第二章【聖女散華】

(6)

 かつてイズミは、格闘家・・・・・・つまり、モンクとして名を馳せた一時代があった。確かに大柄な体躯と、人並み外れた膂力を兼ね備えていた彼の前に、数多くの戦士が屈み伏せた。
 その一場面に居合わせた、ムラサなる神官の目に留まり、パッフィー姫の母であるマーリアの仲間に加わる。だが、当時の彼は、自分の力量に過信している傾向があり、そしてそれは・・・・・・対魔王ウォームガルデス戦において、最悪の結果を招いてしまうのだった。
 本来、対ウォームガルデス戦は、マーリアの世代・・・・・・つまり、初代勇者ラーサーの時代で終止符を打つ事が可能であった。それだけの戦力は整えてあったし、彼らにもその自信があった。
 だが・・・・・・


「遅れておるぞ、イズミ!」
 魔王の執拗な追撃に、急遽、彼の機体は減速して一行から残った。明らかな作戦無視に命令違反であろう。だが、彼には・・・・・・如何に魔王ウォームガルデスとはいえ、既に先の戦闘で傷ついている。手負いの魔物如きに遅れをとるつもりはなく、勝算もあった。
 もっとも彼の中だけ、だが・・・・・・
「クッ、放っておけ!」
 ラーサーが激昂した。
 さすがの勇者ラーサーも、たび重なる彼の過信には、ほとほと困り果てていた。多少の手傷を負わせても、相手は恐怖を司る魔王ウォームガルデスであり、その相手の余力をも見極められないとは。これ以上の損害は作戦に・・・・・・ひいては魔王打倒に響きかねない。
 突如、反転し反撃していたカザック(当時、イズミの機体名)の一撃を、魔王は無造作に平らげる。ラーサーの見立て通り、如何に傷ついても尚、魔王ウォームガルデスには余力があり、その彼の認識の正しさを証明する結果だった。
 カザックの一撃を弾き、この無謀で浅はかな男を巨大な瞳が捉える。
「う、うわっ・・・・・・」
 イズミは己の死を覚悟した。
 だが、魔王ウォームガルデスが振り下ろした恐怖は、イズミに・・・・・・ではなく、その彼の援護にまわったムラサに振り落とされる。
「ああっ・・・・・・」
 イズミは蒼顔した。
 若さが過信を生み、過信が慢心を生み、慢心が悲劇を生んだその瞬間だった。彼は・・・・・・いや、一行にとっても、取り返しのつかない出来事だった。
 対ウォームガルデス戦の要だった神官ムラサの戦死は、勇者ラーサーの一行にとって、魔王ウォームガルデス打倒の断念を意味する。
 たった一人の・・・・・・イズミの軽挙な行動によって。
 ここまで辿り着くのに、多くの戦友を失った。犠牲を払ってきた。厳しい激闘を潜り抜け、アースティア全ての希望と願いを一つに集められた、期待された勇者たち・・・・・・
 彼は荒れ狂ったように、自分の自慢の長剣を魔王に叩き付けた。


 戦後、荒れるラーサーは、決してイズミの軽挙を責めなかった。それはムラサの思いを踏み躙り、そして・・・・・・対ウォームガルデス戦に向けて彼一人に重責を負わせ過ぎた、自分の不甲斐なさと戒めた結果だった。
 この魔王との戦いから生き残ったのは、たった三人。ラーサーとマーリアと、イズミの三人だけ・・・・・・
「ラーサー。私の命続く限り、封印してみせます。いえ、例え私が死んでも、私の一族が護ってみせます・・・・・・」
 可憐にして美しく、まだ幼さを兼ね備えた女性が、ラーサーに告げた。本国に帰れば、自分がどうなる運命にあるのか・・・・・・その過酷な運命を受け入れた、覚悟した者の微笑みだった。
 彼女の背景を知るラーサーには、その決断が痛々しく思えた。
「すまない、マーリア・・・・・・」
 だが、愛し合う彼女の後ろ姿に、彼の独白は風となって消えた。


 マーリアは優秀な魔導師ではあるが、一介の魔導師に過ぎない。封印を次世代に受け継がせる、知識と秘術を持ち合わせていなかった。このままでは彼女の死が、そのまま魔王復活の引き金になってしまうだろう。
 だが、彼女の知る中で、それを可能とできるだろう、思い当たる人物が二人いた。
 一人は無論、彼女の長兄カリウスである。
 だが、長兄が滞在しているパフリシア城より、今一人の人物を先に訪れた事情そのものが、マーリアの心境を物語っているであろう。自分の軽挙から、取り返しのつかない事態を引き起こしたイズミは、マーリアに従いながら、その道中、何一つ語る事はなかった。
「お久しぶりです、ナジー様・・・・・・」
「うむ」
 魔王戦の結末を知っているのだろう。自他共に認めるアースティアの【大賢者】の表情も冴えないものだった。
 そして・・・・・・マーリアがここに訪れた理由をも。
「残念ながら、わしには、封印を次世代に受け継がせる秘術はない」
 人には出来る事と出来ない事とある。それは【大賢者】と崇められるナジーも決して例外ではなかった。確かに魔法と治癒共に、一流の域に到達していよう彼だが、人が【大賢者】と崇められている所以は、あくまで、膨大な知識量においてである。
 故に、これからマーリアが頼るであろう、あの男・・・・・・彼女の兄であるカリウスが、封印を次世代に受け継がせる秘術を持ち合わせているであろう事、そして、引き換えに彼が求めるであろう条件も・・・・・・
 立ち去る二人の後ろ姿を、大賢者は深い溜息を漏らさずにはいられなかった。


