CHAPTER 13  抱擁



早川もえみは夕食の後、台所で使った食器を洗っていた。

そして、洋太との初めてキスを思い出していた。

柔らかいその感触、甘い味、このように素敵なキスはもえみには初体験だった。

思い出しつつもえみは、唇を触ってみる。

(この唇に弄内くんの唇が・・・。)

その時の感触が甦ってくる。

(弄内くんと・・・・弄内くんとキス出来るなんて・・・・。)

嬉しさが込み上げてくる。

(弄内くん・・・好き・・・。)

もえみの気持ちが高ぶってくる。

思わず顔が紅潮し、微笑が自然と出てくる。

(一寸前までは、思っても見なかったな・・・・。弄内くんとキスするなんて。)

「フフフ・・・。」

笑いながら、もえみは皿を洗いはじめる。

自然と鼻歌まで出て来そうな気分であった。

そんな気分になるのは、あの嵐の日以来はじめてであった。

(弄内くん・・・好き・・・。)

もえみは心の中で何度も呟いていた。

その時、もえみの中には、山田と交わした忌まわしいキスの記憶は消えていた・・・。













「いいよ、もえみちゃん。後はオレがやるから。」

弄内洋太が洗い物をしているもえみに声をかけてくる。

「うん、大丈夫。もう少しで終わるから。」

もえみは残った数枚の皿を洗いながら、洋太に返事をする。

「これ片付けたら、帰るね。」

もえみは洋太に言う。結構夜遅くなっていた。

「え?」

洋太が聞き返してくる。

「だって・・・やっぱり・・・帰んなくちゃ・・・。」

嵐の日以来、もえみは家族に心配され続けて来ていた。家族は嵐の日以来、もえみに何が起こっているかは知らない。ただ、調子が悪そうなもえみの様子に、心配をしているのは、もえみ本人も気づいていた。

洋太がもえみの方を見つめる。

帰って欲しくない、と顔に書かれている。

そして、その気持ちはもえみも一緒だった。それを考えると、もえみの顔は赤く染まっていく。

「でも、まだ9時だし・・・コーヒーを飲むひまくらいあるでしょ?」

洋太はコーヒーを煎れ、もえみをリビングに誘う。

「うん。」

もえみもそんな洋太に従う。

「・・・だけど・・・、あまり長く一緒にいると離れたくなくなっちゃうモン・・・。」

もえみは本音をさらす。

もえみも本当は帰りたくない。

でも、今は家族を心配させたくなかった。

山田からの執拗な呼び出しが無くなり、洋太と付き合うようになってから、もえみは明るさを取り戻しつつあり、そんなもえみを見て、家族も少し安心しつつあった。その家族に対し、もえみとしてもこれ以上心配をかけさせたくなかった。

洋太はそんなもえみを見て微笑むが、その後急にシリアスな顔になる。

洋太は不安を感じていた。

憧れのもえみと付き合えるようになり、そしてキスまで出来た。

洋太はそれらが本当に夢のように感じていた。でも、あまりにも夢みたいなことが続くので逆に怖くなっていた。

こんなに幸せなのに、いや幸せだからこそ、いつかそれが壊れる様な事が来るのではないかと。

「どうしたの?」

もえみはそんな洋太の様子に声をかける。

「え?なに?どうもしないよ。」

洋太は内心の怖さを隠しつつ、応える。

しかし、もえみはそんな洋太の様子に不安を感じてしまう。洋太も、もえみが嵐の日にもえみに何が起こったかを知っている。そしていつか洋太も新舞貴志と同様に、自分を許せないと思うことがあるのではないかと、感じてしまうのである。

(怖い・・・!)

もえみは思う。

(もう・・・私には弄内くんしかいないのに・・・・。)













プロロロロロロ!

電話の呼び出し音が聞こえてくる。

洋太が誰かと話をしていた。もえみはその気配をキッチンの片づけをしながら感じる。

電話が切れた後、もえみはリビングに戻りつつ「電話?」と聞く。

「うん、あいちゃんから。」

洋太が微笑を返しつつ言う。

「まったくなに考えてんだろーなァ?ワケわかんねー電話してきやがって。しょーがねェヤツだよ。」

洋太が続ける。電話をかけて来た理由が良くわからなかったようだ。

「そう。」

もえみは微笑を返しつつ、その一方でますます不安が高まっていく。

(いつもながら・・・あいちゃんの話をする時は自然な顔になるのね・・・弄内くん・・・。)

