06『 悪夢の追憶 』

 

 『 悪夢の追憶 』







 儂はこの『先見』で予見できた不吉な未来図と、昨夜までに得られた情報の数々を、魔軍でもっとも親しく(向こうは定かではないが・・・)もっとも信頼するに値する人物に持ちかけていた。

「ほぉう・・・」

 光沢を放つ銀色の仮面に「魔軍壊滅」の予告(あくまでもその可能性)を受け、驚きと賞賛の響きが洩れた。



 儂と同じ『魔軍四天将』の座にあって、魔軍全体の頭脳ともいうべき存在でもあり、魔軍司令の肩書きも持つ男の名を『ヴァーミリオン』という。



 基本的に『魔軍四天将』同士は軍事的な立場上においては同格であり、それは現在の魔軍総帥である『魔帝』も同様である。『魔軍四天将』に命令できるのは、後にも先にも唯一に、魔軍の最高位『魔王』の座にある人物だけに限られているのだ。

 だが、このヴァーミリオンの持つ肩書きは・・・「魔軍司令」は、今は亡き先代の『魔王』によって認められたものであり、それは現在の『魔帝』マグラートの代になっても有効のままであった。

 そのため儂らが幾ら妙案を思いついたとしても、このヴァーミリオンの裁可を得られなければ意味はない。

 そう、魔軍司令兼魔軍参謀の異名は伊達ではないのだ。

 『魔帝』マグラートとは臣下の立場を越えた親友同士であり、冷静にして沈着。その外見は常に白銀の全身鎧によって身を包んでいる。

 恐らくは・・・『魔軍四天将』が筆頭の漆黒の騎士、デュランダルに対抗してのものだと、儂なりに察してはいるのだが、その真意は今のところはっきりとしない。



 魔軍は現在、大きく分けて五つの師団に分かれており、それぞれの師団に『魔帝』と『魔軍四天将』が君臨している。

 『魔帝』マグラートの下には直轄部隊の魔帝師団。

 『魔軍四天将』筆頭、魔軍最強にして漆黒の騎士デュランダルと、その漆黒の鎧を身に包むデュランダル師団。

 武闘派集団、獣人族にして最速最強の人狼フェンリルが率いるフェンリル師団。

 儂の妖魔術部隊、ゾエオル師団。

 そして魔軍司令を兼ねる白銀の騎士、ヴァーミリオン師団の五つである。



 ・・・・。



「まず、最初にお尋ねしよう、ゾエオル殿・・・」

 白銀の騎士ヴァーミリオンが儂の名を呼ぶ。

 そこには一切の感情がなかった。

 まさに冷徹なまでに淡々とした声色。

「貴殿のその考えは、まぁ良かろう・・・」

 ほっ。

 魔軍参謀からも一定の理解を得られたようだった。



「しかし、その貴殿の立案は、あくまであの方に対抗しよう・・・貶めようとしてのものではないんだな?」



 同時に儂はギクリっ、とした。

 そして同時に、さすがは魔軍随一の切れ者。

 鋭い、とも・・・



 基本的に協調性が乏しく、むしろ反目・・・敵視し合っている『魔軍四天将』の中でも、ヴァーミリオンはおよそ中立派と言って差し支えない。だからこそ他の四天将は彼を信頼し、『魔帝』マグラートも彼を重用している理由の一つではあった。



 ・・・・。



 確かに儂の立案した戦略は完璧ではない。

 後の『勇者』であるエリス、そしてレティシア皇女を存命させる、ということは、魔軍壊滅の危機を未だに含んでいることでもある。

 また例え儂の立案した戦略が上々の首尾を迎えた・・・としても、一番のデメリットを被るのは、間違いなく『魔軍四天将』筆頭のデュランダルであっただろうし、事態の推移によっては『魔軍四天将』の座から失脚もしかねない危険性も確かに孕んではいた。

 それは魔軍最強の失墜を意味する。



 基本的に『魔軍四天将』同士の反目姿勢も、魔軍全体に差し障りのない程度には静観、黙認の姿勢を崩さないヴァーミリオンではあったが、さすがにその一点が彼の最大の懸念材料であった。



