その10



 ミレルとカイルの交わり、それは意外な形で断たれることになった。
 長年の敵対国ラフランドが、前回の敗北に懲りずに再びドレッド国に兵を向けてきたのだ。
 非常事態を宣言し、挙兵の宣言をするドレッド王ガリウス。
 しかしながら、貴族や重臣達には戸惑いが多かった。
 前回の戦いはドレッド国の圧勝に終わり、ラフランドが少なからず疲弊していたのを皆が知っていたのである。
 その為、戦に対しての備えは無く、兵士の動員が遅れることとなった。
 主導権は、完全にラフランドに握られてしまったのだ。
 劣勢を挽回する為には、誰かが一隊を率い、とりあえず時間稼ぎをする必要があった。
 ドレッド王ガリウスはその役を、自らの長子であるカイルに命じた。
 かくして王国第一連隊を率い、カイルは出陣することになったのだ。


 城の中にあるカイルの執務室。
 その中でカイルは、不機嫌そうな表情を浮かべて椅子に座っていた。
 傍らにはローザが立っている。
「座ったらどうだ、ローザ」
 不機嫌そうに椅子を勧めるカイル。
「いえ、結構ですわ。お話、短く終わりそうですし……」
 肩をすくめ、答えるローザ。
「まずいことになった」
 吐き捨てるようにいうカイル。
「国境線の貴族は皆、酒を飲んでイビキをかいて眠っていたようだなっ!」
 怒りの雄叫びをあげる。それはカイルには、まったく相応しくない姿だった。
「そうとう追いつめられておいでのようですわね?」
「ああ」
 ローザの言葉に、短くこたえるカイル。
「今度ばかりは、……負けるかもしれない」
「本当に?」
 心配そうに問い掛けるローザ。
「ああ。この国が無くなるほどのことはないが、僕が負ける可能性は大いにある」
 真剣な表情でつぶやくカイル。
「最悪の場合、帰ってこれないかもしれない」
 その言葉に、ローザの眉が跳ね上がる。
「ミレルのことを頼む。お前に頼むのはなんとなく嫌な気がするが……」
「あら? 心外ですわね」
 皮肉な口調で答えるローザ。
 それをカイルは完全に無視した。
「それでもお前しか頼むものがいない。受けてくれるか?」
「ええ、よろしゅうございますとも、カイル様」
 カイルに深々と頭を下げるローザ。
「とにかく、僕は取り急ぎ戦の準備を整えなければならない。すまないがよろしく頼む」
「はい、わかりましたわ」
 そう言った後で、しばし考え込むローザ。
「……なんだ?」
「カイル様、兵糧は多めに持っていった方が宜しいですわ」
「なぜだ?」
 訝しげな表情をするカイル。
「出来れば、三月分ぐらい持って行かれればよろしいかと」
 カイルの問いには答えず、そのまま頭を下げ、退出しようとするローザ。
「ローザ!」
「わたしの忠告、お忘れなきよう」
 カイルの呼びかけを無視し、ローザは部屋を立ち去った。


 大量の兵糧を持ち、王国第一連隊が出発したのは翌日の事だった。
 カイルの行動にいぶかしげな表情を浮かべる王国の廷臣達。
 そもそも時間稼ぎの為の出陣である。
 兵糧を多量に持っていく必要はない。
 廷臣達はその事を疑問に思いながらも、それでもカイルの今までの実績から、取り立てて批判をすることなくカイルを見送ったのだった。