もえみはあいが洋太の事を好きなのを知っていた。そして、洋太とあいの関係は恋人との関係とは違うものの、他人が入れないような親密な関係にあるように感じていた。

もえみは、リビングのソファーに腰を下ろす。

そのまま、黙りこくってしまう。

もえみの中の不安はどんどん膨れ上がっていた。

先程まで、キスの余韻を感じ幸せいっぱいだったのに、今は不安でしょうがなかった。

「どうしたの?」

そんなもえみの様子を見て、洋太が声をかける。

「・・・私がさっき・・・そうやって聞いたとき・・・・・・弄内くん・・・新舞くんみたいな顔してたね・・・・・。」

洋太が、驚いた顔でもえみを見る。

「怖いの・・・。」

もえみは続ける。

「あの人は・・・となりにいても、私のそばにはいてくれなかった。弄内くんも・・・さっき・・・そんな感じで・・・・。」

そこまで言って、もえみは口をつぐむ。

洋太は突然のもえみの告白に驚きを隠せない。

「やっぱり、今日はもう帰る。」

もえみは席を立とうとする。

洋太はそんなもえみの手を掴む。

「え?」

もえみは洋太の行動に驚く。止めにかかるとは思っていなかった。

「違う!誤解だ、もえみちゃん!オレもあの時、怖くなったんだ。」

洋太が言う。

もえみが振り返る。

「もえみちゃんがやさしいから。オレのためにやさしいから・・・怖くなったんだ・・・。」

もえみはソファーに腰を下ろす。

「約束するよ。」

ソファーに腰を下ろしたもえみの目をしっかり見ながら、洋太が言う。

「離れたトコにいたとしても、オレはもえみちゃんのそばにいるって!」

洋太は凄く真っ直ぐな目をしていた。

もえみの中に歓喜の念が湧きあがってくる。

「ホント?」

もえみが聞く。

「うん。」

洋太が応える。

(嬉しい・・・。)

もえみは思う。

目の前に洋太の顔が近づいてくる。

もえみは目を閉じる。

もえみの唇に洋太の唇が重なる。

(あっ・・・・・。)

もえみの中を再び歓喜の念が満ちてくる。

(ああ・・・弄内くん・・・弄内くん!!)

洋太がもえみに体重をかけてくる。もえみの身体がソファーに倒れていく。

もえみの手も洋太の身体にまわる。

ソファーの上で二人は強く抱き合っていた。













洋太は激しくもえみの唇を吸っていた。

もえみもそれに応える。

(ああ・・・弄内くん・・・弄内くん・・・・いい・・・・ああ・・・・来て・・・・。)

もえみの手に自然と力が入る。

気持ちが良かった。

歓喜の念と一緒に気持ちの良い、快美な電流がもえみの身体の中を駆け巡る。

(ああ・・・・もっと・・・もっと・・・強く吸って!!)

もえみは更なるキスを求めていた。

と、洋太の唇がずれる。

(あっ・・・!)

洋太の唇が、もえみの唇から頬へ、そして首筋へと動いていく。

「あ・・・・・はっ・・・!!」

もえみの中を先程とは違う別の快感が走り出す。

もえみの首筋を洋太の唇が這う。そこから電流が身体中を駆け巡っていた。

「あ・・・・はあああ!!!」

もえみの唇から思わず声が漏れ出していく。

それと同時に身体の中から力が抜けていく。

心臓も高鳴っていく。

(弄内くんが・・・弄内くんが求めてる・・・・。どうしよう・・どうしよう・・このままゆるしちゃっていいの??)

もえみのまだどこか冷静な部分が考える。

でも、身体はその心とは別に快感を紡いでいく。

身体のお腹の辺りが熱くなっていく。

そしてもえみの大事な部分も同時に熱くなってきていた。

(だめ・・・・なんだか宙に浮いているみたいで・・・力が入らなくて・・・・もう・・・!!)

明らかに山田や花崎に抱かれていた時と、感覚が違っていた。

あの時に感じた快感とは違っている。

それよりももっと刺激が強かった。

(だめ・・・怖い!!)

もえみは洋太にさらに強く抱きついた。

(ああ・・・弄内くん・弄内くん・・・もっと強く・強く抱いていて!!)