「し、しかし・・・」

「しかし、このまま手を拱いていても、魔軍壊滅・・・の危機があるのも、そのまた事実か・・・」



 確かに難しい問題ではあったが、最優先とするべきは、儂の『先見』によって得られた「魔軍壊滅」という、その最悪な事態の回避には違いなかった。

 それに比べれば、他の問題も些細なものではあろう。



 ・・・・。





「で、ゾエオル殿・・・

 もう一つ、お尋ねしたい」



 改めてヴァーミリオンが儂に尋ねてくる。



「その神聖婚、とやらは・・・

 本当に成功するものなのか?」



 その質問を受けながら、それも無理はない、と思った。

 これまでに『神聖婚』が成立できた成功例は一度だけ。しかもエクリプス大陸の創世記、神話時代にまで遡らなければならない。

 先代の魔王の代から魔軍に仕えているヴァーミリオンでさえも、彼が生誕する、ずっと以前の出来事なのである。



 ・・・・。



 それ以前から・・・そしてそれ以降も、数えきれない組み合わせが、『神聖婚』の再現を試みたものであったが、その全てが失敗。

 全てが徒労に終わっている。

 ・・・・。

 そもそもからして間違っておるのだ。

 場所も、時も、そして・・・人も。

 誰もが容易に、簡単に成立できる儀式なはずがなかろう。



 ――一対で一神を作り出そう、という儀式なのだから。







 よく成功には三つのものを揃えろ、という。

 まさにそれは『天の声』『人の時』『地の利』である。

 それは『神聖婚』においても変わらない。

 だが、そのうち最初の二つの条件が特に難しいのだ。





 まず比較的一番容易な『地の利』から説明さすれば。



 先にも述べたように『神聖婚』という儀式は、天上の神々にも影響を与えるほどの儀式であり、場所が何処でも良いというわけがない。それが現在は名を変えて、建物の形や姿を変えたとしても。

 その本質は決して変わっていないのだ。

「・・・・」

 ただ問題は・・・タイミングじゃなぁ。

 エクリプス大陸の神々が祀られた大神殿跡地・・・故に魔や闇に属する陣営には、ちときつい難所にあるが故に、これはヴァーミリオンの智謀に期待するしかあるまい。





 次に『人の和』じゃな。



 伝説の指輪が最低条件で必要不可欠だった。

 指輪を填めれば誰でもいい、というはずもなかった。



(う、嬉しいよぉ・・・

 ヨーゼフ、ありがとう・・・)



「・・・・」

 それと指輪を填めたときの感情も大切だった、な。

 そして指輪を填める人物の能力、素質なども問われることになろう。

 そして結ばれる相手との相性・・・性格は無論、肉体的にも遺伝的にも。神々に披瀝する愛し合う度合いにも成否は問われ、これらの条件をクリアできた組み合わせは、これまでにも一握りにも満たない。





 最後に『天の時』じゃ。



 この『神聖婚』においては一番の難しいところは、儀式の間に花嫁が身籠る必要がある・・・つまり、排卵していなければならないところじゃなぁ。処女であることと、そして同時に受胎できるタイミングでなければならないのだ。



 これらの条件を全て揃えて、初めて・・・『神聖婚』は成立する。そして成功させた前例はたったの一度だけ。

 儂が『先見』で予見できた出来事も含めても、二つの事例だけしかない。

 はん!

 それほどまでに『神聖婚』の成立とは相当に難しいものなのじゃよ。





 ・・・・。



 だが、儂はヴァーミリオンに向けて断言する。



「・・・神聖婚は成功する。

 そうさな。論より証拠としては・・・実際に、

 先見でエリスとレティシア皇女が成功しておろう?」



 この先に起こり得る出来事を証拠とするのは少し妙なものだが、儂は断言をもってヴァーミリオンに確約した。

「ふむ。神聖婚か・・・」

「そうさな・・・簡単に説明をさすれば・・・」



 神々にも祝福された、結婚婚儀、ということになろうか。



 それは従来の、人間たちによる結婚とは大きく異なり、法的に拘束されるものではない。一種の儀式と言って過言ではなかった。ただし一度、『神聖婚』が成立すれば、世界には大きな恵みを与えることになる。





 これまでにも、たったの一度しか成立をみていない『神聖婚』の成功例を。

(ティア・・・)

 儂はかつての神話時代における、唯一の成功例を・・・

 苦々しい記憶でしかない、それを思い浮かべていた。







 ・・・・。



 当時の儂は人間であり・・・名をヨーゼフといった。



 エクリプス大陸の神々を祀った神殿の神官長を務め、溢れんばかりの才能とそれを活かす実績の機会にも恵まれていた青年だった。このまま順調に数年もたてば、神殿の最高位である大神官の地位も夢ではない、と噂されたほどに。



 そんな将来を嘱望されていた儂は、神殿育ちの王族であるヴェンツェル(当時は)王国だった、幼い第七王女と恋仲となった。

 彼女の名をティア(13)

 後のヴェンツェル皇国の皇族につく敬称の『ティア』ではなく、彼女の名前それ自体が「ティア」なのである。

 もっとも歴史の紐を解けば、彼女の名前それこそが、その敬称の由来ともなっているのではあるが・・・





 ティアは神殿で生まれた。

 当時の国王が神殿主催の催しの折、酒宴の席において無垢な修道女にお手を付け、身籠らせた結果に生まれてきたのが彼女である。

 まぁ、王族や貴族らに良くある話じゃなぁ。

 ただ・・・当時の宮廷内における王妃の権勢は根強く、更に運が悪いことに、先日・・・寵姫の一人が第六王女を出産したばかりのことだった。

 王妃に頭の上がらない国王にとっては頭痛の種である。そこに同情する余地は全くないが・・・

 ・・・・。

 そこに助け船を提供したのが、神殿の大神官――国王と大神官は机を並べて学んだ間柄――であり、大神官はティアを神殿の修道女の娘として引き取ったのである。

 そしてティアが九歳を迎えたときに生母を亡くし、国王は王妃の実家が没落したのを契機に彼女を第七王女として認知して、以降彼女は一年の半分を王宮で、一年の半分を神殿の修道女として過ごしていく。



