行間話【 残酷 】(視点・内藤初音)
私の誕生日に合わせて、課長との結婚式の準備が恙なく進行していく中、父様にお願い(脅迫)して制作して貰ったウェディングドレスが完成し、初めて身に纏ったときのことであった。
「どう・・・・かな?」
「うん、姉ちゃん。本当に綺麗だよ・・・・」
その私の付き添いとして来てくれた弟の和人が、披露した私の花嫁姿を褒めてくれた。
「えへへへ、ありがとう。和人」
本当は父様や、そして夫になってくれる課長にも、前もって見て貰いたかったのだが、父様は父様で相変わらず多忙な日々を送っている。むしろここ最近の、頻繁に琴乃家に出入りしてくれたことのほうが珍しいぐらいなのだ。
壁に設置された時計を見れば、もう間もなく、講学社の定時時刻になろうとしていた。
(そして、課長も今ごろは・・・・)
柴田さんと会ってくるのだろう、と思う。そう思うと切なくなる想いであったが、とても会うなとは言えなかった。柴田さんは私が講学社を退社した後に『課長(正確には専務)付き補佐』の役割を引き継いで、今では絶対に欠かせない戦力となっている。
何より・・・・課長と柴田さんとの間に私が割り込み、課長を奪ってしまった事実には変わりがないのだろうから。
「姉ちゃん?」
「ううん、何でもないよ」
私は頭を振って、深刻な不安を打ち消した。
「僕で良ければ、何でも相談にのるよ?」
「ん・・・・課長も。綺麗だって、思ってくれるかなぁ・・・・って」
「あははは。それなら、絶対に大丈夫だって」
私の不安を和人は笑い飛ばした。
「ほ、本当!?」
課長に結婚をして貰える条件として、私はある誓約を求められていた。そのうちの一つに『いつでも求めには応じる』とある。故に私はそれに応えようとしているのだが、毎晩毎朝・・・・してくれる、というわけではなかったのだ。
確かに身重である私の体調を気遣って、ということもあるのだろう。だが、それを差し引いても少な過ぎるのだ。特に以前、夏休みのころに同棲していたときに比べると・・・・圧倒的に。
故に私は思う。
このドレスを着て、課長に『したい』と思わせることができたのなら、どんなに嬉しいことであろうか・・・・と。
そのとき、和人の護衛者から連絡が入り、弟は私の方に振り向いた。
「んっ、姉ちゃん。姉ちゃんのお客さんみたいだよ?」
「えっ・・・・誰、だろう」
「白河さんだって」
挙式を来月に控えた式場に、講学社の白河社長が訪れてきて、課長との婚約に改めて祝辞を述べて貰った。
「丁寧に、ありがとうございます」
白河社長に答礼しつつ、私は以前から懸念していた思いを告げた。
「あの、白河社長にお願いしたいことがあるんですけど・・・・」
「うん? 何でしょう?」
自分に出来ることであれば、何でも・・・・と確約してくれた白河社長に、私はひーくんの擁護を試みてみた。
私への暴行事件。そんな状況を作ってしまった責任は、私にある。私が一方的に別れを切り出して、彼を追いつめてしまったことに変わりはないのだ。
「なるほど・・・・」
「お願いします」
神崎和馬の娘として言えば、親の権威を利用する生意気な小娘でしかないだろう。私自身は講学社の学生アルバイトに過ぎず、相手の白河社長はまさに雲の上のような存在なのである。
それでも・・・・
「解かりましたよ」
その甲斐もあって、白河社長は寛大にも私の言葉を受け入れてくれた。今の軟禁された状態を解き、全ての処罰が無効にされた。さすがにすぐ講学社ビルに復帰させることは不可能であったが、彼ならきっと再スタートして、立ち直ってくれることだろう。
そう、きっと・・・・
「琴乃くん、ごめんな・・・・」
課長の・・・・私の夫になってくれた人の腕を掴みながら、この人が何を言っているのか、何に対して詫びているのか・・・・私には解かっていた。
謝る必要なんて・・・・ないのに。
神父から結婚の誓いを問われたとき、課長は逡巡したように沈黙をした。恐らくは後悔とか、色々な葛藤があったのだろうと思う。それが解からないほど、私は子供じゃない。
そして、その課長の沈黙こそが一つの事実を物語っている。
課長はあくまでも、身籠らせてしまった責任を痛感して、こうして私と結婚をしてくれるのである、と。
「課長ぉ〜〜・・・・もう、私は、琴乃じゃありませんよぉ!」
でもね。それでもいいのぉ!
