□ Page.6 『絶交』 □

 

その日の夜、神社から少し離れた農道を、ママチャリに乗り颯爽と行く舞子の姿があった。
もうすっかり暗くなっているというのに暑さは一向に引かず、時折舞子の肌を珠の汗がこぼれては落ちている。
だが、それでも常に向かい風がある分、歩くよりはだいぶましだった。

ところで、ここは舞子の家からは歩いて20分以上かかる場所。
何故、彼女がここにいるのかには2つの理由があった。
1つめは、父親に頼まれた買い物。
こちらはもう済んだ。
自転車のカゴには小さなビニール袋と一升瓶がつめこまれている。
2つめは、今日沙弥に借りた下着の返却だ。
今日、学校から帰ってすぐに洗濯したのだが、この熱さの中、もう乾いてしまったのだ。
商店街に向かう途中、一度沙弥の家に寄ったのだが誰もいなかったので、帰り道にもう一度寄ることに決めていた。

(沙弥、戻ってるかなぁ)
平坦な農道の途中にある沙弥の家。
それが視界に入る場所までやってくると、舞子は1つ溜息をついた。
家に灯かりがついていない。
それは沙弥どころか氷川家の家族が、誰一人としてそこにいないことを物語っている。
(ま、急ぐことでもないし、明日返すかな・・)
舞子は仕方なく、再び自転車を漕ぎ出す。
だが、それから3分と経たない内に再びブレーキをかけた。
視線の奥にあるのは、田んぼを1つ挟んだ奥の道の上に白の派手なオープンカーだ。
しかし、舞子の眼を引いたのは車ではない、そこから降りてきた人間だった。
(・・・沙弥?)
その沙弥らしき制服姿の少女は、3人の男性と一緒に車を降りてくる。
しかも、男たちは見たところ皆大学生か社会人といった年頃に見える。
(・・・その人たち、誰なの?)
沙弥と3人の関係が気になった。
会話こそ聞こえないが、どうも身振り素振りを見ている限り、ただならぬ関係に見える。
そう、沙弥と星を見に行った時に見かけた大学生3人組の持つ雰囲気に似ているのだ。
楽しげな会話の中に、舞子の常識からは考えられないくらい自然すぎる男女間のスキンシップ。
(ああ、そっか・・・きっと、あのうちの誰かが彼氏なんだ・・)
そう考えれば、わからないでもない構図だった。
最近、多少そっけなくなってきたのも、きっと彼氏ができたから。
舞子にとっては寂しいことになるが、沙弥を思うならこれは祝福すべきことなのだ。
(・・・あ)
すると、不意に男性の1人が沙弥に近寄り、その唇を奪った。
沙弥もその相手の肩に手を回して応える。
さすがに学校屈指の美少女である沙弥だけあって、年上相手でも全く見劣りしない。
それは、まるでドラマの1シーンのようで、舞子は思わずうっとりしてしまう。
(いいな・・沙弥・・・)
元々、恋愛事情で沙弥に勝てるなどとは夢にも思っていない舞子だが、やはり目の前でまじまじと差を見せ付けられると、劣等感で胸が締め付けられる。
これ以上見ているのも辛いし、単なる覗きに過ぎない。
舞子は視線を手元に戻し、また自転車を漕ぎ出そうとする。
だが、視線だけがそこから戻らなかった。

(・・・えっ??)
俄かに信じがたい光景が舞子の目を釘付けにしていたのだ。
男性1人と抱き合い唇を重ねている沙弥の後ろで、不意に別の男性が手を伸ばし、沙弥の尻を揉むように何度もこすりあげる。
すると、沙弥は抱き合っていた男性から唇を離し、今度は後ろの男性とキスを交わす。
最後の男性がおどけてスネて見せれば、沙弥が今度はその男性の前にひざまづき、その指をしゃぶりあげる。
その異様な行為は、酷く自然に行われていた。
(・・・沙・・弥・・・?)
まず、間違いないのは舞子の読みが完全に外れているということ。
今の沙弥はもっと別の次元、もっと汚れた場所にいるのだ。
(そういえば・・・)
舞子の中に1つの不安の種が浮かぶ。
それは最近、沙弥の金回りがよすぎることだ。

(沙弥・・まさか・・不特定多数の人とお金をもらって・・・・?)
よく知る親友が凶行に走っているかもしれない。
舞子は頭を鈍器で何度も叩かれるような感覚を覚えながら、必死に考えをまとめていた。
自分が沙弥の友達として何をすべきなのか。
だが、何とかその応えにたどり着いた頃には、もう視界からは沙弥も車も男性たちも消えうせていた――