 パフリシア王都への凱旋・・・・・・それはマーリアにとって、悪夢のような現実の始まりでもある。
 彼女は城門でイズミと別れた後、別邸にある兄の部屋を訪れた。
 久しぶりの三兄妹の再会にも関わらず、長兄も次兄も、そしてマーリアも素っ気無い挨拶だった。
 封印の話をする前に、まず魔王ウォームガルデスとの戦いの結末を説明する必要があり、一杯のコーヒーと二杯の紅茶を点てながら、次兄カルロスが申し出たのは、その場に漂う雰囲気を察しての事だろう。
「私は席を外しましょうか?」
「不要だ」
 兄であり、実質、三人の父でもある男が断言した。この長兄だけは、外見こそ二十歳の若者に見えるが、意識上では千年以上も生きている化け物だと、彼女には思えてならない。だが、今はその千年以上の時を生き続けている長兄を頼る以外、彼女には術がなかった。
「・・・・・・不可能では、ない」
 説明を聞き終えたカリウスの返答は、短絡に簡潔だった。
「難度が高く、複雑な魔法だが、それほど高度なレベルなモンじゃない。カルロスでも、お前でも、すぐにできるようになれるだろう」
 長兄のカリウスは、自分の意識を次世代に移して、千年以上の時を生きてきた人物である。当然、封印を他者に受け継がせる術など造作もない事だろう。
 コーヒーを啜って、唯一の問題点を指摘する。
「・・・・・・ただ一つだけ、問題が無くは、無いが・・・・・・」
「封印を受け継ぐ者に、魔力の素質が問われる訳です、ね?」
「!?」
(思考を合わせたのだろうか?)
 さすがに二人の兄が唖然とした。
 唯一にマーリアだけが知っていた、この双子の特殊能力・・・・・・長兄でさえ、予想していなかった産物という。
「その点に関しては・・・・・・心配は無用です・・・・・・」
 マーリアは躊躇いながら、決断したように兄に語る。
「封印を受け継ぐのは、私の・・・・・・子供ですから・・・・・・絶対に・・・・・・」
 不思議と涙が頬を伝う。この兄の別邸に足を踏み入れた、いや、祖国に凱旋した時点で、覚悟していた事だったが、覚悟して決断した事と、想いを胸に秘めて兄に抱かれる、やるせない気持ちは別物だった。
「ま、魔力は保証されて・・・・・・いるので、しょう?」
 故に長兄は、パフリシアの血筋の系譜に生き続けている。
「はっははははは・・・・・・」
 マーリアの意思表示を受け取って、長兄は嘲笑した。妹の辛辣な反撃を即座に見抜いたのである。
 妹は兄の欲望に・・・・・・パフリシア・カリウスの血脈を受け継いだ唯一の女体を求めていた事実を、旅に送り出す前から、気付いていた。そして、封印を宿して祖国に凱旋する。兄に犯される事を覚悟して・・・・・・
 カリウス・パフリシアの血脈を受け継ぐ子供たちは、長兄が千年の歳月を生き続ける事を可能にする、優秀な魔導師としての保証付きである。それはカリウスとマーリアの兄妹による、近親交配によって生まれる子供も例外ではないだろう。
 そこで、もし、マーリアが男児を生んだ場合・・・・・・
「面白いな、その復讐は・・・・・・」
 マーリアの復讐は賭けだ。
 彼女が長兄の男児を産めば、長兄こそ次世代の封印所有者である。千年の歳月を経て、新たに厄介な魔王の封印を背負っていくかも知れない、その滑稽な光景を思い浮かべて、カリウスは苦笑を禁じえなかった。
 静かにカルロスが隣室へ退出していった。

 後にマーリアは賭けに敗れる。
 彼女はパッフィー姫を出産の後、長兄にまた犯され、体調不完全で早逝してしまう。長兄カリウスに封印を押し付ける・・・・・・という、彼女の目論見は、長兄の手によって途絶えられてしまう。
 だが、その封印を受け継いだパッフィー姫は、勇者ラーサーの一子、アデュー・ウォルサムとの出会い、魔王ウォームガルデスを激闘の末に打倒するのである。
 ラーサーとマーリア。想い合った二人の夢が、まさに彼らの次世代が受け継がれ、親の成せなかった夢を実現させるのだった。


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