課長の妻になれる。それだけで私は嬉しかったのだ。
その夫となってくれた課長が、こんな私に望むこと。
私がそれを果たせられる限り・・・・
そう。私が課長の赤ちゃんを・・・・
私は荒々しく、騒がしい救急車の中で泣き叫んでいた。既に真っ白だったウェディングドレスは腹部を中心に赤く染まっている。麻酔が効いているのだろうか、痛みは全く感じられないが・・・・それだけに不安だった。
私の身はどうでもいいの。
お腹の中の生命さえ無事なら、私は・・・・
(・・・・お願い・・・・)
私は、私は・・・・どうでも・・・・
だから・・・・
「・・・・」
私が再び意識を取り戻したのは、課長が運び込まれた同じ病院の、病室にあるベッドの上であった。意識を失っている間に日付が替わり、結婚式からその翌日となる正午のことだった。
「こ、ここは・・・・」
「は、初音!?」
「初音ちゃん!!」
は、母様・・・・?
それに母様とは親しい間柄の(正確には父様の愛人たちの中でも)篠原千秋さん、宮森香帆さんがベッドの傍で佇んでいた。
「んっ!!」
私は懸命に起き上がろうとして、腹部に激しい痛みが襲ってきた。
「まだ無理をしちゃだめよ、初音ちゃん」
ああ、そうだっけ。私、ひーくんに刺されて・・・・
・・・・そして・・・・
(・・・・)
激しい違和感を憶えずにはいられなかった。
そこに感じられるはずのものが・・・・今では全く感じられない。課長は見た目だけじゃ解からないよ、と言ってくれていたが、自分の身体のことである。
それだけに・・・・その喪失感が、私に突きつけられた現実を思い知らされる思いであった。
「は、母様・・・・か、課長の・・・・赤ちゃん・・・・」
「・・・・」
意識を取り戻したことで喜ぶ母様たちの表情が、途端に・・・・急激に曇ってしまった。
う、嘘よ・・・・
嘘でしょう!?
私が受けた一撃は、子宮に・・・・課長との赤ちゃんが眠る子宮にまで達しており、その胎児はこの世に生まれることも叶わず、私の身体の中で息途絶えてしまっていた。
私は懸命に頭を振った。
頭を振れば現実が覆ると思っていたわけではなかったが、そうせずにはいられなかった。
「い、嫌・・・・」
課長が私なんかに求婚してくれたのは、私が身籠ったからだ。私が浅はかにも膣内出しを求めて、私の過失で妊娠してしまったのにも関わらず、その責任を痛感して申し込んでくれたのである。
その課長と私を結び付けてくれた赤ちゃんがいなくなれば・・・・
課長が私なんかと結婚をしてくれる、その理由そのものがなくなってしまうのだ。
「そ、そんなの・・・・嫌、嫌あぁぁぁ!!」
「は、初音、落ち着いて!!」
母様が懸命に私の身体を押し付ける。
「私の赤ちゃんが・・・・か、課長との赤ちゃんがぁ!!!」
「初音、落ち着きなさい」
無理。そんなの無理・・・・落ち着いてなんていられないよぉ!!