 カイル出陣の報は、ローザの口からミレルに伝えられた。
「えっ、……にいさまがいくさに?」
 驚きの表情を浮かべるミレル。
「ええ、今度ばかりは……カイル様も」
 沈んだ口調でミレルに告げるローザ。
「そ、そんなぁ!!」
 愕然とした表情を浮かべるミレル。
「そ、それで戦況はどうなのですっ!」
 ミレルの顔に、『姫』としての表情が浮かぶ。
「まさか、ラフランドの鉄騎騎士団が出てきたなんてこと……」
「カイル様の相手は、まさしくその鉄騎騎士団ですわ」
 ミレルの顔から、一気に血の気が引く。
「そ、それでは、……王国近衛騎士団はいくつ派遣されたのですっ? 少なくとも四連隊以上は派遣されたんですよねっ?!」
 悲鳴に近い問いかけをするミレル。
 沈んだ表情で首を振るローザ。
「カイル様の連隊、ただ一つですわ」
「…………そんなっ……」
 ローザの言葉に、打ちのめされるミレル。
 言葉を失い、虚ろな瞳を浮かべていた。
「こうしてはいられないわっ! とうさまに、にいさまを助けるようにお願いしないと!!」
 思わず駆けり出そうとするミレル。しかし……
 次の瞬間、ミレルは床に転び、地面に這いつくばった。
 ミレルの足首には足輪をはめられており、そこから伸びた鎖はしっかりと床のリングに固定されていたのだ。
 凶暴な視線で鎖を見つめるミレル。
 次の瞬間、その視線をローザに向けた。
「解放して! いますぐっ!!」
 ミレルのサファイアグリーンの瞳が、紅色に染まる。
「もう、逆らわないから。どんなことでもするから! とうさまに言いつけたりしないし! 用件が終わればまた戻ってきて、ここに繋がれるからぁ!!」
 死に物狂いで叫ぶミレル。
 半狂乱なその姿を、……ローザは冷静な視線で見つめていた。
 すごいわね。……ここまでカイル様を慕ってるなんて。ある意味、異常だわ。いったいカイル様とミレルの間に何があったのかしら? 実に、興味深いわねぇ……
 内心つぶやくローザ。
 でもこれならば、『あれ』は成功するわ。確実と言っていいと思う。今までの被験者の中でも極上といってもいいわ。いえ、理想的と言い切ってもいい!
 ローザの心に、純粋な歓喜の表情が沸き起こる。
 しかし表情は変えず、あくまで暗い表情と、沈んだ口調で語りかけるローザ。
「無駄ですわ、ミレル。国王陛下にも動かせるだけの兵士がいないのです。この国の貴族にも、重臣達にも、カイル様を救うことは出来ない。……もちろんミレル、あなたにも」
「ああっ……」
 ローザの言葉に、絶望感に覆い尽くされるミレル。
 そんなミレルの姿を舌なめずりしながら見つめた後、ローザが決定的な一言を放った。「あなたが女の子だったら、カイル様もここまで追いつめられることはなかったのに!」「……えっ?!」
 愕然とした表情を浮かべるミレル。
「あなたが女の子だったら、今頃カイル様はあなたを婚約者という形で手に入れることができ、リーフシュタインの力のほとんど全てを、手にすることが出来ていたはずなのに!」
「あっ……」
 ミレルの顔に、自虐の表情が浮かぶ。
 そう、……自分を責めるのよ、ミレル。男である自分を責めて責めて、責め立てるの!
「本当にカイル様はお優しい方ですわね。なんの利益にもならないあなたを飼っている。本来なら他国の姫をもらうとか、有力な貴族の娘を娶るかしてその地盤を固めるのですけれど、カイル様はあなたを好きなのでしょうね。……そうはしなかった。そのツケがいま、まさにこのような形で出てきているのよ」
 その言葉に、完全に打ちのめされるミレル。
「わっ、わたしのせいなのっ? にいさまが危機に陥っているのはっ?!」
「ええっ!!」
 きっぱりと言い切るローザ。
 うふふ、……かかったわねぇ、ミレルちゃん!
 激しい自責の念と、後悔、あるいは屈辱と恥辱の入り交じった表情を浮かべるミレル。
 それを見て、ほくそ笑むローザ。