        ▽        ▽        ▽


次の日の朝。
敦はいつもより早く、といっても他の生徒たちと同じくらいの時間に教室に入ってきた。
教室内は何やらざわめいているが、敦は反射的にそれに反応はしない。
落ち着いて教室の後ろにある掲示板の前まで行くと、そこに貼られている新聞の記事に目を通す。

『1年A組大城美穂の下着盗まれる!』
そんな見出しの例の新聞。
だが、中身は昨日のうちに全て知っていた。
被害者はA組では美人の部類に入る1人の女生徒。
昨日の3、4時間目にあった水泳から着替えに戻ってくると、カバンからショーツとブラが消えうせていた。
恐らく、先日起きたトイレの落書き事件に誘発された男子の仕業かと思われる。
大体、そんな内容だ。

しかし、実際はこの事件の被害女子はもう1人おり、彼女が盗まれた下着は敦が持っている。
犯人はこの記事を書いた女子、叶浦はじめであり、その共犯者が自分なのだ。
色事テロの愉快犯であるはじめの側に立って、敦は初めてその妙味を味わっていた。
自分たちの仕掛けにはまり、ワイワイと騒ぐ他の生徒たち。
自分はそれを『舞台裏』という最高の特等席から鑑賞することができるのだ。
何やらうつむき加減に席に座り、少し複雑な表情をしている岡本舞子。
その表情の意味がわかるというのは、何とも陰湿で甘美な悦びだった。

「でも、盗んだ奴もアホだよなぁ〜。見つかったら退学じゃねぇの?」
「いや、まあそうだけどさぁ・・女子の下着盗むって、ある種ロマンだよなぁ」
「あはは、俺もやっちゃおうかなぁ・・」
「うわ、やべ、コイツ男だ!ここに真の男がいる!」
「よっし、吉田。退学になっても俺たちゃ友達だぜ」
「ひでぇ〜っ」
女子に負けじと盛り上がる男子たちの1グループの横。
机に肩肘を突き、それを面白がるように眺めていた敦は、ボソッとこんなことをいった。

「こういうのって、結構続いたりするもんだよな。ま〜たそのうち、誰かがやるんじゃねぇの?」

それを聞いた男子たちの目つきがかすかに変わるのを、敦は見逃さなかった。
『次、同じことが起こってもおかしくない』
そんなことをさらっといってのけることで、その男子生徒たちには次の犯人になるキッカケが与えられたのだ。
ちょっとした思い付きだったが、その反応に確かな感触を覚え、敦は内心でほくそ笑むのだった。


        ▽        ▽        ▽


その日の帰り道。
舞子と沙弥が、いつものように農道を並んで歩いている。

「・・・・・・」
何故か、舞子は今1つ浮かない表情。
つい先程、昨日の下着を返してもらったばかりということもあり、沙弥は舞子の元気がない原因は今朝の新聞だとばかり思っていた。
だが、それが全くの見当違いであり、しかも真相が絶対知られたくない自身のプライベートに関することであろうとは、さすがの沙弥も気づかなかった。

「・・ねえ、沙弥」
「ん?何?」
「・・・昨日の夜、沙弥と一緒にいたあの白いオープンカーの人たち、誰なの・・?」
だから。
不意に舞子がそれを口にするや否や、持ち前の落ち着きぶりはいとも容易く崩れ去ってしまったのだ。
「えっ・・・・・・舞・子・・・今、なんて・・?」
「私昨日、買い物ついでにパンツを返しにいこうと思って、8時過ぎ頃に沙弥の家の近く通ってたんだよ・・その時に、悪いとは思ったんだけど見ちゃったの・・・沙弥、あの人たちは誰なの?どんな関係なの?」
「・・・・・・!」
背筋に冷たいものが走るのを感じ、沙弥は思わず『ひっ』と息を呑む。
冷静、冷淡、知的、常にそんな色合いを秘めていたその眼差しも、その鋭い輝きを失っている。
その取り乱し様は今までにないレベルのものだった。
将棋の試合に例えれば、一手目からいきなり際どい王手を打たれたようなものだ。
こうなるのも無理はない。