もはや取り返しがつかない、と解かっていても・・・・いや、だからこそ私は泣き叫ぶことしかできなかった。こんな残酷な現実を受け入れられるはずがなかった。
「初音・・・・それだけじゃないのよ!」
母様が悲痛な思いで私を抱き締める。
そ、それだけじゃない!?
その母様の・・・・不吉とも、残酷ともいえる現実を告げる言葉に、私は途端に唖然とせずにはあられなかった。
「や、弥生!!」
「それはまだ、初音ちゃんには!!」
千秋さんと香帆さんまでが母様に思い留まるよう促したが、母様はゆっくりと頭を振って、残酷な現実を突きつけてきた。
(・・・・?)
「初音、貴女は・・・・」
その残酷な現実を告げなければならない、母様も苦しそうではあった。それだけに私も薄々だが、そして次第に理解せずにはいられなかったのだろう。私も十六歳になったばかりの少女とはいえ、一人の女である。妊娠して出産を希望しておきながら、その子供を流してしまった、こんな状況なのだ。
それ以上に深刻な状況は・・・・そう多くはなかっただろう。
「もう・・・・二度と・・・・」
「・・・・」
私は目を見開き、もうそれ以上、母様の言葉を聞くまでもなかった。
「そ、そんな・・・・の・・・・」
「初音・・・・」
「嫌・・・・いやぁ・・・・」
流産・・・・
生むことができなかった、私と課長の赤ちゃん。
私と課長を結び付けてくれた、未来の希望・・・・
「そんなの・・・・嫌・・・・」
もう子供ができない身体・・・・
ただでさえ、普段から課長を満足させてあげられない、未熟な欠陥のある身体なのに。
「嫌ぁぁぁ・・・・嫌、嫌・・・・」
私はシーツを掻き毟るようにして掴み、離しては泣き叫び、この直面した現実を懸命に拒絶し続けた。認めたくはないし、絶対に認められなかった。
不妊症。それは出産を希望する少女にとっては、もはや絶望を意味する言葉でしかない。大抵の女性は高齢になるにつれて、この運命を迎えるものであっただろうが、私はまだ十六歳になったばっかりで、この現実に直面してしまったのだ。
そしてそれは同時に、まるで課長から離婚通告を告げられるような、その予兆に思えてならなかった。
「は、母様・・・・お、お願い・・・・」
私は嗚咽する。
「絶対に・・・・課長には、し、知られたくないの・・・・」
『それじゃぁ、課長が結婚する相手に求めるものって何ですかぁ?』
『そうだね・・・・もう歳だし、多くは望まないけど、たった一つだけ。自分の子供を産んでくれる人かな?』
もう私には、それが果たせられない。
出産した後にも、課長だけの子供を身籠ります、と誓約したあの誓いも、もう果たせる日は永遠にこない。
「知られたくない・・・・」
それだけに課長には知られたくはなかった。
課長とは別れたくはない、余りに・・・・
「お願い!!! あの人には言わないでぇぇぇぇ!!」
醜い女だとは思う。
課長とは別れたくない、それだけに、私は母様に黙秘を求めたのだ。まだ流産だけに留められておければ、私の身体にもまだ未来がある。そう思わせることで、まだ課長の傍に・・・・また課長に抱かれることが許されるかもしれないだろう。
それは愛する人を騙すことになるのかもしれない。
それでも、私は・・・・懸命に、縋るように母様に同意を求めた。
「初音・・・・」
「初音ちゃん・・・・」
私の哀願に母様たちは顔を背けた。
もう課長にも知られてしまったのか、と絶望しかけていた私であったが・・・・私はまだこの時点で、現在置かれているその最悪な状況を全く理解できていなかったのだ。
そう。
私にとって残酷なる現実は、これだけに留まらないのだから。
「えっ・・・・?」
《ピッ・・・・ピッ・・・・ピッ・・・・》
心臓の鼓動に合わせて反応する電子音。
「そ、そんな・・・・」