洋太の手がもえみの手をまさぐりだす。もえみの腰や尻を洋太の右手が触れていく。

「あ・・・ああ!!」

もえみが無意識の中、声をあげていく。

もえみの首筋を這っていた洋太の唇が離れる。

もえみは目を開ける。

近くに優しい洋太の顔がある。

「いい・・・?」

洋太がもえみに聞く。

「え・・・?あ・・・・・。」

もえみは一瞬何を聞かれたかわからない。

次の瞬間、洋太の言葉の意味がわかる。途端に羞恥心で身体がいっぱいになる。

「・・・ん・・・イヤ・・・。」

もえみは、思わず顔をそむけ、そう言ってしまう。

もえみの頭の中はもう真っ白で、何がどうなっているのかよくわかっていなかった。

身体はどんどん熱くなっていっていた。

洋太の唇が、もえみの敏感な首筋を這う。

「ああっ・・・・ううっ・・・・・・・!!」

もえみが声を漏らす。

快美な電流はもえみの中を駆け巡り、身体に力が入らなくなっていく。

洋太の右手が力強くもえみを抱きしめ、そして左手はもえみの胸にまわってくる。

「・・・も・・・弄内くん・・・。」

(何するの・・・・?)

という言葉はもえみからは発せられなかった。

洋太の左手がもえみの胸をギュッと掴む。

「は・・・・・・あああ・・・・・・・・・・・。」

思わず声が出てしまうのがもえみにとっては恥ずかしかった。声を懸命に抑えようとするが、彼女の身体を走る快楽の波はそれ以上に強かった。

洋太の手がもえみの胸をさらにまさぐっていく。

「あ・・・うう・・・・・。」

もえみの胸に生じた快感は身体中を駆け巡り、腰のあたりに沈殿していく。そしてそこから滾々と熱い液体が湧き出すのをもえみは感じていた。

(ヤダ・・・・もう・・・・ホントに・・・力が入らない・・・・。)

洋太の左手がもえみのシャツのボタンに伸びる。

上からボタンが外されていく。

(あ・・・!今日はフロントホックだ・・・。そのつもりで来たと思われたらどうしよう・・・・。)

洋太のボタンがもえみのシャツの二つ目を外す。

(ああっ・・・。)

もえみの身体の中を羞恥心が走り抜ける。身体中が赤く染まる様な気がした。

洋太の手が3つ目のボタンにかかる。

(ああっ、ブラを見られちゃう・・・。)

そう思った瞬間、ふいにもえみの中にあの嵐の日の記憶が甦ってきた。

山田の醜悪な顔、そして、彼にブラを奪われ、胸を弄ばれた記憶が・・・。

(い・・・いや!!)

もえみの身体がこわばる。

そして次の瞬間、もえみは洋太の身体を力いっぱい突き放していた。

洋太が驚いた顔でもえみを見ていた。

もえみはそんな洋太の顔を正視出来なかった。身体を起こすと、洋太の視線から逃げるように顔を隠す。

「・・・もえみちゃん・・。」

もえみは開いたシャツをおさえながら、うつむいて洋太に言う。

「ゴメン・・・・・や・やっぱり・・・帰るね・・・。」

もえみは、それだけを言うのが精一杯であった。

側にあったハンドバッグを取ると、逃げるように玄関に行き、靴を履いて外に飛び出した。













もえみを見送った後、洋太は半ば呆然と玄関に佇んでいた。

「・・・もえみちゃん・・・・・・。」

洋太は考える。

(やっぱりまだ嵐の日の後遺症が残っているんだろうか・・・)

男性である洋太には女性がレイプされた時に受ける傷の深さを真に理解することはできない。まして、あの日以降も凌辱され続けてきたもえみの傷の深さはわからない。

(オレといっしょでもあの悪夢を目覚めさせちまうのか・・・。オレじゃあ・・あの悪夢を眠らせておく事はできないのか・・・?)

洋太がそう考えていたその時、ドアノブがガチャっと回る。

(もえみちゃん!!)

洋太はもえみが戻って来たのかと思い、ドアを勢いよく開ける。

しかし、そこに立っていたのはもえみではなかった。

天野あいがそこには立っていた。

「あ・・・あいちゃん!!」

洋太は驚く。

「なんだよ、今日は帰んないんじゃなかったかァ!? どうしたんだよ!!」

洋太は驚きつつも明るくあいに聞く。もえみの事で動揺していたことを隠すように。

そんな洋太に対し、あいは優しく微笑みかける。

「久しぶり・・・元気だった?」

あいは謎めいた言葉を洋太に返す。

「え?」

洋太は驚く。あいは洋太と同居しているわけだし、毎日会っている。『久しぶり』と呼ばれるには違和感がありすぎた。

「・・・それって・・・。」

『どういう意味』と洋太が聞こうとした瞬間、居間で電話が鳴りだす。



プロロロロロロ!!



黙って向き合う二人の間で、ただ呼び出し音が鳴り続ける。













続く


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