして欲しいの・・一方的に犯すんじゃなくて・・なんていうか、一緒に・・みたいな・・・・・・ダメ?」
「い・いや・・・ダメっつーか・・むしろ全然嬉しい。そ・・それこそ、どれくらい嬉しいかと聞かれたら、日本の人口半分くらいになるまでに減らして『このくらいだ』って答えるぜ・・俺は」
『あはは』と笑う舞子の胸の奥には、未だどす黒い記憶が張り付いている。
体の震えもとれてはいない。
だが、自ら恐怖に立ち向かい、克服しようとする強い意志ははっきりと生まれていた。
「じゃあ・・」
舞子は敦の手を取る。
そして、それを自分の左胸に押し付けると、上から一緒に揉ませて見せた。
「・・決まりだね」
敦が思わず向けた視線の先。
そこには沙弥とはまた違う、内面的な深い美しさを纏う舞子の姿があった。
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