刺された腹部に付きまとう鈍痛も、今は沈痛剤によって和らげられ、私は隣室の集中治療室・・・・父様の手配によって隣室となった課長の病室に足を運び入れていく。
「・・・・」
手術のそれ自体は成功をしたのだが、峠はまだ越えてもいない。つまり、課長はこの病院に運び込まれてから、未だに一度も意識が回復していない、まさに重体の状態であった。
父様の依頼によって、数人の医師と看護婦が交代制で付き切り、なんとか持ち堪えてはいるものの、今も予断を全く許されない状態であり、そんな最中に私の入室が許可されたのは、それだけ今の状態が危ういことのそれ以外になかった。
私は課長の手を取って握る。
その愛する人の手を取って、私は懸命に詫びていった。
ご、ごめんなさい・・・・
私・・・・赤ちゃん・・・・
課長の赤ちゃんを・・・・
頬を伝って落ちた涙が、握りしめる課長の手に落ちた。
《ピッ・・・・ピッピッ・・・・ピッピピッ・・・・》
電子音に変化が起きた。
私が手を強く握り続けたこともあり、課長の意識が戻ったのだろう。付き切りの医師や看護師、看護婦さんたちにも、驚きと安堵の入り混じった表情が浮かべられた。
「・・・・」
「えっ、なぁに?」
意識が戻ったばかりとあって、課長の声は良く聞こえない。
辛うじて唇が掠れる程度のものでしかなかった。
「・・・・」
無事で・・・・良かった、って・・・・
確かに私の身体は・・・・母体のほうの私は命を取り留めた。
薄く開けられた目には、私が課長の赤ちゃんを流してしまった事実までは理解できようであった。
それだけに、次の課長の言葉が私に重く圧し掛かっていく。
「・・・・」
思い残すことは・・・・ない、って・・・・
そ、んな・・・・
《ピッピピッ・・・・ピッピピピッ・・・・ピッピピピピ・・・・》
慌ただしい波形の変化に、医師や看護師たちの表情が一変していく。が、そんな周囲の急激な変化や喧騒が耳に入らないほど、私は一心に愛する人の手を握り続けた。
「そ、そんなこと・・・・」
そんなことを言わないでよぉ。
やっと、やっと課長と一緒になれたんだよぉ・・・・
「・・・・」
「そ、んな・・・・こと、言わないでぇよ・・・・」
課長の手を強く握り締める。
い、嫌だよ。
し、死なないで・・・・
「お、お・・・・願い・・・・だから・・・・」
私を置いて逝かないでぇ!!
もう課長と結婚できなくてもいい。うん、すぐに離婚を求められても構わない。私なんかと結婚してくれる、って言ってくれたそれだけで、私は幸せだったから。
もう子供もできない身体だから、SEXもして欲しいなんて我侭も、もう言わないよぉ? もう言わないからぁぁぁ!!
傍に居させてくれるだけで、いいから。ねぇ?
時々、でいいから。傍に居てくれるだけで・・・・
「ねぇ?」
私は涙声で課長に問いかけた。
私の願いを察したのか、課長もかすかに笑った・・・・ようだった。
だが・・・・
《ピッ―――――――――》
映画やドラマでもよくあるシーンだった。
無機質な電子音が一定化する。
それの意味するものは・・・・たった一つでしかない。
「・・・・ぁ・・・・」
私はゆっくりと頭を振った。
「い、嫌ぁ・・・・」
溢れる涙で視界が歪む。
嫌・・・・
い、嫌・・・・
そ、そんなの・・・・嫌ぁ・・・・
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァ!!!!」
広大な病院の全域に響き渡りそうな、私の凄まじいまでの絶叫が、課長の病室から発せられる。
結婚して、僅かに一日・・・・
私が生涯で愛した、私の夫となってくれた内藤仁の心臓が・・・・その活動を停止させた。
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