「ミレル、あなたは立派よ。カイル様に捧げるその気持ち、わたし、本当に感心しているの。でも……いまのあなたはカイル様のお荷物になっていないとはいえ、役にも立っていないっ!!」
 ここぞとばかりに言いつのるローザ。
「ただの、性欲処理の道具。カイル様の道具に過ぎない! あなたがいかに『姫』として振る舞おうとしてもね」
 ミレルに対して、表情をやわらかく変化させるローザ。
「なぜなのか、よくわかってるでしょ、ミレル?」
「…………それは、……わたしが、おとこのこ、……だから」
 まるで泣きそうな声で、ローザの問いに答えるミレル。
「そう、あなたが男の子だからよっ!!」
 語気も鋭く、強烈に言い放つローザ。
「うっ! ……くっ……」
 涙を浮かべながら、歯を食いしばるミレル。
「……ミレル、あなた、女の子になりたくない?」
 そんなミレルに、問いかけるローザ。
 その顔に浮かぶは、悪魔のような邪悪な笑み。
「えっ? な、なにっ?」
 一瞬、何を言われたかわからなくなるミレル。
 しかし次の瞬間、ミレルはその瞳をギラつかせ、ローザを見つめていた。
「……七割の者が死に至る。残った三割のうち、九割が発狂する。そんな危険な術だけど、男の子を女の子に変える秘術、『性転換の秘術』というものがあるわ」
 ローザの言葉を食い入るように聞くミレル。
「あなたが心の底からして欲しいと願うのなら、わたしがその術をあなたの躰に施してあげてもいいけど……」
「そんな術、本当にあるの? あるんだったら、今すぐミレルに使って!」
 押さえきれない情念を込め、ローザに懇願するミレル。
「あの、わかってるの? 死ぬのよ、七割は! それに、いけない……カイル様に……」
 わざとらしく語尾を濁すローザ。
「今のは忘れてね。よく考えるとカイル様に対して申し訳が立たなくなるわ」
「な、なんなのっ?! そこまで言って、なんで取り消すのっ、ローザ様っ!!」
 ミレルの言葉に、困った表情を浮かべるローザ。
「だって、カイル様にあなたを傷つける行為を禁止されているから。ましてや死に至る術なんかつかったら、どれだけのお叱りをうけることか……」
「えっ?!」
「カイル様はあなたが傷つくのを恐れてらっしゃるの。あなたを愛してらっしゃるから、だから……」
「だからわたしに、……術を使わなかったの? そしてその為に、にいさまはいま……」
 ミレルの視線が揺らぐ。
「ミレルなんて、使い捨てにすればよかったのに。ミレルは自分が死ぬことよりも、にいさまに死なれることの方が、つらいです……」
 しばし躰を震わせるミレル。
 しかし次の瞬間、キッとした表情でローザを見つめた。
「お願いですローザ様、ミレルにその秘術を施してくださいっ!」
「ミレル、何度もいうようだけど……」
「お願いします! ローザ様の言うことは何でも聞きます、従いますから。ですからミレルの躰にその『秘術』を使って下さいっ!!」
 その場にひざを折り、頭を床にすりつけて懇願するミレル。
 困ったような表情を浮かべつつ、ローザは内心、邪悪な喜びに浸っていた。
「……仕方ないわね、ミレル。あなたの躰に『性転換の秘術』を施してあげる。だけど約束よ、今日以降わたしの言いつけには絶対に従うこと。それが、いかなるものであろうとも!」
「はいっ! ローザ様のいかなる命令にも従うことを、ミレルの名前に誓って約束致します!!」
 歓喜の表情を浮かべ、ローザに向かって宣言するミレル。
 その瞳は、わずかな希望を知ることによって輝いていた。
 ふふっ、本当に理想的だわ。本当に理想的な……実験体。わたしの『秘術』の完成の為に、存分に役に立ってもらうわよ、ミレル!
 ローザは愛おしそうな目で、そう、まるで……愛着ある実験用のモルモットを見るような目で、ミレルを見つめていたのだった。


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