 儂はそれ以前から彼女だけに夢中となっていた。

 歳が一回り以上も異なるにも関わらず・・・

 恥や外聞なども一切気にも留めず、気にもならなかった。

 そう、懸命に幼い彼女を口説いていた。

 彼女の心が得られるのなら、全てを失ってもいいほどに。



 まさに儂の知る限りの絶世の美少女であった。

 ・・・・。

 あ、いや、

 さすがにレティシア皇女には敵わんわなぁ・・・

 うぐぐぐぐぅ・・・

 わ、儂のティアが・・・うぐぐぐぐぅ・・・

「・・・・」

 ティア、すまぬ。

 ・・・・。

 ・・・嘘は吐けんし、さすがにあれは相手が悪過ぎるわ。



 ・・・・。

 それはさておき。



 その弛まぬ努力が実を結んで、儂はティアの心を射止めることに成功した。その成功の一つには、彼女が神殿で生まれて、物心がつくよりも前から、彼女の世話を焼いていたことにも起因するかもしれん。

 ふぉ、『先見』を用いた光源氏作戦じゃ・・・





 神殿の誰もが花も恥じらうほどの彼女の可憐さに胸を高まらせ、儂との関係を羨ましがりつつも祝福してくれていた。

 そんな折、儂とティアの結婚話が王宮から持ち上がった。

 十三歳となったばかりの王女に、三十代後半の儂。

 無論、ティア自身が父王に強く哀願してのこと。

 そして国王と大神官による協議の結果・・・ティアとの結婚は神殿総出による『神聖婚』によって祝おう、という運びとなり、神殿の神官たちは揃ってその提案を絶賛した。

「・・・・」

 儂には周囲の思惑が明白である。

 『神聖婚』とは詰まるところ、公然の場での性交・・・まして花嫁は王族であり、当時の風習からも婚前交渉は御法度の世界。神殿の誰もが絶世の美少女でもあったティアの、破瓜で苦痛に歪む表情を拝みたいが故に、賛同を示したのが明白であった。

 まぁ、普通の婚儀を行ったところで、ティアが王族である以上は、『床入れの儀』――親類縁者の眼前で性交――が必ず発生するのではあるが・・・



 儂の手の中には、国宝の指輪。

 『神聖婚』を行うための鍵であり、正式名称を『エターナルリング』。それは『永遠に変わらない愛』という、誓いにも似た意味を持っていた。



 儂はティアとの『神聖婚』を断ることができなかった。

 何分、国王と大神官からの要請である。

 国家と神殿。どちらも当時の最高権力者であり、この要請を断って生きていけるほど甘い御時世でもなかった。当時はカルマーン帝国や魔法大国ファイゼル王国もなく、人間の支配する領域に許された国家は、まだヴェンツェル王国だけの単一国家だけであった。



「う、嬉しいよぉ・・・

 ヨーゼフ、ありがとう・・・」



 彼女の細い指に指輪を填めると、涙交じりの眩しい笑顔を向けられる。

 ティアは儂との『神聖婚儀』を受け入れていた。

 『神聖婚』によって愛する人と結ばれることは、当時でも現在でも、最高の理想でもあり、例え『神聖婚』が成立しなくても、『神聖婚儀』に憧れる存在は後を絶たない。

 ティアもその例に漏れることはなかった。

「・・・・」

 かくゆう儂とて、可憐なティアと結ばれることに安堵していたし、彼女と望む『神聖婚』に心躍らせていたのも事実。



 ・・・そう、儂は有頂天だったのだ。

 ティアと結ばれることに・・・

 そしてそれを神殿の皆に見せつけることに。

 彼女を破瓜した証を証明したいがために・・・





 後に悔やむことがあるとしたら、儂はこの時にもっと『神聖婚』について、もっと詳しく調べておくべきだったことだろう。

 いや、悔やむに悔やみきれない、とはこのことか。

 何せ、後日・・・



「見ないでぇ・・・ヨーゼフ・・・」

 指輪が煌めく彼女の手が、大神官の肩から向けられる。





 何せ、後日。



 儂は人間を辞め、自らの肉体に呪いをかけ、ひたすらに魔道の道を・・・外道への道を突き進んでいくのだから。


→ 進む

→ 戻る

神聖婚伝説のトップへ