「ま、舞子には関係ないことだわ!」
沙弥は感情的な言葉で舞子に牙を向ける。
あろうことか、いきなり下策に出たのだ。
もう悠長に嘘をついている余裕など、彼女にはなかった。
「ねぇ、沙弥落ち着いて。私は沙弥を責めてるんじゃなくて、話をしたいだけだよ」
「・・・・・・」
無言で吐息を荒げる沙弥は、追い詰められた獲物の目で舞子を威嚇する。
舞子はともかく自分まで感情的にならないよう心がけ、言葉を続けた。
「沙弥、昨日の人たちとはどういう関係なの?彼氏・・にしては数が多かったよね?」
「こ・・・答える義務はないわ」
「ねえ沙弥。私と沙弥は親友だよね?ちゃんと、話して欲しいな。その上で、もし心配するような関係でなかったなら、それ以上は何もいわないし、むしろ応援したげるから・・ね?」
「・・・もし、心配するような関係だったら?・・ていうか、舞子。貴方、いったいどんな関係だったら心配するっていうの?」
「・・・え?」
沙弥が苦し紛れに振るった牙の1つが、わずかながら舞子に引っかかった。
何とかして現状を打破しようと、沙弥は考えもなしに攻勢に出る。
「ねぇ・・どうなのよ。舞子が心配してくれるっていうのは、どんな関係のこと?」
「だ・・だから、その・・・例えば、売春・・・とか、そうでないにしても俗にいう乱れた男女関係だったり・・とか・・・・そういうのだよ」
「べっ・・別に乱れてなんかいないわ!」
しどろもどろに答えた舞子の言葉は、決して誘導尋問のつもりではなかった。
だが、完全に冷静さを失っている今の沙弥は、自らそれを誘導尋問に仕立て上げてしまったのだ。
「・・・・・あ」
「沙弥・・」
瞬間、舞子は胸中がズンと重くなったのを感じていた。
『売春』という最悪の予想は外れてくれたものの、大問題であることに変わりはない。
親友の名を呼ぶ声は、落胆のため息と共にこぼれ出ていた。
「わ・・・・・悪い?・・そうよ、私はあの3人とほとんど毎日のようにセックスしてるわ?」
だが、舞子の落ち着きを払った対応は逆に沙弥を追い詰めてしまった。
完全に退路を失った沙弥は、とうとう舞子のいる前方に最後の逃げ場を定めたのだ。
――逆切れというやつだった。
「確かによくお小遣い貰ったりもするけど、別に取引してるわけじゃないから売春ってわけでもないしね」
「で・・でもそれって・・・やっぱり・・」
「もうラブホなんか行き飽きたし、この間なんかそこの茂みでヤッちゃったわよ。もちろん4P、生でね。知ってる?膣内射精させてあげると、男の人って子供みたいに喜ぶのよ?」
「ちょ・・ちょっと・・・そ、そんなことしたら・・・まずいんじゃ・・?」
「別にィ?安全日だけだし心配ないわ?・・・・ふん、何よ?羨ましいなら羨ましいって素直にいったらどうなの?」
「違う・・・絶対、沙弥は弄ばれてるだけだよ!」
「ふん・・嫉妬ね。いいわ、舞子の嫉妬が私には気持ちいいもの・・私は舞子たちとは違う世界にいるんだもの。もっと上の世界にいるんだもの。見下すのって本当に気持ちいいわ!」
もう、それは完全に自傷行為だった。
沙弥は聞かれてもいないのに、知られたくない自らの愚行を次々と口にする。
それは自分がここまで築き上げてきた財産を全て、惜しげもなくどぶに投げ捨てる行為に似ている。
あまりの過激な内容に調子を狂わされかけていた舞子が再び冷静さを取り戻してきた頃、逆に沙弥の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「ふん・・話したいなら、うちの親にでも、学校の先生にでもいえばいい・・・私の幸せを奪いたいなら、根こそぎ奪うといい・・・」
そして、舞子の説得もむなしく、沙弥はとうとう最後の1つまで投げ捨ててしまう。

「もう・・もう、舞子となんか絶交よ!!!!」

きびすを返して走り去ってゆく沙弥の後姿が完全に見えなくなると、舞子は力なく膝から崩れ落ちた。
沙弥の最後の一言に胸の最深部をえぐられ、舞子はあとを追うどころか呼吸すらできなかったのだ。
よかれと思ってした行動が、もしかしたら最悪の選択肢だったのではないか。
人間誰にでも過ちはある、沙弥にしても1つくらいは見逃してあげた方がよかったのではないか。
そんな後悔の念が舞子を内側から満たしてゆく。

「・・沙・・弥・・・・・・・・」
つい先程、沙弥と真正面から向き合った時の勇気はどこへやら。
今ここにいるのは自らの弱さに打ちのめされ、なす術なく泣き崩れる少女の残骸だった――


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